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山登りについて語るときに私の語ること

登山計画の延期

先週末の登山計画を延期にした。万年初心者の私と登山歴の浅い友人との二人組で目指す初めての北アルプス唐松岳。初心者に登りやすい山とはいえ、やはり2000メートル級の山において雨やガスで視界が悪いところを歩くのは危険と判断した。残念だけど、安全第一で。やはり天気の良い時に登りたいものだ。無理に計画を強行すると良いことはない。自然相手の計画は変更や延期がつきもの。次の機会に向けて準備をまたしよう。

山登りが好きになったきっかけ

山登りが好きになったきっかけは、13年くらい前にランニングを始めるようになって、体力や脚力に自信もついてきたころ、近郊の山をランニング仲間と登るようになったことかと思う。そもそも幼い頃に父と一緒にハイキングを一度したことはあったが、後は学校行事の遠足や林間学校で山登りをする程度で、その当時は、山登りって登りは汗だくだくになって疲れるし、あんまり好きではなかったと記憶している。高校生の時、登山部のクラスメイトがコンクリートブロックの入ったリュックサックを背負って学校の階段を何往復も上り下りしている姿を不思議な人を見るような目で見ていた。のちに自分の息子が高校生になったら登山部に入部するとはつゆ知らずに。

とはいえ、元々は私も自然の中で過ごすことがとても好きで、結婚後も夫や息子たちと森林浴しながらの里山歩きや川遊びを楽しんでいた。すると息子たちは大の虫好き、自然好きの子供に育ち、私達夫婦の手には追えず、アウトドア好きの友人たちの手を借りて、キャンプや軽い山登りをしていた。だが私は山登りの時は家で留守番していたのだ。今思えばもったい無い。でも当時はとてもじゃないが体がついていかなかったのである。女性特有の月の痛みが重かったせいもあった。

そんな私が劇的に変わったのは、医者の勧めで治療用の低用量ピルを服用してからだ。体がとても楽になり、ランニングを始め、長距離を走ることが出来る体力がついてきたのだ。ちょうどその時期、次男が高校入学、登山部へ入部し、山道具を揃えていくことに。お財布係で付き添った山道具の買い物がとても楽しくて、山への興味が一気に湧いてしまったのである。ランニング仲間は山好きが多く、山登りイベントを立ててくれたので、さほど難しくなさそうなものに参加して山登りを始めた。

初めて登った1000メートル級の山

最初に登ったのは標高1250メートルほどの神奈川県伊勢原市の大山だ。古くから信仰の山として崇められてきた山で、「大山詣り」と呼ばれる大山への参詣は、今では日本遺産に登録されている。そこへ初めて登った時、キツイとは感じず、楽しい!とずっと思いながら登れたことが嬉しかったし、頂上で仲間が沸かしてくれたコーヒーの美味しいこと、眺めも良く、頂上まできた満足感、、、とにかく気持ちがとても良かった。

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そこから山登りが楽しくて、ハイキング程度の低山を中心に登るようになった。仲間や家族と登り、時には一人で行く。山を登りながら色々なことを考えつつ、景色を楽しみ、登頂の達成感、登り終えての温泉や食事はまさに至福のとき、そして帰宅後の満足感。年に数回だが私にとって本当に豊かな時間の過ごし方の一つである。今後はもう少しこの時間を増やしたい。

計画が延期になって出てくる心配症の虫

今回の北アルプス挑戦は延期となった。次も天候がどうなるか、自分の体調は万全か、一旦計画が流れると、次も何かしら問題が起きてしまうのではないか、という気持ちが湧いてきて、心配症の虫が騒ぎ出す。私は心配症を変えたいと思っているが「心配症は準備や確認を充分にするから、いざという時にリカバリーできるところがいいところ」とTwitterのフォロワーさんが良い面を伝えてくれた。その言葉を胸に乗り越えよう。今は年齢的に足腰が弱りつつあるので、最近筋トレを始めたが、これも一つの問題解決への準備だ。できることから準備して少しずつ心配の芽を摘んで行こう。天気ばかりは仕方ない。てるてる坊主でも作ろうかしら。

終わりに 山登りについて語るときに私の語ること、について

山登りについて語るときに私の語ること、このタイトルにしたのは、村上春樹氏の『走ることについて語るときに僕の語ること』に憧れてつけたもの。(こういうふうに書いて良いものかどうかも分からない素人なので、ご指摘くださればすぐに訂正します。)私もかつてはフルマラソンを目指して走りを練習していたのだが、膝を故障してしまい、ハーフマラソン止まりだった。今は走ることはやめてしまっているが、ゆっくりと歩く山登りは続けている。山登りはどうにかして続けていきたい。年々体のあちこちに不調が生じてくる。3年前は日帰りで登れていた山はもう今はできる自信がない。今年登れそうな山は今年のうちに行きたい、来年はどうなっているか分からないから。そんな焦る気持ちがある。それが年をとっていくということなのかもしれない。でも諦めたくはない。たとえ、どんなに小さな山でもずっと登り続けたい。そして最後は、少なくとも最後まで登るのを諦めなかった、と言いたいし、言われたい。今のところ、それが私の望んでいることだ。


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