ゴキブリ並みの生命力だけは自信がある
それは、ある上野の高架下にある鰻屋さんでの話。結婚前の旦那と入ったそのお店は小汚くて、周辺にゴキブリがゾロゾロしてたのは気づいてたけど、食事の雰囲気を壊したくなくて店から出られなかった。
その直後に、事件は起こった。
1.世間の痛みを知った新卒時代
高校時代は女子校に通っており、当時はバリバリの体育会系バトン部に所属していた私は、時に先輩からバトンが降ってくることもあり、結構精神的には強く育った方だったと思う。
けれど、新卒時入社した企業で、社会の厳しさを思い知ることになる。氷河期だった当時、私は50社以上にエントリーして振られ、夢の実現の訓練と称してサービス業に就いた。そこである女の先輩から目をつけられていたのか、何もしてないのに横を通るたびになぜか舌打ちを浴びる日々。。(新卒で使えなさ過ぎて、私が気付かないような迷惑を沢山かけてたんだと思う)
そして忘れもしない。経験したことのない団体様へのサービス提供。動き方が分からない。忙しい現場の中で足手纏いになってしまう。「どうやって動いたら良いですか?」と上司に確認した時に返ってきた言葉は、
「自分の頭で考えろ!!!」
だった。理解不能だった。マニュアルもない。
教科書でしか勉強してこなかった当時の私には、頭上に「?」しかなく、辛い日々が続いた。
就職氷河期だったこともあり、当初の私の想定とは裏腹に、主な業務内容は「皿洗い」だった。この時間を1分でも無駄にしてはなるものかと、夢の実現のために皿洗いの壁に「手話検定」や「ソムリエ検定」の参考書コピーを貼り、私の皿洗い時間は貴重な検定勉強タイムになった。
そんな環境だったから、優しい先輩の存在が大事で、業務が分からないときはこの人になら聞けるとか、この人のように振る舞えば怒りを買わないのかと、世の中を上手く擦り抜ける方法を盗んだ。
そして何より、「自分の頭で考える」という癖をつけることができた。研修もマニュアルもない、線路の敷かれていない道を自分で切り拓く。この厳しい環境下だったから、自分がピンチの時の生存戦略というゴキブリのような生命力がついたんだろうな、と新卒当時入社した会社には感謝しかない。
2.道なき道を開拓する
そんな環境で育ったものだから、どこでもやっていける生命力はついた。そして、この当時から「この不平等な格差から絶対に這い上がる」とどこかで感じていたんだと思う。
思えば大学時代、当時は日本文学科で海外留学の道はなかった。前例はないが、出来ないわけないと大学単位履修だけは前倒しで済ませて、勝手なスケジュールを組んで、エージェントを通して海外に発った。
エージェントでは日本の外国語学校のコースだったから、オンリーイングリッシュとか言いながら環境が温くて、外国人だけが集う夜の街に飛び込んだことも多々あった(よく生きて帰ってきたなと、今なら思う)
3.絶対に対等な関係を貫く
結婚した旦那は、私にはない学歴・経歴のある、いわゆるエリートだった。結婚・出産を機に一度は就労から引退。それでも絶対に旦那と対等な関係にならないとダメだと思い、産後はパートでもいいから仕事復帰することは絶対に譲らなかった。
当時はまだまだ、共働きが当たり前なのはアーリーマジョリティで、一般的には一部の女性エリートか公務員が結婚後も仕事を続ける時代。
一度引退した私は、一発逆転を狙うために妊娠中はひたすら経理・税務の勉強をした。どんなに凡人でも、努力できる自信はあった。
簿記資格を武器にして、晴れてアルバイトで社会人復帰を果たした。そこで更に壁にぶち当たる。当時はアルバイトの身分で子供を保育園に預ける仕組みがなかった。それでもなんとか有償の保育園を利用し、勤務実績を作って翌年からやっと保育園入所が叶った。当時は働いても赤字だったけど、それ以外の方法がないから、稼ぎはなくても実績を優先した。
そうした経験があるから、ヌルッと抜け道を見つけることが得意で、気付いたらなんとかして生存確率を上げる方法を嗅ぎ分ける術が身に付いていた。
4.ダーウィンの進化論に寄ると生存確率は高そう
私の強みは、このどんな環境にもヌルッと抜け道を嗅ぎ分けて、ゴキブリのような習性で生存確率の高い道を選ぼうとする感性だと思う。歴史においても、「ダーウィンの進化論」によれば、環境の変化に適応する能力が高い者が生き残ることができる、と言われているけど、私は正直そこにおいては結構自信がある(笑)前世がゴキブリだと信じ込むことは、かなり自分にとってプラスに働く。
自分の子供に障害があることがわかった時も、このヌルッと抜け道を嗅ぎ分けて生きていく術を知っているから、子1人のためなら安全な道を開拓していくことは可能だろうとは思ってた。
だけど、障害を持つ多くの人たちが前世ゴキブリなわけもない。こんな茨のような道の中を生活しているなら、それって環境を整えて誰もが生きやすくした方がどう考えてもいいよね、と思った。この時も、自分の頭で考える、生き残る上での最善策は何かと、頭をフル回転させてビジネスに落とし込んだ。全ては、ここに繋がっていたんだな…と今になると思う。
誰もがゴキブリのようにヌルッと生きれるわけではないから、ゴキブリの後世である私が肩代わりしようじゃないか、とも思う。
そういえば高校時代の制服姿は、どんより黒くて長いスカートが特徴で、周辺男子校から「ゴキブリ」と呼ばれていたっけ…と、
手の甲に登ったゴキブリを見て思い返し、自分の前世を悟った。