人の声、人の姿
ドイツにダ・カーポという往年の名歌手へのインタビュー番組があった。エヴァーディンクという演出家がインタビュアーを勤め、10年以上続いたらしい。
You tube のおかげで今日まとめて視聴できる。残念ながら日本語の字幕はない。
ドイツ・オーストリアで活躍した非ドイツ人歌手のドイツ語は比較的聞き取りやすい。ドイツ人歌手は総じて恐ろしく早口だ。
その番組が始まる前に亡くなった名歌手も多いが、それでも私の世代よりもずっと上の歌手の(普段の)肉声を聞ける喜びは大きい。
総じて言えることは、出てくる歌手が皆、名前を成した名歌手であるのに普通のおじさん、おばさん、いや、とっくに引退しているのだからおじいさん、おばあさんか、要するに単なる人間だという、当たり前のことだ。
これがわが国では難しいらしい。スポーツ選手でも演奏家でも。
ひとりひとりが自分の歌手としての経験、経歴を話し、指揮者達とのやり取り、逸話を語る。番組の関心は当然こちらにある。
でも私にとっては歌手たちの佇まいに、話の内容と同じくらい感じるところがあったのも本当だ。
ひと言で表せば気取りがない。こんな時に等身大とでも言えば良いのかもしれない。まず歌声と話し声が全く違う人も多い。
アントン・デルモータという名テノールの慎み深い話し方(この収録から間もなく亡くなったようだ)はドン・ジョヴァンニのオッターヴィオでの歌唱を思い出す。
ソプラノのゼーフリートはスザンナよりなお、はるかに活発なオバさんで、全盛期の可憐な歌声しか知らぬ私はその話ぶり、笑い方に心惹かれた。
マルタ・メードルというワーグナーソプラノは、歌手になる前にデパートの売り子をしていたという。円満に退職した老婦人といった風情で、落ち着いた態度は揺り椅子とレース編みが似合いそうなのだ。この人の最後の舞台を私は見た。「スペードの女王」の老婆だった。
このように次から次へと記憶がよみがえる。
1時間番組とはいえ、ある人は50分、またある人は70分くらい、とそうしたルーズな番組構成も懐かしい。