見出し画像

あと少しで出来るのに「無理です。できません。」―チャンスを反故にしてしまう頑なさはどこから? 【いつか季節が廻ったら #7】 

来年冬にある国際学会には行きたくありません。

信頼回復それはすなわち、相手のことを考えること。
相手のこと、相手の気持ち、考えたことある?
返事はなかった。


「私は、どんなに忙しくてもしんどくても、できる限りはそれを表に出さないようにしてる。
なにかゼミ生に言われたときは、快く対応するか、忙しいときは、「ちょっと待って」と言い、別の日程を言うとかしてきたと思う。今のあなたみたいに、自分のことばかり主張したこともないと思う。」

「それに先日、信頼回復することが条件と言ったと思う。その態度は信頼回復の態度かなぁ。」

来年冬にある国際学会への参加、それは私にとっては最後の砦だった。
 
 
これまでの国内学会、一度は負荷をかけすぎたかなと思ったことがあり、年下彼が登壇者であった発表を、バトンタッチし、私が発表したことがある。

この、交代した冬の学会は、発表準備も年下彼がほとんどすることはなく、私がまとめて発表することにした。
 
「この学会のことはもう考えなくていいよ。
すこしだけ分析してくれていたと思うから、それをシェアしたりというのだけでいいから。就職活動もあるし、授業も大変だったろうからちょっと休憩したら。

その代わり、すでに申し込んである春にある学会は出ること。
今回、代わってあげるのがいいのか、とても悩むよ。「逃げ」といえば「逃げ」とも考えられるから・・・。
これが吉となるよう、休憩して復活することが条件だからね。」
 
反抗的な態度を取り始めた当初、こんな約束をした。
 
 
冬の学会から帰ってきて
「ゆっくり休憩できた?。交代してから3週間ぐらいは経ったかな。」
 
「交代してもらったことは感謝しています。でも、研究のことが頭にあって完全に休めません。」
年下彼はそう言った。
 
 
「そうなんだ。」
 
 
・・・そりゃそうでしょう。修了するまでが一区切り。
「完全に」頭から消し去ってどうするのか。
どんなことも、そんなことをしていたら何も達成しえないただろう。

 
 
この冬の学会をバトンタッチしたころ、年下彼は失速気味だった。
それでも、春の学会は出ようと約束していた。


もし、春の学会に行くつもりでいるなら、今航空券がセールになっているから、航空券を予約・決済してほしい、そうメールで書いた時、
 
「行くに決まっています。今はやる気がないようにみえるかもしれないですが、行かないという話ではありません。」
と返事があった。次の日、一睡もしていない様子でやってきて
「メール、すみませんでした。」と言っていたのが、春の学会だ。
 
この春の学会も結局は
「行かない。行きたくない」を連発してキャンセルしていた。
 
 
 
論文雑誌に投稿しようと書いていた論文も、あと少しでできると言うのに、「できません」を連発してお蔵入りしていた。
 
研究の世界の投稿論文には「査読」というシステムがある。
共同研究者と一生懸命書き上げた論文を投稿すると、通常分野の近い専門家1~2名が「査読」する。
 
「ここはどうなってるの?」
「ここの記述は破綻してる」
「分析方法は?」
「統計的な解析がないよ」
 
長いと約3か月たったころ、著者に論文が返却される。
それもコメント付きだ。そのコメントは多岐にわたり
一生懸命書いたのに、時には無理難題とともとれる課題が降ってくる。再び修正し、再投稿する。

これを繰り返して、「載せてあげる (採用)」と言われて初めて自分達が書いた論文が学術雑誌に掲載されるのだ。 
 
コメントがついて、修正してください、というパターンならまだいい。

しかし、
「この論文は不完全だから、この雑誌には載せられない」
と「却下される」こともあるのだ。
この苦しみは「失恋したかのよう」と揶揄されるぐらいである。駆け出しのころは本当に失恋したようにショックを受け、お先真っ暗感を体験する。

