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オリンピック

LGB TQ問題

オリンピック憲章には、次の一文がある。「オリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、国あるいは社会的な出身、財産、出自やその他の身分などの理由による、いかなる種類の差別も受けることなく、確実に享受されなければならない」

だからと言って、、男女性別ごちゃ混ぜにせよとは書いてないでしょ。トランス系の方々を既存の男女に無理やりはめ込むから問題が起きるんです。

競技の枠を既存の男性枠、女性枠、トランス系男性枠、トランス系女性枠、そして混合枠と作れば全ては済むでしょ。

トイレの問題もそうです。

トランス系の女性が、女性トイレに行けば、既存の女性が違和感を感じるのは、全くもって自然の感情であり、差別心ではない。では、女性が男性へ転換した方々は、何故?さほど男性トイレに入らないのか?そこには何らかの違和感があるはず。それは至ってごく自然のこと。責められたり、騒いだりする問題じゃない。

新たにトランス系のトイレを設置すべきなんです。

だって人間は未だ慣れていないから。社会が慣れていないから戸惑うんです。区別して経験を持たせる必要があります。

既に人間は医学的に男女を証明する術をなくしました。公にトランスは性同一性障害として公に認められた権利です。戸籍も至急変えるべきです。出生届も至急変えるべきです。どうせ変わりますが、遅かれ早かれ。そうしないと絶対に対応しきれないからです。

転換した人の肉体問題は絶対に賛否が分かれ正誤の判断は人間には無理な話です。気にしない方もいれば、気にする人もいるんです。それを従来の型にはめるような幼稚な方法しかとらなければ、結局誰かに皺寄せがいきます。

排除は絶対いけませんが、区別は絶対必要です。

女性も神経質な問題なので声を出し難いだろうが、トランス系の女性が女性枠競技に入ることに不公平性を感じる方は多いと思う。これは差別じゃない。区別です。

言葉尻を捕まえて「あの発言」はダメだ、勉強不足だ、時代錯誤だ、知識不足だと責め合うのは止めてもらいたい。

人間と言う動物を認めることです。

好きは好き、嫌いは嫌い、違和感があるは、違和感があるんです。

賛同するできない、どっちでも構わない、全て人間が判断していることで、ごく自然のことです。

例えば中性的な男性に対し、綺麗だ、クールだ、かっこいい、と感じるのも人間だが、気持ちわるい、男らしくない、と感じるのもごく自然な感情です。それを否定的な意見などを「悪」「ばか」などと批判する声が多すぎる。「気持ち悪い」と感じることは誰にも変えられない自然の感情です。それを去勢するかのように、それは「いけなことだ」「考えを改めろ」と言う方が狂気である。

もちろん、「気持ち悪い」と感じるからといって、相手を傷つけていい理由にはなりません。

人間は嫌いでも、気持ち悪くても、きちんと紳士淑女的に振る舞うのが人間です。猿じゃなんです。

ただし、人間が自然に感じる感情に向かって「それはダメ」と去勢する狂気は絶対に直した方が良い。

大体人間なんていい加減なもの。

例えば、女性が男性になった。その時点で他人事に思っているときは、正直「あほじゃね?」と思うことも人間だからあると思う。そしてそう思った人だって、自分の身近の女性が男性になったりしたら、一気に価値観は変わる。自分の娘が男性になる。自分の友達が男性になるなんて起きたら、さっきまで「トランスは気持ち悪い」と言っていた同じ人間が一気に寛容になり、「トランスはおかしくないだろう」って声をあげるもんです。

人間なんてそういったもんです。

だから今日の今の貴方が全てじゃないし、今日のあの人が全てじゃない。

今日貴方を好きだといっている人も、数年後には貴方を嫌いだと言うケースも多々ある。

そんないい加減な人間の感情の揚げ足をとって、けしからん、非常識だと、めくじら立てて去勢する方が狂気です。

社会や個人が成長するまで、区別は絶対に要します。

競技も至急分けるべきです。

既存の男女、トランスの男女、そして混合、、たったそれだけで今騒いでいる問題は大きく前進します。そして区別した先に又、学び改善を図れば良いのです。なぜそんな単純な事ができないのか?

トイレも様々な施設は至急、区分けをすべきです。

そして社会も個人も様々なタイプの人間がいる事をきちんと学ぶべきです。誰もが平等に平和で楽しく過ごすには、何が必要なのか学ぶべきです。やるべき事は、学ぶ事であり誰かを批判する事ではありません。



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