ありふれたフレーズにそっと蓋をする
ヘッドラインなどで見かける「見出し」にも、ある程度の品格というのがあるよなあ、というお話。
関心を惹こうという意図、そのものは別にまずいことではない。注目されたい、役立ちたいという欲求はある意味で本能のようなものなのだから、むしろ健全と言えるかもしれない。
ただ、発信する人や団体・組織それぞれをざっと俯瞰してみると、シンプルだけど興味がわく見出しを用意することができる組と、そうでない組に分けることができる。
前者についてはおおむね、その人となりや背景が垣間見えるフレーズが共感を得やすいものであったり、目に付いた人や手に取った人をおそらく幸せにすることができるような引力がそこに働いていたりするように感じる。
他方、後者は「劣化」「残念な」「炎上」のような脳裏や心筋の隅っこを爪楊枝でちょい掻きするようなネガティブワードを並べたものであったり、何かにつけて「衝撃的」「~な真実」「これだけの理由」のようなお題をひっさげておいて、中身の玉石関係なしでヒットさせたら勝ちであるだけの洞穴を掘りまくっているものであったりするような様相を示す。
ある程度、数をこなしつつ距離を置いて概覧できるようになると、後者のようなものは得てして”近未来の”自分にとってはほぼほぼ無関係、井戸端会議の付け合わせにもならないような内容なのだろう……ぐらいのことは気づけるようになる。余計なフリックを繰り返してストレスを蓄える必要も半減するだろうし、何といってもそれに気を回す時間やエネルギーも抑制できるどころか、他のもう少しばかり役に立つ情報に手が届く機会を増やすこともできる。
現代において、端末内に流れてくる情報の多数は生憎ながらこちらが主体的に選択するのは難しい。結果としてどうでもいい情報や見たくもない情報も大量に流れ込んでくる。
もっとも単純なのは、そういうものを見る機会(≒時間や回数)を減らせばいいが、そうもいかない立場の人もいる。それならば「これはいらんな」「こういうのは合わん」というものは意識的にスルーする、別の言い方をすれば流しっぱなしにしてタイムラインの下方に落とし込んでしまうことで、自己はもちろんのこと、発信元のアクセス数も減らすことができる。それを自律的に多数の人ができるようになれば、そういった「いらん」「合わん」情報はヒット数が逓減していって、果てには気にならなくなっていくのだから、いずれかはきちんと意に介した状況が手に入るようになるはずだ。
世間を闊歩する使い古された見出しやフレーズ、触らず気にせず、そっと蓋をしてみませんか。もしかすると精神的にもいいデトックスができるかもしれませんぜ。
それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。