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伯耆の白兎伝説

古事記に記される因幡の白兎の神話は、大国主命が毛皮をはがされたウサギの話を聞いていくところから話が始まっている。
伯耆の国にも白兎の伝説があるが、あまり知られていない。今回は伯耆の白兎の神話について紹介する。
鳥取県西伯郡大山町束積(伯耆の国)に中山神社があり、その境内にその伝説の社がある。明治元年に野火で一部が消失したらしい。大山町はこの伝説を守ろうと、令和2年3月に国道239号線の中山神社の北側に白兎の石像が設けられた。


伯耆の白兎(伝説)

伝説概要を大山町の設置している看板の内容で紹介する。

 束積に住む白兎が川をのぼる鱒の背を借り、川を往き来していたが、誤って鱒の背を踏みはずし溺れた。幸い、流れ木につかまり隠岐島まで流された。帰郷の念から鰐をだまし、皮を剥がれたところを大国主命に助けられた。「伯耆の白兎」の話は「因幡の白兎」と共に 「古事記伝」で語られている。束積に帰って一休みした岩が「兎の腰掛け岩」として残っているほか、流れ木に助けられた川を「木の枝川」「甲川」と呼ぶようになった。
 村人は白兎の愛郷の念を偲び、元の遊び場「古屋敷ケ平ル」に社を建て「素菟神社」とした。この社は皮膚病(疱値)の守り神となり、平癒の節は笠を納めるのを例とし、参拝者があとを絶たなかった。明治初年に社が野火で焼失し、今は中山神社境内に再建 され永く白兎の心情を保っている。
令和二年三月 大山町

伯耆の白兎(伝説)と古事記伝

 1936年(昭和11年)12月刊行の『上中山村郷土誌』には中山神社の社伝として、説話が掲載されいている。この話は1967年(昭和42年)3月刊行の『中山町史』にも簡略に載せられているが、これは地元に伝えられていた「兎と鱒の話」をもとに、『古事記伝』に於ける本居宣長の記述と『古事記』、『塵袋』などの「因幡の白兎」の所伝を参照して創作されたものであるらしい。

伯耆の白兎(伝説)の看板 2024.12.30
中山神社入口 2024.12.30

中山神社

創立年代不詳で往古より大森大明神といわれた。寛政年間(1789~1801)の社帳には中山大社と記されている。文政12年(1815)に社殿を焼失した。明治元年に束積社、同6年に束積神社、同38年に中山神社と改称した。

中山神社入口の鳥居 2024.12.30
中山神社 2024.12.30

鷺宮神社

 「伯耆の白うさぎ」神話の発祥の地でもある束積。中山神社の境内、北東の神職・細谷家の敷地内の一角に鎮座する。中山神社の主祭神のほかの合祭神6体の中に、白兎神(シロウサギノカミ)がある。白兎神をまつる鷺宮(さぎのみや)神社は、神社境内の一角に古い社(やしろ)が移築されている。江戸時代には天然痘が流行している時に、疱瘡(ほうそう)神として信仰されてきたらしい。

鷺宮(さぎのみや)神社 2024.12.30
鷺宮(さぎのみや)神社 2024.12.30
明治元年に焼けた鷺宮(さぎのみや)神社の跡 2024.12.30
中山神社入口(国道239号線)から雪をかぶった大山・船上山を望む 2024.12.30

因幡の白兎伝説

日本神話

 山陰の鳥取と島根にはたくさんの神話が残っている。白兎神社の由緒となっている「因幡の兎」の古事は、「古事記」に紹介されている神話である。
戦前に国語読本に「しろうさぎ」として取り上げられ、平成23年からは小学2年生の国語の教科書に登場している。おそらく日本神話の中で最も知られている神話の一つである。

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