6月7日(金) 今日は一日雨が降っているだろう
「君はどうして散歩をするの?」
運転をしながら夫がきいた
昨日の晩、真夜中に外を散歩した、気持ちが良かったよ
と話したのを
聞き流したようで聞いてくれていたようだ
口蓋に突き刺さるような酸っぱいキャラメルラテ
歯医者に行く前のホッと一息
君は虫歯だけどね、とどこからともなくツッコミが入る
荒い泡がくちびるにくっつく
***
普段、山に住んでいる
どんな山かは省略するけど
私は自分のすみかである山が好きだ
今日は歯医者に行かねばならないので
街へ行く日
こんな風に書いていると自分がキツネのような気がしてくる
もう一度布団に潜りたい欲望とたたかって負けて
せめて……とばんざいをして布団にあおむけになり丸まった身体をのばす
歯医者に行かない言い訳を考えてキャンセルの電話をするところまでイメージして、その精神的負担と二度寝したい欲望を少し狂った天秤にかけて仕方なく起き上がる
車にのりこむ
座るのは助手席
***
わたしは散歩が好きだ
特に夜、外を歩くことが
わたしにとって大事な時間だから
いつもじゃないけど、家族が寝静まって今だなとおもったら窓を開けて外へ出ていく
誰に断ることもなく
夫に聞かれるまで、
散歩をする意味なんて考えたことがなかったんだけど
話していくうちにでてきたのは、それがわたしの重要な目的のない遊びなんだってこと
散歩したって別に何もうまくならないし何も上達しないじゃないか
花の名前を覚えるとか目的があったらいいけど、別に興味もないしなあと夫が言う。
「うーん健康のため?」というと、
一万歩あるくとか目的があったらいいけど
運動するならWii とかゲームで身体動かして特訓する方がずっと楽しいよ僕は。確実にうまくなっていくしね
目的おばけか。
一方、隣に座る彼は彼で
(君のそういう点が本当に理解できない)という顔をしている
わたしは何もしないができる人
夫は何もしないができない人
***
わたしはなぜ外に行くのだろう
夜、外に出ていきたい衝動に駆られて外に出ていく瞬間を思い出してみる
どちらかというと衝動的な人間ではないと思っているけれど
この衝動には身を任せるが吉と本能的に知っているようだ
外にでると変化がある
いつも違う
空気の変化
しめっぽい
風がふいている 冷たい
色が移り変わっていく
虫の音
真暗い中歩いていると、それぞれの木が発する匂いが違うこと
これらを感じる
無理に意味づけする必要もない無数の生命活動
「それ(散歩の重要性)は都会でもそうなの?」
そう聞かれるとちょっと違う気がする。
車から雨降る外を眺めてみるけど、何も感じない
こんな感覚的なことをことばにするってむずかしい
***
何か似たような感覚を思い出す
「チェーン店が嫌だったのさ、東京にいた時は。だんだんと飽きてきて。いつも一緒だった、寝て起きて食べて仕事して寝て食べて起きて毎日同じ」
街中に立つと、目に入るのは建物
雨が当たるのは雨を必要としないアスファルト
それはいつも同じで、どっちかっていうと朽ちていき魅力を失っていく
カエルは雨が嬉しそうだぞう
ああ、そうか”飽きないんだな”と思った。
夜、外にでる
生きているものたちからは一瞬たりとも同じ瞬間がないことを感じる
人間だってそんなものの一部
その感覚はわたしをわくわくさせる
生きる喜びの実感につながっている
そんな気がした
「まあ、確かに自然は全然チェーン店じゃないね」
夫の言葉に、「うん、それかも」
と返した
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