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Vtuber・クリエイターの中での成功者・先行者
Vtuber文化を語る第3弾。
まず「成功者」を定義する。例えばVtuberで言えば現在のホロライブのタレントはほとんどが成功者である。巨大なコミュニティにおいて100万人登録は当たり前になりつつある。コミュニティにおいてある一定のレベルで…例えば専業化した者を成功者と定義することはできる。その定義は各々に任される。これは簡単だ。
「先行者」を定義するのは難しい。現在成功者として君臨するVtuberの中から先行者を見つけるとする。例えばホロライブならときのそら氏は先行者と成功者の両面の要素を持っている。これは「下積み時代」を指してではない。私はときのそら氏は下積みが長かったために人気が出たと思わない。時期的に評価が薄い時代が多かったが、その苦労が認められて現在の成功があったわけではないとする。つまり本来評価されるべき部分で評価されていなかった部分が問題なのであって、その苦労の部分の必要性は存在しない。先行者とは文化的にコンテンツを最初に提供し始める人であって、そのコミュニティの形成される前から供給を開始した者を指して言うと定義する。
先行者と成功者の両者を兼ね備える人を見つけるのは容易い。先に述べたときのそら氏や、キズナアイ氏は先行者と成功者の両面を持っている。両者は両立する。技術者界隈ではビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズ、Youtuber界隈ではHIKAKIN氏は先行者と成功者の両面の要素を持っている。
では、先行者の要素だけを持つ人物は存在するのだろうか。
先行者はコミュニティにおいて最初に生産を始める人と定義したわけであるから、先行者のみの要素のみを満たす人物も理論上存在するはずだ。
先行者を定義できる時期は過去に対して現在だけではない。つまり、過去にそのコミュニティを作る事に寄与した事績だけを持って先行者はそれだけと定義するに留めるのは誤りである。これは時間の不可逆性が事態を難しくしている。私が言いたいのは、成功者の中に先行者が居るだけではなくて、成功者でないけれども先行者は存在しうると言っている。
例えば2017年の当時に生きていたとして、「ときのそら氏は先行者である」と言う風にカテゴライズできる人間は限りなくゼロに近かったのである。そのため、ときのそら氏は当時流行らなかった。これが歴史である。
しかし私が今ここで「先行者」を定義した事によって、これを読んだ人は現在のVtuber・クリエイターの中から先行者を観測することが可能になった。
先行者はその性質上、すぐに評価される事が極めて少ない。その多くはインターネットの影でひっそりとコンテンツの生産を続け、大半が光を浴びる事なく消えてしまう。一部の者が運良く成功者になるが、その割合は極めて少ない。そのため、多くのクリエイターは先行者でありたいと願いつつも成功者の要素を満たすという条件を付けて少しずつ先行者の要素を加えている。
クリエイターは、自分が成功者たりえるために自分独自で生産することは少ない。例えばゲーム実況をしてゲームタイトルの二次利用を行う。ゲームなどでもまずはブランドやスタイルなどを調査し、それが著作権的に実況できることを確かめ、そのゲームが流行ることを確信した上で配信する…コンテンツの生産を行う。
動画などでもまず流行っているミームがある時、それが自分にも適合するか調べる。
これによってインターネットが極めて普及した現在においても、インターネットミームの伝達にはかなり時間を要することが多い。クリエイターの多くはミームが流行した時にまずその性質を調べる所から始め、自分から積極的に取り入れる事が出来るか思考する。ミームは一瞬で伝達・理解されるが、実際にミームを利用して作品を出力する速度は緩慢である。
このことは、ミームの最初の生産者たる先行者をより影に追いやる事実でもある。
※ミームとは何かは後日解説する。
先行者はコミュニティにおいて最初の生産者であるが、コミュニティは小さく幼稚で、コミュニティが将来持つべき様々な能力を欠くことが多い。しかし先行者が通った道を多くの人間が通ることにより成功者が生まれる道筋を作ることができる。その道の更に最前線を進む先行者が高い評価を受けることは極めて少ない。それは現在キレイに舗装された道筋を進む成功者に比べて、先行者が進む道は獣道であり危険な道に見えるからだ。そして多くの人間はその道の先…つまり時間の流れで明日や明後日の近くは見えても、遠い未来まで見通す能力を持つ人は少ない。
この現象はXなどで多く観測されてきた。フォロワーの少ないアカウントが面白い事を呟いてもリポストは少ない。ところがそのポストを見た多くのフォロワーを持つ人物がそれをパクツイして莫大なインプレッションを得ることがある。それを見た最初に呟いた人が、なぜ自分は伸びないのかと嘆くことがある。私の言っているのはこういうことだ。
私はこの記事で「最先行者を観測して追随せよ」という事を書こうとしている。
先行者と成功者の両方を要素を持つ人は、大半が莫大な成功を収めている。ホロライブはときのそら氏を代表として事務所それ自体が成功者と先行者の両面を持っていると思う。しかし最も先行しているわけではなくて、ホロライブはホロライブの先を行く先行者の観測能力に長けている為にそのコンテンツを受容し再生産することにより両方の要素を獲得している。にじさんじも同じ事が言える。
成功者の多くは最先端を観測し、自分に適応させる能力に富むという特徴が認識できる。つまり最先端である必要はない。つまり観測能力に優れた人間は、成功する1つの要素を満たしている。
成功者の観測能力が低くなったとき、コンテンツの生産能力が低くなってコミュニティの力が弱まっていくように感じる。これは最先端を観測していた成功者がモチベーションやバイタリティを失ったために起こる現象であるとここでは解釈できる。もしくは先行者の観測をやめて、自身が最先端たろうと挑戦しているのかもしれない。そのどちらかの理由により観測のフィードバックが視聴者やファンに届き辛くなり「外れた」「前より面白くなくなった」という感想が出てくるようになる。
これらの理由から、クリエイターは「成功者よりも先行者を観測せよ」と言いたい。先行者が見えている時、クリエイターは最先端のミームを後進に発信することができる。最先端に追随するとき、成功者は先行者の要素を兼ね備えることができる。
よって、クリエイターは「流行りを追う」のではなくて、「流行りそうなものを追う」ほうが成功しやすい。つまり現在よりも未来を追うのだ。そのためゲーム実況者なら次に流行るゲームに敏感になるし、歌ってみたならボカロPの次の投稿を気にする。そもそもVtuberというジャンルから逸脱せよと先の記事でも述べた。その上で、更に先を行くためには現在流行っていないコンテンツも試験的に取り入れる事を目指すべきだ。
私は中堅のVtuberなら「新人Vtuberを観よ」と言っている。新人Vtuberは今までにないコンテンツを備えている可能性がある。それは観測しないと分からない。新人Vtuberはすぐには成功者ではないが、先行者の要素を持っている可能性がある。
闇雲に上を目指して自分より登録者や同時接続数が上のVtuberを観ても、その人の後ろを追随することができても1個先を進んでいく事ができない。うんと上のVtuberなら尚更だ。
先行者の観測は極めて難しい。一見すると社会常識やそれまでの理論理屈を無視している場合もあるし、すぐにいなくなる可能性もある。様々な不安点を持っている可能性が高い。
しかしそれらの不安定さもコミュニティの醸成と共に化ける可能性があり、一概に「取り入れてはならない悪」と決めつけることはできない。
なぜ新しいコンテンツを追求する必要があるかは、私がこれまで語ってきた通りであるのと、マンネリ化を防ぐ目的だ。そのためクリエイターには先行者たれと述べている。最先端に行く必要はない。その先の方を見るだけで良い。
それだけだ
了
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