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ウンバボ族誕生の記

秋は何処や、もう待ち遠しい。暑くて仕方ない。今日はお尻の穴から小便を出してグッタリしていたら、もう帰って良いと言われた。明日ようやく病院が取れたので休み。抗うつ薬を増やしてもらいたいが、まあ適当な処方をされて帰されるのがオチだろう。

折角なので10周年記念に、WGを称える記事を書きたいと思いつつも、特に褒めるような事でもなくて、書く事も見当たらず。本来ならばA46試乗の感想を書くべきなのだが、先ほどから例の腕の振るえが出てきて、キーボード打つのもやっとなので、戦車は控えてnoteを書く次第。


ウンバボ族とは何か。

ようやく語るべき時が来て、書き残しておかなければならない。

現在の東関東、房総半島の付け根から霞ヶ浦の周辺にはウンバボ族が太古から住んでいた。ウンバボ族はポリネシアンを祖とした民族であった。ここには最初1919人の人々が集住し、釣りや採集をしながら暮らしていた。ウンバボ族は土地に様々な銅像を作り、守り神とした。

当時の日本にはこれとは別に南西方面から進出してきたモンゴロイドがいた。後に日本人の祖となる縄文人である。縄文人に対し、ウンバボ族の族長は「多嘉師」と名乗り、交流を深めた。

ところが、弥生時代後半になると、畿内の新王朝は急速に発展し、ウンバボ族の領土を圧迫した。新王朝からの軍勢を率いた吉備の将軍「多嘉師木羅亜」は、満月に祈って呪術を使い、部族の男子を全て精子の状態に戻してしまった。

そしてウンバボ族は滅亡したのだ。

しかし精子の状態になった部族のDNAは、地を這い川を泳いで、茨城にある一つの家の女性の胎内にたどり着いた。すでに3000年の時が過ぎていた。しかしながら、秘められたウンバボの力により、奇跡の受精を果たす。

そのころ、牛久市では巨大な銅像が再発見された。

生まれた1人の男は、当然そのことを知らずに育った。ある日男は、そそり立つ銅像と、自分の棒が似ている事に気づく。次の瞬間、彼の部族としての記憶が全て蘇った。

彼は家来となる数名の男と銅像の元を訪れ、部族伝来の銅剣を掘り出し、それで手の甲を切って血を捧げ、必ずや部族を再興すると誓うのだ。

ここに彼は「Takashi1919_」を名乗り、彼の数名の家来と義兄弟の契りを結んだ。Takashi_は族長の名前である多嘉師を、1919は最初に集住した1919人を表している。


これが、現在のたかし族長の真実の話である。彼の背の高さが並外れているのは、彼が太古のポリネシアンの血を引き継いでいるからである。

今やウンバボ族は急速に発展している。族長の真に尊敬できるところは、ポリネシアンの血を引いていなくても、部族を名乗って臣従すれば認めるという懐の深さを示したところにある。

私も新ウンバボ族として、名前に恥じない行動を心がけたいものだ。

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インターネットを渡り歩いてまだ6年、色々なカテゴリを楽しみ、「消費者」として生きています。 そんな文化の消費者の毎日思ったことアレコレを書いていきます。雑記。