国歌について 2

カタロニア州歌が極めて印象的だったと書いた。その後サッカーワールドカップで国歌を巡って面白く感じたことがある。カタロニア州歌があまりに印象的で、国歌に耳が向くようになったからだろうか。

ドイツの国歌がハイドンの四重奏「皇帝」のアダージョに依るのは有名だが、第二次世界大戦前はオーストリアの国歌だったはずだ。どのような経緯でドイツ国歌になったのだろう。

それにしてもこのメロディとハーモニーは実に美しい。出来れば四重奏を聴いて貰いたい。

ドイツに国歌を譲った?オーストリアの国歌もまた美しい。2つの国歌が続けて演奏される時にもまったく違和感なく聴ける。モーツァルトの曲に依るという説を読んだことがあるが、真偽の程は分からない。それでもその説をそうかも知れないとうなづく、それ程までにドイツ国歌と親和性があるのだ。

またハンガリー国歌は静かな、宗教的だと言いたくなるような調べである。これまたオーストリアやドイツ国歌と並んで演奏されてもよく似合う。成る程オーストリア=ハンガリー帝国だった!と納得する。文化圏が同じだと響きも似るのだと当たり前のことに合点する。

転じてラテンの国々を聴いてみよう。総じて明るく力強くそれでいておめでたい、とでも形容したい衝動に駆られる。

イタリア国歌はその代表格だ。オリンピックなどの表彰式で聴くものは大変短くカットされているが、オリジナルは数分かかる力作である。

曲想の転換あり、転調あり、密やかな声あり、さながらオペラの一場面なのだ。初めて聴いた時には笑ってしまった。ヴェルディの手になるという話を読んだこともあるが、さもありなんである。ただし、これも真偽不明である。

ラテンの国の他の代表格にスペインを挙げても異論はあるまい。しかし聴きてみるとその荘重さに驚く。イタリアの陽気で劇的な調べとはまるで共通するものが無い。そうだ、スペインは王国であった、この調べの荘重さはそれと密接な繋がりがある。それでいて何か芝居がかった悲壮感を感じさせるのがラテン的だと言える。闘牛士のいでたちさながらである。

このようになけなしの世界史の知識が突然具体化する。ついでにオランダ国歌の歌詞も紹介しておこうか。何とスペイン王室を讃えている。これなどもヨーロッパ各国の複雑な婚姻関係を思えば唐突ではないのかもしれない。

ラテンの国々について続けよう。南米は言語で知られるようにラテンである。殆どの国歌はイタリア国歌と本質的に同じ特徴を持っている。

ブラジル国歌は国民の多くは正しく歌えない音程を含んでいる。サッカーの国際試合でしばしば耳にするのだが、テレビ画面に次々と映し出される屈強な選手たち誰ひとり正しく歌っていないだろうと思うと可笑しい。作曲家の思い込みの強さ、それに加え歌えない国民がいても頓着しない気質を勝手に想像する。

もう1カ国挙げておこう。ウルグアイである。そもそもここの国歌をワールドカップで聴き、非常に面白かったのが私が各国の国歌に興味を持ったきっかけなのだ。

この国にも音楽家を目指し名を成した作曲家がいる。作曲を任されてついに己の力量を示す時が来たと勇み立ったのではあるまいか。失礼と承知の上でついついそのような感想を持ってしまう。

本格的な長い前奏はロッシーニの弟子の手になる感じで、歌が入っても奇を衒わぬ正統的な楽想が続く。だから余計に失敬千万な感想が湧き上がってしまった。前奏だけでも国歌に似つかわしくないと思うのだが、それを気にも止めずに作曲家としての正義を振舞う。これなどもラテンの特徴なのかと思う。

ざっと列挙しただけだが、北欧の国々をはじめ一括りには語れない多様さがある。音楽に関心のある方はたかが国歌と思わずに聴いてみたら面白く感じるのではないだろうか。




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