【百線一抄】026■日高山脈を貫く紅葉山今昔物語ー石勝線
生い立ちをたどると初期と現代では全く様相が異なる路線として、
具体例に挙げられるのが北海道の石勝線である。明治中期に炭田か
ら採掘した石炭を室蘭本線へ向けて運び出す路線として開業した。
やがて国有化された後も炭鉱の盛衰に沿うかのように路線の延伸や
待ち合わせ場所を追加するための信号場設置なども行われていた。
三菱鉱業による採炭事業の盛衰とともに輸送事情も変化し、僅か数
年で採掘を中止した場所があったり、石炭需要の縮小とともに人口
の減少も進んだ。他方で、東方に走る日高山脈を貫く新路線の建設
も進み、これまで道北方面へ迂回して道東を結んでいたのと比べて
見違えるほどの時間短縮を図ることができるようになった。線路の
地盤は強化され、千歳線と追分を直結する新規路線と合わせて、夕
張線は新たに石勝線となり、道東と道央を直結するようになった。
この変化によって、帯広や釧路などを結ぶ貨物列車や特急列車、急
行列車が行き交う幹線となった石勝線だが、沿線の人口の少なさに
路線の大きな特徴ともいえる営業施策がお目見えした。新線区間で
ある新夕張ー新得間の旅客利用については、区間内各駅間の利用な
らば運賃のみで優等列車が利用可能という特例である。特急や急行
ばかりで普通列車が走らない区間ゆえの、珍しい設定例となった。
一方で地域輸送を担う列車の本数は少なく、岩見沢や千歳などを遠
回りする鉄道の地位は下がるばかりだった。道東への特急の増発と
引き換えになるかのように千歳と夕張市域を結ぶ普通列車は減り、
途中にある小さな駅も規模の縮小や信号場への変更が進む。続発し
た事故やJRの経営難も相まって、特急列車の減速で所要時間が延
び、新夕張以西の普通列車も1日数本まで減った。そして夕張支線
の廃線によって、夕張市域を走る鉄路は石勝線本体のみとなった。
見渡す限りの平原が拡がる南千歳―新夕張間と、トンネルと山中を
行く新夕張以東の車窓はまさに別世界だ。途中の占冠やトマムの乗
客は1日数十名だが、5~6キロ毎にある信号場とともに、列車の
待ち合わせなどで重要な役割を果たす。30年ほど遅れてつながっ
た道東自動車道とともに、道内のみならず内地とをつなぐ大動脈と
なる石勝線の働きは、これまで積み上げてきた歴史に続いて未来へ
向かうためのかけがえのない原動力であり、湧き出る源泉なのだ。
それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。
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