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史上最も多くの人が犠牲になった建物崩壊事故TOP10
毎年どこかの国で、大規模な建物崩壊事故が発生しています。
老朽化やメンテナンス不足、設計の問題、耐久容量を超えたなど、崩壊理由は様々ですが、数十人の犠牲者が出れば大惨事と言っていいと思います。
ところが歴史上は数百人・数千人・数万人規模の建物崩壊事故も起こっています。責任者を大量殺人の罪で逮捕すべきレベルなのですが、いったいどのようなきっかけで起こったのかを見ていきたいと思います。
なお、今回は爆破テロなど「誰かが意図的に壊そうとして崩壊した」事件は含まず、人為的ミスで崩壊した事故のみのランキングとなっています。
10位:マルパッセダム決壊事件 1959年(フランス)
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マルパッセダムは南フランスのカンヌ近郊のリヴェリアという場所にあるコンクリートダム。 1952年に建設が開始され、1954年4月に完成しました。
特徴は「薄さ」で、高さ218フィート(66メートル)の高さに対し、ダムの最大の厚さ22フィート(6.7メートル)で、これは当時最も薄いアーチダムと言われました。
ところが完成からわずか5年後の1959年12月、数日間降り続いた雨と強風に耐えきれずに崩壊。濁流となった水が麓の街を襲い、421人が死亡しました。
原因は、ダム建設開始前に基礎調査をほとんどやっていなかったこと。
ダム崩壊後の実地調査で、ダムは下流方向に向かって30度〜50度の傾斜がある片麻岩の上に建築されており、しかも下流に断層が見つかり、まったくダム建設に適していない場所であったことが明らかになりました。
9位:三豊百貨店崩壊事件 1995年(韓国)
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三豊百貨店崩壊事件は今でも覚えている方が多いかもしれません。
もともと地下4階・地上4階のオフィスビルとして建てられる予定だったものの、建設中に三豊建設の方針変更により5階建の商業施設を建てることになります。4階建を急遽5階建にすること自体が無謀でしたが、さらに三豊建設は、見た目を重視し中央部の柱を取り除きエレベーターを設置した他、柱を細くしたり鉄筋の数を減らしたり、挙句80トンの給水タンクを設置しました。
そして1995年6月29日、重さに耐えきれず、建物は両端を残して崩壊。502人が死亡しました。
被害が拡大したのは、上層部がこの日の午前中にひび割れが拡大している報告を受けていたにも関わらず、客や従業員には一切知らせなかったためです。さらに酷いことに、自分たちは逃げて助かっていたのです。会長、社長ら幹部は逮捕され懲役10年の実刑判決となりました。
8位:セントフランシスダム事故 1928年(アメリカ)
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セントフランシスダムはロサンゼルス北西部にかつてあった湾曲したコンクリートダムで、1924年に建設が始まり1926年に完成しました。
このダムの建設に携わったのは、ウィリアム・マルホランドという技術者。彼は独学で工学を学んでロサンゼルスの堤防や水路の設計で著名な人物でした。しかし、コンクリート製のダムの建設は1回しかない。
にも関わらず彼は自信満々で、地形調査もロクに行わず、第三者の検証を受けることすらなかったそうです。
彼の設計したダムには、補強のための鉄筋は入っておらず、漏水対策もされておらず、安全確認のための監査廊すらありませんでした。
ダムが完成して約1年後、ダムの各所にひび割れや漏水が相次いでいる報告を受け、マルホランドは部下と共に確認に訪れました。
ざっと見て回り、彼は「問題ない」として引き上げました。ダムが崩壊したのはその約12時間後。水が麓の街を襲い、600人が死亡しました。
7位:ダッカ近郊ビル崩落事故 2013年(バングラデシュ)
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2013年4月23日、バングラデシュの首都ダッカ近郊の町サバールで、8階建のビル「ラナ・プラザ」が崩壊。1,127人が死亡しました。
もともとこのラナ・プラザは商業用ビルとして建てられましたが、バングラデシュの主力産業である衣料品・縫製品を生産する工場がビル内に作られ、しかも違法に大型の発電機が持ち込まれ設置されていました。