これはどんな優秀な研究者でも経験している。
 

研究者が最も嫌がる言葉のアンケートをとったら、「リジェクト (却下) 」は間違いなく上位に来る。にっくき言葉である。
(前野ウルド浩太郎「バッタを倒すぜアフリカで」(光文社新書) より) 



年下彼は、論文の「却下」を2度経験していた。
1度目は、卒論そのままの状態で、締め切りに間に合わせた。学部生にとって統計学はなじみがないこともあり、卒論発表の時点では、「統計解析」に到達していなかった。ここを指摘された。

「たまたまそう見えた」のか、統計学的にそのデータが「そうなのか」は、自分達が主張したいことをどこまで主張できるか、の要になる。


「統計解析」は、エクセルでもできることもあるが、するためには、それが何なのか、については理解しておく必要がある。
「修正して再投稿してください」と言われたが時間が短く、修正しきれなかったため、再提出したものの、「却下」された。一度目の失恋だ。

 
2度目は、査読者が悪かった。これは運のような要素があるので、「あ、ハズレだったのかも」とスルーして次に行くしかない。
 
二人のうち、一人は「いいんじゃない」と好意的だった。しかし、もう一人は、ある特定の分野から我々の論文を見てコメントしており、
我々が注目してほしい論点とはズレたところでコメントされており、当然ながら
 
批判的なコメントが満載だった。
ただ、学会誌からは却下されたが、もう一度修正して再投稿してくださいと、学会誌の編集委員会からのコメントが添えられていた。
 
これはつまり、やり直せば、掲載される可能性があるよ、この査読者には次はまわさないよ、という意味でもある。
 
「一人は好意的だったのだから、進化してるってことだよ。よかったじゃない。」
「あと少しだからもう一度出そうよ。」
「もう少しだけ、やってみようよ。」
 
 
「無理です。今は絶対無理。」
「なんで? あと少しで採用 (アクセプト) されるってわかるじゃない。もうちょっとやろうよ。」
「無理です。」
「私はできると思うよ。あなたに能力がないから、できないなんて思ったこと、一度もないよ。ずっと言ってるけれど。」

「無理ですね!」
 
結局、やらなかった。
調子が悪くなると「やらない」「できない」それしか言わなくなった。
 
励ましても、何を言っても頑なだった。
扉をピシャッと締めて、どんなにノックしても、インターホンを鳴らしても、無理やりこじ開けようとしても開かない。
 
一度年下彼に言った。
 
「・・・そのうち、私もウザイと思われて、扉をピシャッとしめて、もう二度と話もしてくれない、そういう風になりそう。そんな感覚になるんだよね。・・・そうなったら普通に悲しい。」
 
「・・・なりませんよ。」
 
 
「出来ない」そう思ったら最後だった。白か黒しかない。
本人が出来ない認定したら、「逃げる」。それだけ。
 
白か黒しかない、そして本人にとってうまくいかないと思うことがあったら逃げる癖がある、そんな感じだった。

「何でそんなに頑なになっちゃうのかなあ。あなたの頭の中をもみもみして、ほぐしたい気分になるよ。」
どうやったら、その頑な気持ちがほぐれるのだろうか。


配属になったころはもう少し思考が柔軟だったように思う。考えてみると、そのころは私の思考パターンがうつっていたのかもしれない。


「いいじゃない、次のチャンスを狙ったら。」
「今、あなたが持っている手持ちのカードは、これしかないから、これで勝負するしかないよ。失敗したら次に。」

そんなことを言っていたら次第に年下彼から楽観的な発言が増えていた時期があった。
 

「そうそう、とにかくやってみたらいいよ。それしか方法はないから。」

「失敗してもそれはそれで経験にはなるよ。将来後輩が出来たときに、「実はさ、オレ、こんな失敗したんだよね」って話せるだけでも、十分に価値があるよ。」
「私もたくさん失敗しながらここまで来たんだよ。あなたからみたらそんな風に見えないかもだけど、いろいろ「あぁ。しまった」ということはあったよ。」
 

でも、今は、もう何を言ってもだめだった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?