批判、批評
「なぜ男と女、二つの性だけではいけないのでしょう」「多様性を受け入れて、さまざまな性的指向も認めよということになると、同性婚の容認だけにとどまらず、例えば兄弟婚を認めろ、親子婚を認めろ、それどころかペット婚や、機械と結婚させろという声も出てくるかもしれません」と性的少数者に差別的な持論を展開した。
と言う記事を見た。
個人的にこの発言者の事を私は知らないが、この述べている論点そのものは一切差別思考は見られないと思う。この論点は「キリがない」と言う論点であり、どこにも差別意識は見られないのだが、何故、差別心だと評価したのだろうか?個人的にはその評価の方が少々幼稚だと思った。
多様性とは、この発言の通り規制はなく、全ての個々を認めましょうという事ですので、論じている通り機械であれ、親子であれ、兄弟姉妹であれ、全ての婚姻は認められるべきです。
それが多様性と言う事になります。
この時に多くの日本人は違和感を強く感じると思います。それは自然観でも全く同様で、端的に述べれば世界の自然観は「ジャングル」です。人の手が加わらない自然です。では日本の自然観とは何か?それは「里山」です。人間の手を加え自然と共存した整備された環境を自然と思っています。これと同様で、世界の言う多様性とに日本人が思う多様性は全く違うものです。先ずそこを明確にして、多様性の概念を共有する事が大事です。
その上で、どこからどこまでが日本社会として許容できるのか?生物学的視点も社会概念的視点も様々な視点から検証し、それと1000年の計で見るのか100年の計で見るのか、50年の計で見るのかで結論は変わってきます。冒頭の発言は「問題提起」をしているだけだと個人的には感じます。
また、件の方は端的な表現で結論のみを口にする方なのでしょう、「女性はいくらでもうそをつける」と発言をして酷評された様ですが、これは女性というより人間はと言った方がよかったのかもしれません。発言時の背景は全く知りませんので、あくまで客観の論ですが「人間はいくらでも嘘をつける」大正解です。非常に論理的発言でありなんら酷評される内容ではないと思うのですが、まぁさまざまな背景があり、どうも世間的には許せないと言う感情が渦巻いていそうです。
ただ思うのは、マスコミは単純に感情論を煽り立てるのではなく、感情視点も大事ですが、客観的視点における評価するマスコミも存在すべきだと思いますね。皆が皆感情論だけに流れていたら、大きなミスを犯す可能性が高いですよね。
特にマスコミという存在は、言葉を切りはりして注目を浴びる画策を図ります。多くの方はそれを十分に理解していないと思います。
情報というものに慣れている人たちは、それに翻弄される事なく自身の価値観で論理的に見るでしょうが、慣れていない人たちはマスコミの情報を鵜呑みにしますし、切り貼りした一部の情報を全てだと思い込む傾向があります。
発言側も意図的に炎上しようとしているのか?一時的感情的な発言をしてしまっているのか知りませんが、TPOに合わせて言動を取るのがマナーである事は間違いないと思いますね。それと情報を見る方は、その目にしている情報は、あくまで全体像の一部である事を忘れないように努めた方が良いと思います。
日本は特に論点のずれた水掛論をしているケースが多いといつも見ています。昨今のネットでの誹謗中傷問題が騒がれていますが、それを呼び込んでいるのは、誰でもない日本国民個々の責任だと言う事ですよね。普段、どの様に一人一人が生きているのか?それを垣間見る気がします。
他者を批判する前に先ずは自分自身が冷静に論理的に思考する様に努めた方が良いのではないかと思います。
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