ウンバボ族の宇都宮攻略
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ウンバボ族の宇都宮攻略(うんばぼぞくのうつのみやこうりゃく)とは、ウンバボ歴4292年(西暦2020年)に、ウンバボ族の族長たかし率いるウンバボ軍が栃木県の古賀志山に登頂し、宇都宮を平定したと宣言した戦い。たかしの宇都宮平定、部族の攻撃とも言う。
主戦場となった古賀志山はウンバボの聖地とされている。
背景
日付は全て西暦とする。
茨城県の原始部族ウンバボは、長きに渡って霞ヶ浦周辺を支配下に治めた後、日本の都市部を中心に支配領域を広めていた。2019年夏には首府茨城でBBQ大会を実施、日本列島の東西間の交通が激しくなった。北関東地区に住むグンマ―民で部族の将軍おうかは、西日本と茨城を東京都市圏を経ずに通行できる安全をグンマ―民に保障させていた。
しかしながら、グンマ―支配領域東側の栃木地区には、未だに部族の反抗勢力が存在し、茨城・グンマ―間の通行の妨げとなっていた。おうかは、直ちには影響が出ないものの、通行する際に厳重な警戒が必要であるとして、書簡をウンバボ宮殿に送っていた。
2020年7月21日、宇都宮の民は一方的に部族の通行を禁止すると通達した。このため部族の族長たかしは、7月23日に北関東方面軍に警戒を促し、自身の指揮するウンバボ鉄血親衛隊と近衛連隊に対して戦闘準備をするよう指示を出した。
この命令に対して、おうかは24両の53TPを主力とする戦車連隊をグンマ―国境に配備し、さらに東京方面の指揮官きりしまは義勇軍である部族統一戦線の一部を北上させた。たかし自身は、6000人の歩兵を率いて8月26日明朝に出陣した。
一方で宇都宮の民は守備隊を組織して、宇都宮市の全域を警戒態勢に置き、部族の来襲に備えた。
経過
おうかの率いる戦車連隊と宇都宮近郊で合流したたかしは、昼前には宇都宮市街地に突入した。市街戦は発生せず、たかしは悠々と買い物をした。宇都宮守備隊は街の北西にある古賀志山に退却して陣取った。
ウンバボ軍はこれを追って14時には山麓にある宇都宮森林公園に着陣した。たかしはここで野営をする準備をし、全軍に敵前で休息を取らせた。対して宇都宮軍は敵の余りの侵攻の速さを恐れて、山を下りることすらできなかった。
ウンバボ軍が動いたのは7月27日の昼になってからで、猛烈な暑さの中を登山して、戦闘を開始した。高火力122mm砲を搭載した53TP戦車による支援のもと、歩兵による地道な攻撃となった。
宇都宮守備軍の使用した弓矢は、部族の屈強な身体を貫通する事はできず、唯一落石攻撃だけが有効であった。一方部族の持つ長弓は、遠距離まで飛ばせる特徴があり、敵の射程範囲外から一方的に攻撃した。
14時頃、部族統一戦線が抜け駆けをして投げ槍隊による突撃を敢行すると、他の部隊もそれにならって突撃した。戦車部隊は東側から、親衛隊と近衛連隊は南側から攻撃した。宇都宮守備隊は持ち堪える事ができずに山から北側に向かって個々に敗走した。
宇都宮攻略戦のその後
たかしは山頂に登って勝利宣言と宇都宮平定宣言を出した。一方でたかし自身も強行軍による疲労も大きく、一部の兵士を残してその日のうちに茨城に退却した。
この戦いの結果として部族の東西間の交通の危険性は大幅に下がり、東山道を東西に抜けての列島横断が盛んになった。たかしは宇都宮を支配下においたものの、租税の徴収はせずに武器だけを没収して監察官を置く事に留めた。
逸話
・たかしが8月26日の野営で豪華な食事を取って宣伝したため、部族内外から羨望の声が上がったとされる。
・8月26日にたかしがカエルを発見し、撮影した。岡山在住の部族TMMSは、これは新種のツノツノザウルスカエルであると述べた。
・部族12将の1人、みょんにーまんは出陣の前夜にたかしからFV4202を贈られたが、たかしが帰還する3時間前まで乗りこなす事ができないでいた。
・部族の副将しゅぎもんはたかしの軍靴に対して「華美でなければ気が済まない人だ」と苦言を呈したが、たかしは誤解であるとしている。
・登頂後、天気が悪くなってきた事を心配した部族のきゃみに対して、たかしは「宇都宮の行く末を表している」と発言し、暗に強い支配に移行していく事を示唆した。
・行軍及び戦闘中に最もたかしを悩ませたのは、昆虫のブヨであるとされる。
参考文献
『ウンバボ年鑑』
『バボ鏡4292年編』
関連項目
たかし(Takashi1919_)
おうか(inariouka4)
カテゴリ:ウンバボ族の歴史|ウンバボ族の戦争
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