音響の設計
神奈川県立音楽堂で生徒たちの演奏会を開催した折に音楽堂の方と少し話しを交わしたのであるが、音響設計は石井聖光という人がしたのだと知った。
石井さんは非常な高齢だったが音楽堂で講演をなさったそうである。
講演の中で、この様な良い出来になったのは偶然の産物だと発言されたという。
これは謙遜も入っているだろうが、半ば真実でもある。
どの様に新しい概念、技術が導入されても、やはりその音響は偶然の産物だという方が正しい。
音響が素晴らしいのならば、その偶然に感謝して何としても残そうと努めることが重要だと言わざるを得ない。計測できる数値と感覚とは必ずしも一致しないのが一般なのである。
石井さんが正直に言って下さったことは有難いと思う。
科学的に計測されたものが全てではないという思考に、今日では殆どの人が賛同するだろう。我々の時代は人間的という言葉に飢えてもいるのだ。
しかしこれは、数値化したもので全てを律することができるという観念と真反対の、観念的な理解でしかない。現実には、具体的な事象において私たちは驚くほど数値化されたものに屈服している。
そちらの卑近な例として私の家のことを書いておこう。
我が家はバブル期真っ只中、有名工務店に注文して建てた。その際もっとも気を遣ったのはいうまでもなく近隣への音漏れであった。
担当者は自信満々、お任せ下さい、当社は音楽家の家も数多く請け負っていますと胸を張り、私は安心していた。
引渡しも終わりピアノの搬入も済んでいざ弾いてみて愕然とした。数軒先の家までハッキリと聞こえるではないか。これでは夜弾くのはほぼ不可能に近い。
早速工務店に来てもらいこれでは困る旨を伝えた。
支店長と設計担当者もやって来たが、バブル期とはこんなものだったのであろうか、設計者は何と立地の条件を見ずに図面を引き、我家に来たのはその時が始めてなのだった。
周囲を見回すと、この条件では音は聞こえますね、とこともなげに言った。
私は強く抗議して音楽室の遮音はやり直させることにした。費用は工務店と折半ということになった。
数日後詳しい工事内容と見積もりが来て又々たまげた。
使用する材料個別に何デシベル遮音効果があると書かれ、夜まで音出し出来るには天井、壁、床全てをあと数十センチ厚くする必要があり、費用は八百数十万円かかるとあるのだ。全ての面が数十センチせり出してくる!これではまるで潜水艦ではないか。
私の経験からすると音は主に窓から漏れる。窓枠に問題があるのだ、ここだけでほぼ問題ない、私はそう主張して押し通した。普通の窓枠ではない、遮音効果が高いものがあることを私は知っていた。それを使うように具体的に要望した。
我家付近一帯は戦闘機の離発着のルート直下にあり、各家庭に遮音工事が施工されていた。そこでは上記の窓枠が使用されていた。その効果について具体的に知っていたからである。
結果は数値化されたもの、つまり私の要望では到底音漏れを防ぐ事は出来ないという工務店の意見とは相違して、真夜中にピアノを弾いても殆ど外には聞こえないようになった。