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“障害”を人生のミッションに掲げた理由

Facebookかどこかで書いたことはあったかもしれないけど、改めて『障害』を人生のミッションにしたきっかけについて綴っておきます。

私の次女は目が見えません。
生後3ヶ月くらいで、眼球の挙動が正常でないと役所の市営サポートで訪問観察に来られた看護師さんに言われたことがきっかけでした。あの時の看護師さんには本当に感謝だな。

子供が3人目ということもあり、確かに眼球の動きに違和感は感じてたけど、それも特徴なんだろう、くらいに当時は見過ごしてしまっていました。そんな安易な気持ちで一先ず病院に行った、あの日のことは忘れられません。

「お子さんは目の癌かもしれないから、大至急もっと専門的な病院で診てもらってください」

それが、病院の医師に告げられた一言でした。あまりの衝撃で目の前が真っ暗になったのを覚えています。なんでもっと早く病院に行かなかったんだろう、という思いもあったと思う。運転をしながらの帰路、涙と憂鬱で靄がかかって車が前に進んでいるのかも分からなかった。

金曜日に診断をされ、翌月曜日に日本で最も小児発達の専門とされる病院での検査を予定していたので、
その週末は、「家族写真を撮ろう」と私が主人に提案したんです。夫婦共に憔悴しきっていたので、もう表情もボロボロだったけど、あの日撮っておけばよかったと後悔しないようにと、家族で撮った写真。

癌宣告をされた翌日の写真。主人も私も憔悴しきった表情。

そして、意を決して病院へ。
診断結果は、「お子さんは、癌ではないでしょう」との一言、その直後に「ただ、視覚障害があるのは間違いありません。病名は恐らく、第一次硝子体過形成遺残。全盲です。今の医学で治ることはありません」そう告げられたのでした。

「癌ではない」の一言だけで、それ以降のことは正直あんまり頭には入ってきてなかったんですが、
正直もうどうでも良かったんです。癌の可能性を宣告され、まだ小さい我が子の余命を考える時間があまりにも辛くて、辛くて、
生きてさえいれば、障害があろうが何だろうが、そんなことはどうにでもなる、と本気でそう思ったし、今でもその思いは変わっていません。

その日から、視覚障害について調べに調べ、障害者の方々が生活に非常に不便されていること、特に世の中からの偏見から大きく影響を受け、就業について苦労されていることが多いことを知りました。Twitterで色々なアドバイスをくださった皆さんには、本当に感謝です。

不便があるなら、その不便を払拭すれば良い。
私が生きるミッションは、その日から「障害」に関わる世の中の偏見を変えることになりました。

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