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「研究計画書、こんなのどうでもいい」 - もしかすると白黒思考だったのかもしれない。【いつか季節が廻ったら #4】


学校が課していることは、やらなければ修了に不利になることもある。修士論文執筆も当然単位であり、一定のレベルに達していなければ単位認定はできない。

当然だ。

新学期、大学が研究計画書を出せと言ってきた。今年から始まった制度だ。
学生が数行書き、指導教員がコメントを付けて提出。
外部評価委員から大学に指摘があって始まったものだ。形式的と言えば形式的。それでも学校が課している課題は、修了のためには必須だ。

そのころ、就職活動を猛烈に焦っていた年下彼。
「こんなん、なんで今書かなきゃいけないんですか。どうでもいいでしょう。」

「紙ぺら一枚だけど、いま計画を練っておけば 就職活動後すぐに研究に復帰できると思う。どうでもよくない。」
ぴしゃりと言って返した。

就職活動が忙しいなら、研究中断しますでも構わない。
それでも完全に心が離れたら、復帰がしんどくなるので、 5 % 程度のエフォートでいいから考えるように申し渡した。

エフォートとは、研究者が自分の仕事や研究内容によって、どれだけの労力を割くかを見積もるもの。
研究申請するときは求められ、
「本申請研究: 10 %、採択中の研究 5 % 、そのほかの業務 85 %」 などと記載する。

つまり、彼のエフォートは一時的に就職活動 95 %、研究 5 % のイメージだ。

「はいはい、わかりましたよ!やればいいんでしょう。」
そう言って部屋に戻っていった。
 
しばらくして「はい、これ、作りましたよ。」
つっけんどんに書類を渡してきたのだった。
 
少し前に作った、パワーポイント発表の最後のページにあった「今後の課題」に書いたそのままの文章を貼り付けて持ってきた。
どの項目も抽象的だった。
 

これまでなら、その書類を二人で付き合わせて打ち合わせするところだ。
普段からゼミ生には、打ち合わせする時には、必要書類を2部印刷して持ってくるように指示している。
それぞれが書類にメモを取って話をしましょう、というやり方だ。「先生が書いたメモ用紙を「持って帰る」」パターンにすると、学生が自分事として話を聞かないことがたびたびあり、この形に落ち着いた。
 
書類は1枚しか持っていなかった。
テーブルにも着こうとしなかった。

「えーと。今日は、相談はしないのかしら。
でも、パッと見る限りこれではダメね。
具体的にどういう作業から始めればよいかまで落とし込んで書いてくれない?もう一度持ってきて。」
「わたしなら、という案はこの間、話したと思うからそれもヒントに考えてみてくれないかな?」

その後、1か月以上、相談することはなかった。

「できません」

「何でなん?白か黒かしかないの?少しでも取り組んでみたらどうなのかな。世の中に出たら、一つのことだけやってればいいという状況はそんなにはないと思うよ。」
「やってみたら意外とできるかもしれないし、学生なんだから、それがうまくいかなくても誰も咎めないよ。」
「できないと思っても、やってみること、大事だよ。」

ひとつのことしかやらない、そんな行動パターンになっていた。

「嫌です。出さないといったら出しません。」
期日になっても押し問答していた。
 
全身で拒否していた。
大学院で研究することは自分のため、に他ならない。大学が課している課題をしなければ、修士修了すなわち、単位取得が難しくなることは承知しているはずだ。
時折、単位の数えミスで卒業できない学生もいるぐらいだ。
 

自分のことでしょう。
何がそんなに「嫌」なのか。
 

困惑した。
まるで反抗期だった。
私は母親でも恋人でもない。
いや、もし同い年の恋人だったら、ケンカしてとっくの昔に別れていたと思う。
 
もしかすると、無意識のうちに母親認定されているから反抗されるのか? 
こういうことは、本来ならお家で本当の母親とすることではないのか。
あなたは大学院生で、私は赤の他人。
わかってるよね?そこの部分。

提出先の学科長先生には「学生が何かをこじらせてしまい、しばらくは、出せません。」と報告した。

「あんなの形式的なものだから、なんでもいいのに。」
そういわれた。

「形式的なのは分かります。でも指導だから、今は出せる状況にないです。すみません。」
学科長も学科長だ。人の気も知らないで。
イラっとした。

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