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つかずはなれず、味方で

親としてどうあるべきか、なんて
堅苦しい話じゃないんだけど

子育てを初めてから7年を過ぎてやっと
親にできることって本当に少ないのかもしれない、と今さらだけど強く感じている

だんだんと背が伸びて
今まで見えなかった景色が見えるようになる
その瞬間こそ、本人にとって生きる喜び

「見てみて」と誰かに示されて、みつけたものを一緒に楽しむのもいいけど
自分で発見し「見てみて!」というときの表情はもっと輝いてる

その瞬間を見られるのは、子どものそばにいさせてもらっている親の喜びかもしれない

「何かしてあげたい」という気持ちは
本人にとっては時にプレッシャーになったりするもんだって、かつて子どもだった私自身も重々承知している
(勉強したの?は代表例だ)

「やったほうがいい」と言われた瞬間に、
その輝きうるはずだった存在は義務感が混ざった何とも言えないものになってしまう

今まで見えなかった景色を
自分の足でふんばって登っていって見えた時
発見する喜び、驚き、とまどい
(わ、なんかいい景色みえちゃった!)
そうやって自分の感覚を発揮して得たものこそ、宝。

ちょっと長く生きてる私たちには、
見えてるものがある
先を予測する力が良くも悪くもついている

見えてるからこそ、必要以上に誘導したりすることを、私はかつてたくさんしていたように思うし、それが親の責務だと思っていたふしもある

けれど、宝の地図を、そっと仕込むくらいで、
「ここを進むとこんな素晴らしいものが見つかるから是非ともいくべし。あちらの道は落とし穴があるから決していくべからず」なんて

ネタバレしたり
楽しみを奪ってはいけない

それに、進んだ先に何を得るかは、私と子どもとで、きっと違う

親としてのスタンスって、ともすると
無意識に受け継いでいたりするから

子どもが背負うべき荷物を、余分に背負ってしまってないか、
親としての距離感を微調整していきたいと思っている
(子どもが登ってるそのすぐうしろでおしりを押すのはちょっと近すぎる気がする)

『「親」という字は、”木”に”立”って”見”ると書きます』

最近読んだ本に書いてあったこの言葉、
何年経っても子どもとの距離感は悩むんだろうなと思いながら、
読んだ



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