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普通の尊い日々

「私は人が稼いだお金でしか生きていけないのかな。」
「家に毎日帰って、家で過ごすことが出来ないのかな。」
「あの子はしんどい時も頑張ってたのに、私は無理なのかな。」
「前まで、これはできてたのにな。」

こんなことを思っては、自分で自分を痛めつける。

親に頼っている。22年間ずっと頼っている。
自分で生活全部に必要なお金を賄えたことがなく、"学生"も満足にできないまま今日までを生きてきた。数えてみれば、生きることすら円滑に行えなくなるのは4度目のことで、"完全な停止"と"自分の趣味は自分で出来る"状態を浮き沈みしている。なぜ、普通ができないのかと何度も何度も考えて、どのときも答えを見つけられていない。
明らかに一般的は通常とは異なり、どう頑張っても自分の世話すら行えない日々がある。

今もその、「自分の生活すら行えていない日々」の最中で、昼に起き、時間をどうにか過ごし、夜になったら喜んで睡眠薬を飲み下して意識を放っている。時間を過ごすのが苦痛の他に形容できないほどの毎日に何とか光を差せないかななんて、髪をバッサリと切ったり刺繍をしてみたり、映画を見たりはするものの変わらず"苦痛"である事実が、それはそれは受け入れづらい。今度はゲームをしてみようか、今度は資格の勉強でも始めてみようか、旅行はお金が無いから1回しか行けなさそうだ、9月から始まる学校は行けるのかそれとも休学した方がいいのか、何を考えても何もできる気がしない。そしてなにもできていない。

どうしてこんなにも"堕ちて"しまったのか。検討がつかない。けれどきっとただ疲れきってしまっただけなのも薄々感じていて、だからこそ休養をしたいのに私にとって休養になる事柄がさっぱりと分からない。
そのうちにも預金残高と月日は目減りしていくというのに。

生きている意味はどこにあるのか、自分の中には見つからない。「恋人がいて欲しいと言ってくれるから」「親に生きているだけでいいと言われるから」これらは他人の願いであって自己的じゃない。私が思うのは「死ぬのも面倒だから」「そもそも何をする気力もないから」なんていう俯瞰的な、決して生きる希望のないことだけ。悲しいでもなく、絶望の臭いがその辺を漂っている。

「親に頼りたくないのに。」「恋人に迷惑をかけたくないのに。」そう思いながら、苦痛で仕方ない日中の時間と何もできていない日常から逃げるために実家と恋人の家に行く。同居人と暮らす家にずっといることができない。同居人のことは大好きだし、猫のことも大好きなのに、そこから逃げている。自分でも原因はわからない。

自分のことは、可愛がっていたい。生きやすいのは断然そちらだと知っているからこそ、切望している。けれど可愛くない。辛いだけの現状。どうしたら抜け出せるのか、本に載っているなら読むし、テレビで放送されているなら10回でも見るのに、あいにく世界にそういったものはない。
輝きたいとまでは願わないから、どうか普通の尊い日々に戻りたい。つまんない映画を見て、本を読み、学びたいことが学べる体と心がある日々に戻りたい。
未来に不安があろうとも、死ぬのも面倒だなんて思うほどのこんな状況から、それこそ逃げたい。
ただそっと、私に、自分を自らの手で痛めつけなくてもいい普通の日々を返して欲しい。

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