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富士山麓ツアー:ハレ

 11月10日、富士山麓ツアーと称して総勢18人で山梨県富士吉田市の北口本宮冨士浅間神社と 山梨県南都留郡富士河口湖町、河口湖のほとりにあります冨士御室浅間神社を参拝しました。 

 北口本宮冨士浅間神社は「北口本宮」の名の通り富士山の北側です。地元の方を始め、甲府方面の方は西側から、東京、埼玉、群馬の皆さんは東側から、神奈川、静岡の皆さんは南側から、それぞれ電車で、バスで、車で富士山駅に集合しました。
 遠くからもお集り頂き、嬉しく思いました。初めてお会いする方もいて、こんなに若い信者さんがいるんだと驚いたり。
 地元の方には、「最近はインバウンドで外国の方が凄く多いんですよ。」と聞いていました。確かに何処に行っても外国の方がいらっしゃいましたが、特に河口湖駅は外国人ラッシュでびっくりしました。

 北口本宮冨士浅間神社は富士山麓の鬱蒼とした森の中、樹齢何百年かの巨木に囲まれ、強い気を感じました。
 多くの神社が東か南を向いているのに対し、この神社は北北東を向いています。
 その理由は、この神社が、昔、日本武尊東征の際、この地で富士山を遙拝したという故事を起源としているためで、神社が北北東を向いているというより、この神社を拝むとその向こうには富士山があって同時に富士山を拝んでいるという様に造られたからです。(推測です) 

北口本宮冨士浅間神社 鳥居前

 4台の車に乗り合わせて行きましたので、それぞれ、巨木の間の駐車可能なスペースに車を駐め、予約してありました正式参拝のため、本殿に向かいました。
 当日は11月の日曜日ということで七五三参りの人たちも多く、晴れ着姿の男の子や女の子が大勢いて賑やかでした。
 少し待ちましたが、程なく案内されて先ずは全員で祓い所へ。神職が祝詞を上げてお祓いをしてくれ、そこで暫し待機。前の組の方の御祈祷が終わり、私たちが拝殿(参拝者のスペース)へ。 

北口本宮冨士浅間神社 拝殿

 ここの幣殿(拝殿と本殿(ご神体を納めるスペース)をつなぐスペースで、ここで神職が祭祀を司る)は拝殿と本殿より一段低くなっています。神社建築様式のひとつの権現造りではこういう形のようですが、時々こういう神社に出会い、何故、神職の場所が参拝者より低い場所なのか疑問でした。
 ChatGPTによれば、本殿と拝殿をつなぐ幣殿が一段低いことにより参拝者が直接本殿を拝むことが出来、また、低い幣殿で拝殿の参拝者には本殿の高さがより強調され本殿の崇高さが増すとの回答でした。
 その真偽はわかりませんが確かに立派な本殿でした。写真が撮れませんので残念ですが。 

 正式参拝は神職が祝詞奏上、私が皆さんを代表して玉串奉奠、全員揃って二礼二拍手一礼して終了。希望者にお札と「北口本宮冨士浅間神社のすべて」という立派な冊子を頂きました。
 清められた感じがしました。

 北口本宮冨士浅間神社の後、大塚丘を参拝しました。大塚丘は北口本宮冨士浅間神社が788年に現在の場所に移るまであった場所です。現在は日本武尊が祭られています。小高い丘にある小さな祠ですが、ここもまたいい気がする所です。
 北口本宮冨士浅間神社から大塚丘まで歩いて10分ちょっと。近いから歩いて行こうと言ったのはいいのですが、上り坂で少し大変でした。 

 大塚丘から、今度は冨士御室浅間神社へ。
 こちらは人影もまばらで湖の近くということもあるのでしょうか、高い木が迫ってくるという感じもなく広々とした静寂な境内で非常に落ち着いた感じの神社でした。
 里宮と1973年に富士山二合目から遷座されたという本宮があり、それぞれお参りしました。
 神使の撫牛という石を彫った牛があり、身体の悪いところを撫でてから牛の同じ場所を撫でるとよくなる病気平癒ということでペタペタ撫でました。 

冨士御室浅間神社 里宮
冨士御室浅間神社境内にある「百福の龍宝珠」

 時間が押してしまい、地元の方が予約してくれてありました桔梗屋東治郎富士吉田店へ遅い昼食に急ぎました。桔梗屋さんというのは信玄餅しか知りませんでしたが、レストランもあったのですね。ほうとうを食べましたが、具沢山でおいしく、サラダバーもあって満足でした。 

 満腹になった後、最後の目的地の富士山ミュージアムに行きました。
 「ふじさんVRシアター」という壁四面と床をスクリーンにした部屋で景色を眺めながら仮想現実(VR)で富士登山の疑似体験し、2000分の1のサイズの富士山模型とスクリーンに映像を投影する「ヘリテージ富士」、富士山や富士山信仰の様々な映像や展示物等々を堪能し、隣にある「古民家カフェ KONOHANA」で一服しました。カフェは残念ながら4時オーダーストップ、5時閉店ということでここも慌ただしくなりましたが、楽しく過ごしました。 

 解散の前に、二、三の方と次のようなことをお話いたしました。
 玉光神社教祖の本山キヌエと準教祖の余島シズエは神様からのお言葉に従い、日本各地の土地をお浄めして回りました。それは、その地で起きた戦などにより、恐怖、苦しみ、恨み、怒りに捉われている霊や神様に鎮まっていただくために行ったと私は聞いています。初代宮司本山博、現宮司本山一博もまた、あちこちをお浄めしました。
 勿論、私たち信者にそのような力はありませんし、そのような危険なことをするべきでもないと思います。
 しかし、こうやって各地から集まった私たちも、もしかしたらお互いの先祖は戦国時代、所領を巡り戦をしていたのかもしれません。もしそうだったとしたら、私たちが一緒に今回富士山麓北に集い、ここの神様にご挨拶することができたことは意味あることだろうねと、そんな話をいたしました。