信頼、愛、旅たち、それは
国が信用できない、政府を信用できない、あの人は信頼できない、
貴方をもう愛せない、、、
多くの人が口にする
そして多くの人は、その疑心は相手のせいで生まれていると思っている。
遠く離れてしまえば、愛は終わると君は言った。
だけど僕は知っている。いつの時も愛に終わりがあって、心の旅が始まることを。
昔の歌の歌詞。
現在コロナ禍で世界中で多くの方々が思い悩んでいる。
お金の事や健康ことや生活に関わる様々な問題について、国も自治体も個人も団体も日々悩みながら時間を過ごしている。
対応も世界中で様々な対応がなされている。
隣の芝生が綺麗に見える状況に陥っている人々は、自国を責め立てる。
一部のデーターだけを読み取り、変化が起きれば騒ぎまくる。
目の前で大きな変化が見えなければ、コロナはでっち上げ、もしくは騒ぎすぎだと豪語する人たちもいる。
他人を責める前に自分の心に集中してほしいものです。
国を批判しても、政治家を批判しても、何ら解決にならない。
信頼をなくすきっかけは確かに外部要因、つまり相手の言動によるものも間違いなくあると思うが、本質は貴方の心に既に芽生えている疑心暗鬼が、その相手を責め始めているのです。
相手を信用する、愛し続けるとは、利益があるから行う行動ではないのです。勿論、利益関係の愛や信頼が無いとは言いません。それらの関係も現実問題ありますし、それを分かった上での関係ならば何も申しませんが、基本的にそれは利害関係では無いのです。
利害を超えた自分自身の思いを「信用」「信頼」「愛」と呼ぶものと思っています。
傷つけられたから、もう愛せない。
騙されたから、もう信用できない。
それはあくまできっかけであり、既に貴方の心は離れているのです。
ある意味「信頼」「愛」なんて関係は、馬鹿にならないとできないことなのかもしれません。だまされても、傷つけられても、裏切られても、それでも相手を信頼する、愛する。それは本当に狂気の境地に立たないとできないことなかもしれません。
でも私は、そう言った騙されても裏切られても相手を信頼し愛し続ける人たちを見てきています。その過程で自分自身も「愚かな行為」なのでは?「かわいそうだな」と同情の目で見た時もありましたが、現実利害関係なしで強く自分を信じ、他人を信頼し愛している人たちが世界中に沢山いる事を私は知っています。
それが人間の成熟度かなぁと思います。
寛容になり、相手の我儘を許し、裏切りも許し、常に相手を尊重し愛し続ける。
結局、全ては貴方自身における問題なのです。
昨今日本は相手を批判するのみ。
その批判を面白おかしく取り上げ、炎上をビジネスとして生きている。仕掛ける方は台本通りだが、見ている者は何が真実で何が嘘なのかも理解できず混同した精神に陥り騒ぎ立てている。
様々な情報が流れている現代、最も大事なことは貴方の心です。
情報とは客観的、主観的、善意的、悪意的、扇動的、本当に多くの色形の情報が氾濫しています。一見ただの討論番組でさえ、全て台本通りの演技であるケースもあります。演じているのは役者じゃなく、政治家だったり一般の方々が台本に則って発言をしているだけ。
ドラマでも実話を元にフィクションのフィルターをかけて様々な作品が流れており、基本手にはフィクションなのだが「実話にもとづく」という単語だけで、史実と思い込む人間が多い。
教科書も同じ。全世界の教科書を比較しなければ、全体像は見えてこない。歴史は勝者にとって都合の良いように記載されてきたもの。カメラは前方しか写せない。人間の目も前方しか見えない。同時起きている背後は人間は見ることができない。加害者と被害者の歴史は全く違った歴史になる。
だから、我々は自分の心に集中し、見えない世界を見る努力、聞こえない叫びを聞く努力を日々行い、垂れ流されている情報に呑み込まれないようにしなければいけない。
デジタルの世界へ突入した以降、人類はどれが真実で何が虚像なのか判断できない。同時に真実は時に人類にとって不都合なもの。
管理社会と向かい、管理された都合の良い情報だけが増えていく。不都合な真実は消されていく。国家も安全重視に必死に情報を管理してくる。「国民のため」という御旗を掲げて、堂々と「都合の良い情報」だけを垂れ流してくるだろう。
そんな中で、自分の心で世界を見れない人は、その渦に巻き込まれて振り回されて生きることになるだろう。
人間は善悪を判断しきれない動物である。
だからこそ、貴方自身の心が貴方にとって最も重要なものとなる。
相手が悪いから愛せないのではない。
相手が悪いから信頼できないのではない。
全ては貴方が決めていることなんです。