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長い翌日-救済-9

家に向かって大通りを歩く。シャッターが閉まった店たち。時々出所もわからず香る石鹸の香。子供とお父さんが一緒に湯船に入って笑っている図を想像するけれど、まばらに歩く、近くの人たちと自分の靴音が聞こえてくるのみで、子供の明るい笑い声は暗い道のどこにもなかった。帰って、マスクを外し、バッグを片付けて冷蔵庫の麦茶を飲んでしまった。今は秋なのか冬なのか、そういったことに疎いけれど、何故か、それほど寒いと感じていなかった。午後7時過ぎ。病院を出たのは5時過ぎだった筈だ。それにしては時間が経ちすぎているのが妙だなと思った。遮光カーテンは閉めてあるが、少しだけ隙間が空いていて、白の薄いカーテンが見えている。一瞬何かの影が通り過ぎた。UFOに乗った宇宙人が私に手を振っていたのだろうか。漫然と…、お風呂に入った。湯船で顔の筋肉を動かしてみたりした。お風呂の湯を背後で抜きながらバスタオルで体を拭き、風呂っていうのは、無意識なもんだなと思う。私の場合、特に意図も計画もなかったなぁ、などと。今日初めてそのことに気がついた。野菜炒めと、こんにゃくの土佐煮と、味噌汁を作って夕飯とする。もそもそと食べ進む。やはり鶏がらスープのストックは切れていたから、買っておいて正解だったと振り替える。確かに野菜炒めは野菜炒めの味。こんにゃくの土佐煮はこんにゃくの土佐煮の味、味噌汁だって…、各々の味があるのだが、味がない。私はなんとも文学的に夕飯を食べているな、と述懐せざるを得なかった。今は部屋に音がない。外からは…、工事の音もない。そりゃそうだ。この時間に工事はやっていない。時折バイクの音が聞こえたり、何の音なのかわからない音、かなり上空を赤い光を点滅させながら飛ぶ飛行機の翼が空気を切って行く音が聞こえてくる。私はシャッターを閉めずに遮光カーテンを開けた。外から見たら、私の窓はどう映るのだろう。多分だが…、そんなにさみしそうな明かりではなく、健康で、一般的な幸福があるような明かりに見えるんじゃないかって想像する。 
 ベランダから手の届く位置に街灯が立っているのだ。小さな、小さな虫たちがその灯りに憩うのだろう。その小さな虫たちは何を食べて生きているのだろうか。精一杯口を開けていても罪の大きさは私より遥かに小さそうだ。街灯はそのシャッターが閉められた道、時折小さな居酒屋や、スナックがある道、その酔客の罵声、女性のヒステリックな突然の笑い声、月のみの足元のおぼつかなさから、歩く人を随分と救っているのだろう。私はベッドに横になりながら、その街灯を見ていた。街灯は寄らず、地面にまっすぐただ立ち尽くしている。そしてその灯りは目に刺さる痛さもないし、灯りの輪郭だって曖昧なのだ。何かが突き破った。私は声を出して泣いた。しばらく泣いていた。
 彼へメッセージを入れていく。
「書けなくてね。書けなくなっちゃって」
「私さ、書いてて楽しいの。工夫?っていうのかな、読んでもらうための文章には工夫とかトリックみたいなものも必要で。殊更見えないように書きたいけれど。まあ色々じゃん?様々。そういうことを考えながら、書くのって楽しかった」
「そして、書くって書く以上の、書いていて楽しいっていう以上の何かだった」
「けれど…、今真っ暗でも真っ白けでもなく、何も見えなくってね、私は書くっていうこと以上に一体何がしたいんだろうって」
「そしてたらね、つまりは…、書けなくなった。色々考えてた。けどみんな無理なのかもしれない、前行ったことあったでしょう?引っ越すっていう話とか、無理かも」
「外来行ってきたー。先生が『ぶつかったんだよ』って。何にぶつかっているのかわからなければ、見えなければ、方向も定まらない。蹴破る方法もないし。ダメかも」
愚痴とか…、泣き言と言った種類の物だろう。けれど私は医師に相談っていうふうじゃなく、彼になら、彼にのみ、こういう風にしゃべれるし、言えるのだ。以前、冷蔵庫が突然壊れ、彼は瞬時の躊躇いもなく、冷蔵庫を買い、ビックカメラからそれは私の部屋に届いた。キスして欲しい。「セックスしよう、セックスしに来て」そんなフレーズより、彼には言いにくい言葉だ。1年位前、彼が私のベッドにいたときに、思わずキスしてしまった後に「キスしていい?」と聞いて、二人で笑ってしまった。
今度はこの前のライブで買ってきたCD「THE LONG AFTERNOON OF TABATA」を聴きだした。現在、アフタヌーンではないけれど。
CDが終わった。布団の上で目を閉じた。転寝をした。そして、ほんのちょっとの転寝の間に私は夢を見ていたらしい。

横になって目を瞑る

命を助けてくれた人がエレベーターの前に立っていた
デパートのエレベーターの前に立っていた
両手を白衣のポケットに突っ込んで
おんなじ笑い方で笑ってた

目が覚めたら、いなかった

私は文章書きながら、涙が零れてばかりいる
あの人に質問したくって

師匠に昼間慌てて電話した。無情な「現在使われておりません」。薄々わかっている。もう2度と会えないのだと。川と言っていいのかわからない。あれは夏だった。鉄柵の上から川底を二人で覗きこんだ。小さい魚が、それほどたくさんっていうわけでもないけれど泳いでいた。突風が吹いた。師匠とその川底を眺めながら、何かを話し合った。蕎麦屋でご馳走になった。師匠はかけそば、私は力そばの冷たいやつを食べた。バスと電車を乗り継いで、どこかへ行った。バスを降りて私は師匠に質問をする。「生きるを生きやすいに変える妙諦とは?」「教えない」。電車に乗ったら師匠は座席に座った。私は師匠の前に釣り皮を持って立つ。「師匠、座るんですか?」「ああ、俺は座るんだ」「そうですか」「お前の生きる妙諦とはいったいなんだ?」「私ですか?サボらないようにすることです」「なるほど」。CDをたくさん焼いてもらった。初めて知るミュージシャンが多かった。対面して紅茶をすすっていたら、師匠が怒りテーブルをドンっと叩いた。紅茶がソーサーをまたいでこぼれた。公園で缶コーヒーを渡した。おそらく春だ。スカートからにょきっと出ていた脚に春の空気がまとわりついていたから。師匠はプンプンとした態度を取った。「おい、この公園にそう長く居るわけじゃないんだぜ。この缶コーヒーは飲むが、確かに俺は飲む。しかしなんの積もりだ?蓋がない」「蓋がない缶コーヒー、多く見かけます」「俺がコーヒーを飲み残した場合、この余ったコーヒーが入った缶を均衡崩さぬよう、持って俺はよろよろと歩くことになる。お前がそれを俺に強いたという訳になる」「わかりましたー。私が持ちます~」。
「育てろ。育てるんだ。午前中から書くんだ。お前は確かに駄目な奴かもしれないが、そう捨てた奴では決してないぞ」。

曲紹介:THE LONG AFTERNOON OF TABATA/田畑満

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ラヴィル
小説を書きながら一人暮らしをしています。お金を嫌えばお金に嫌われる。貯金額という相対的幸福には興味はありませんが、不便は大変困るのです。 ぜひ応援よろしくお願いします!