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うれし、恥ずかし、母になっての変化。
おふとんから出るのがつらい。
きょうは寝坊した。今週は眠りの浅い日が続いていたのだ。そんなこともあるよね、と思いつつ起きあがる。
これ、昔の自分だったらあり得なかった考えかた。時間と心の余裕が生まれた証かもしれない。
きのうはわが家の2歳児さんが寝坊した。
いつもは遅くても7時には起きる。それがきのうは8時をまわっていた。
フルタイムで働いていたころは時間的制約があったため、決まった時間になんとしてでも保育園に連れていっていた。
いまから考えれば、わたしが鬼の形相だったのだろう。子どもは泣きながらも合わせてくれていた。
いまわが家は、無理に起こしていない。
2歳児さんが自分で起きてきて、何を食べたいか言ってくるまで待っている。とはいえども、ごはんは待ちきれずに誘導してしまいがちだけど。
きのうは本当に何をしても起きなかった。
白熱灯で照らしても、布団を剥いでも、窓を開けても(さむい・・)一向に寝続けていたのだ。
起きてからは、「行く」と言ってもりもり朝ごはんを食べてすっと登園していった。
それだけの出来事だけれど、その間にいろいろなことがわたしの頭をかけめぐった。
まず当日の動き。
もし保育園を休むのなら、夫と半日ずつ外で仕事するとか、昼ごはん作るのめんどくさいなとか冷蔵庫の中身を思いかえす。
そしてそのあと、今後もこれがクセになったらどうしようの不安がわいてくる。
そしてもっと先になって、今後学校とかいかなくなったとき、わたしの母としての対応はどうしていけばよいのだろうか・・・。
そんなところまで考えてしまった。
2歳児さんはきょう、7時前には起きて「〇〇ちゃんと遊ぶんだ〜」と言って登園していった。
母ちゃんはいろいろ想像して、勝手に準備したり、予防線を張ったり、いざとなった時を想定しすぎる生き物なのだろう。
わが母親を思い出してもそうだった。
無鉄砲なわたしもすこしは母親という役割に慣れ親しんできたのかもしれない。
うれしいような恥ずかしいような、変化。