ラナ・プラザ自体がもともと工場を想定して建てられておらず、しかも建設の際に原価をケチるために建築材料に必要な基準を満たしていない鉄筋やれんがなどを使っていたため、各階に4台ずつ設置された発電機の振動に耐えきれずに崩壊しました。
ファストファッションの世界的流行に伴い、アパレル業界がバングラデシュの安価な労働力を酷使している実情とその歪みが浮き彫りになった事件でした。
6位:永代橋崩落事故 1807年(日本)
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永代橋は隅田川にかかる橋で、水天宮前と門前仲町との間を結んでいます。
建設されたのは1698年の徳川綱吉の時代で、庶民の足として大変賑わう橋でした。橋を渡った先には富岡八幡宮があるため、参拝客でいつも賑わっていたようです。
ところが1807年8月19日、この日は富岡八幡宮のお祭りの日で、いつにも増して参拝客が多く、橋の上は押すな押すなの大混乱状態。メンテナンスが追いつかず老朽化していた橋は、この時の重量に耐えきれずに崩壊。多くの人が隅田川に放り出され、1,400人が死亡しました。
その後永代橋は何度か再建されるも、明治時代に入っても一部では木材を使っていたため、関東大震災で焼けて再度崩落し死者を出しています。
現在のスチールアーチ橋になったのは1926年のことです。
5位:バイオントダム災害 1963年(イタリア)
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バイオントダムはイタリア北東部を流れるピアージェ川の支流バイオント川に作られたダム。1960年に竣工された当時世界で最も高いダムで、イタリアの戦後復興の象徴でした。
ところが1963年、この年は異常気象で記録的にな豪雨に見舞われバイオントダム周辺の地盤が非常に緩くなっていました。そして10月9日午後10時39分、ダム左岸の山が大規模な地滑りを起こし、2億6000万立法メートル以上の土砂が時速109キロのスピードでダムに流れ込んだのです。
大量の土砂がダムに流れ込んだことで巨大な津波が発生。津波は山の斜面を駆け上り、山の斜面にある集落を飲み込み、さらに津波はダムの頂部を乗り越えて下流に流れでました。この結果、村人と工事関係者1,900人〜2,600人が死亡。壊滅したロンガローネ村の名をとって「ロンガローネの悲劇」として有名です。
破壊的な津波に襲われたにも関わらずバイオントダム自体は損傷がほとんどありませんでしたが、放棄されることになりました。
4位:サウスフォークダム崩壊事故 1889年(アメリカ)
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サウスフォークダムはペンシルベニア州ジョージタウンの近郊にあるロックフィルダム。1852年に建設された当初の目的は、ペンシルベニア運河の一部門に水を供給することでしたが、あまり丁寧にメンテナンスがされずに1862年に排水渠が破壊されダムの一部が崩壊。そのまま遺棄されてしまいました。
その後ダムとその周辺は1879年に富豪のベンジャミン・ラフという人物に売却されました。彼はこのダムを富裕層が釣りや狩猟を楽しむための施設にすることを計画。
ダムの石積み部分を低くしてクルマが通れるようにし、魚が逃げていかないように排水部に金網を張りました。破損した排水渠は除去されるも新たに設置はされることはありませんでした。
そして1889年5月31日、ペンシルベニア州を暴風雨が襲った時、ダムは適切に水やゴミを排除することができずに水が溢れ、洪水がジョージタウンを襲いました。この洪水により2,209人が死亡。
これは2011年9月11日以前だと全米最悪の建物崩壊事件でした。
3位:チルコ・マッシモ崩壊事故 140年(ローマ帝国)
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チルコ・マッシモはローマにある古代の戦車競技場。
ローマのパラティーノの丘とアヴェンティーノの丘の間にあり、ローマ観光に行ったら必ず訪れる場所と思います。15万人の観客を収容できたと言われる、古代世界最大のスタジアムです。
その歴史は古く、エトルリア人の王として有名な王政ローマ第5代王タルクィニウス・プリスクスの時代に木製の観客席を作ったのが始まりで、紀元前329年に常設のスタンドが建設された後、代々増築を重ねて巨大化していきました。
