6月14日(金) ソウルフード
ひとりきりのお昼ご飯を適当に済ませたせいで
夕ごはんを作り始める頃には
おなかが空いてごはんを作り切るエネルギーがあるかあやしくなっていた。カミナリを含んだをあやしい空模様のせいかもしれない。
何かつまみながら作ろうかと思ったけど、冷えたご飯しかない。
こどもたちが回りをうろうろして
手伝おうとしてくる。
頼むから早く作らせてくれ、と思いながらも少しずつ戦力となってきている子どもたちに任せられるものを考える。
長女イチコが小さかった頃、わたしは一緒に料理できる日を心待ちにしていた。おままごとや子どもらしい遊びがつまらなすぎて、死んだような顔で付き合っていたわたしは、半ば無理やりに三歳の誕生日に可愛らしくも本格的なリスの絵が描かれた包丁をプレゼントした。これでやっとあなたの『好き』とわたしの『好き』が重なるはず、と期待をこめて。
ところがどっこい。
泡立て器を渡すと混ぜすぎる。粉ふるいを持たせるとそこらじゅうに雪が舞う。あと一息でオーブンに入るというところで生地がたっぷり入ったボウルを落とす。全くもって息が合わなかった。
三歳の子に完璧を求めても仕方ないことはわかっていたし、(今日は仏に今日は仏に……)と心を落ち着かせてとりかかっても、どうしたって、うまくいかなかった。始まりは仏でも終わる頃には鬼になっていた。
とうとう諦めて、わたしのせまい心のせいで娘が料理嫌いになってしまわぬうちに、ひっそりと、さらなるお楽しみとして封印することにした。こちらから声をかけることもなくなっていった。
そんなわけで、次女のニコに対しては、無理に料理に誘うことはしなかったのだけど、毎日ごはんを作る姿を見ているからか、やらせて〜とまな板をのぞき込むようになってきた。
不思議なことに、特に教え込んだわけでもないのに、ニコの手に包丁はよく馴染んでいた。少し手本を見せると、小さい手で器用にすーっと滑らせて切っていく。それは彼女の丁寧さによるものだと思う。
今でも、ごちそうさまのあとに、米粒が多く落ちているのはイチコのほうなのだから、面白い。
そして、だけれどもイチコにはイチコの良さがあって、絵を描くと驚くほど集中したし、細かい部分までよく描き込むし、パッとものの形をとらえるのもうまい。
育て方が一緒でもこれだけ、生まれもったなにかがあるということにいつも驚かされる。彼女たちの姿は、生かせる場所で力を発揮するのが一番いいよなあということを教えてくれる。
話をギョウザに戻すと、イチコは包むのがうまい。
ニコは野菜を切るのがうまい。
バッティングしないよう混雑したキッチンを整えながら、分担する。
もくもくと包む。
いろいろなかたちの餃子ができあがっていく。
「餃子を手作りするなんてふつうしないんだぞ」
ゲームをしながら夫がまるで自分が作っているかのようにえらそうに言っている。
(いや、クックパッドにもいっぱいレシピあるし、、)と思いながら、エネルギーが底をつきかけていたので反論することもなく空腹のため震える手で餃子を作りきった。
メニューは、餃子と野菜スープとお楽しみの沖縄のジーマーミ豆腐。
食べながら、イチコは5回も美味しいと大声で言った。
この子たちが餃子を上手に焼けるようになるのはいつだろう。
その日を心待ちにして、鉄のフライパンを駆使して何度も焼きに行く。
そろそろホットプレートが欲しい。
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お読みいただきありがとう。
p.s.毎日更新できたらと思って日記なら書けるかなということでこのカテゴリを作りましたが、書けない日もありそうです。
暮らしの中に喜びを見つけるために、楽しく書きたいことを書けるように、そして、ちょっとずつ心の内をだせるような表現力を身につけたくて、できる形で続けたいなあというところ。
誰に言ってるんだって感じですが。
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