カエサルの時代に軌道のほぼ全面を走るために座席層を拡張し、観客を保護しフィールドを排水のために、軌道と座席の間に溝が掘られました。アウグストゥスの時代には皇帝観覧席が設けられ、フィールドの中央にエジプトから運ばれたオベリスクが設置されました。クラウディウスの時代に巨大な石門が建築され、トラヤヌスの時代に競技場全体が大理石や漆喰で固められた一大建築物に仕上げられました。
しかしアントニウス・ピウスの時代に観客席の上部が壊れ、この事故で1万3,000人が犠牲になりました。
その後もチルコ・マッシモは使われ続けましたが、現在は跡地はあるものの建物の遺構はほとんど残っていません。
2位:フィデナエ円形闘技場崩落事故 27年(ローマ帝国)
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ローマ郊外の町フィデナエには、アティリウスという名の男が建設した木製の円形闘技場があり、これは「とんでもなくチープな」作りであったそうです。
ティベリウス帝の財政再建時代、もはや市民の娯楽の定番となっていた剣闘士の戦いの見世物はたびたび禁止され、不満が高まっていました。
紀元前27年、剣闘士試合が解禁されるとフィデナエの市民は円形闘技場に殺到。あまりにも人が大勢詰め掛けたため、チープな木製の観客席が倒壊。
2万人以上が死亡し、5万人以上が負傷するという古代世界最悪の事故となりました。
惨事の知らせを聞いたティベリウス帝は、滞在先のカプリ島から直ちに現地に駆けつけ陣頭指揮を採りました。元老院は同じような事故を防ぐために、報奨金40万セスルティウス以下の剣闘士試合を禁止し、今後建設される円形闘技場について基礎をしっかりと作り点検を定期的に行うように命じました。
1位:板橋ダム決壊事故 1975年(中国)
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板橋(ばんきょう)ダムは、1949年と1950年に相次いで淮河で洪水が発生したことを受けて、淮河を利用し洪水を灌漑に利用するという目的で1952年に完成した一大河川工事事業の一環でできたダムです。
河南省の淮河には100以上のダムと数万もの貯水池が建設されました。 1958年に大躍進政策が始まったとき、この計画は国家的プロジェクトとして持ち上げられて建設が加速し、大躍進の終了後もダム建設は続きました。
しかし1975年8月、大型で強い蓮娜台風が河南省を直撃し、淮河の水量は急速に上昇。わずかな時間で大型ダムの板橋ダム・石漫灘ダム、中規模ダムの竹溝ダム・田崗ダム、その他58基の小型ダムが決壊し、洪水が町を襲い多くの人が溺死。溺死は免れても、疫病や飢えなどの二次災害が人々を襲い、推定で17万1,000人が犠牲になったと言われています。
当時の中国は極端な情報統制下にあったため、長年この大災害の全容は不明でした。2005年に法律の改正により中国政府な一部の情報を公開したものの、この情報も犠牲者の数をかなり少なく見積もったものであると考えられています。
まとめ
安全性を考慮せずに見た目や機能だけを追求したり、基礎調査や基礎設計を怠ったり、想定収容人数を考慮しなかったりなど、大規模な建物にはそれなりのリスクがあることを考えなかった結果起こっている事故がほとんどです。
大規模な建物がどんどん建築されていますが、もし、経済破綻や戦災などで現在のように適切にメンテナンスできなくなって放置されるようになってしまったら、いったいどうなってしまうでしょうね…。 考えるだに恐ろしいです。
参考サイト
"Sint-Servaasbrug" Holland.com
"Case Study:Malpasset Dam (France, 1959)" Lesson Learned
"Case Study:St. Francis Dam (California, 1928)" Lesson Learned
"韓国・デパート崩壊から19年 死者502人、沈没事故との共通点とは" huffingtonpost
"ビル崩壊の原因は「工場の発電機」、バングラデシュ当局" AFP BB NEWS
"Case Study: South Fork Dam (Pennsylvania, 1889)"Lesson Learned
"The Forgotten Legacy of the Banqiao Dam Collapse" International Rivers
"永代橋落下事故~祭りで群集がおしかけ1400人もの江戸っ子たちが亡くなったのはナゼ?" Bushoo Japan
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