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2024年 芸術鑑賞記録_洋舞編

感銘を受けた洋舞公演(自分に刺さった順)

ロミジュリが2作品もランクインしている。好きなのよ、プロコフィエフのあの音楽が。

魂が揺さぶられたマシュー・ボーン「Romeo + Juliet」

クラシックバレエ「ロミオ・アンド・ジュリエット」を元に製作された、マシュー・ボーン率いるダンスカンパニーによる舞踊劇。

鑑賞直後に感想をまとめたので詳細はこちらを。

大好きなプリマ達で観た、一生の思い出に残るであろう「ラ・バヤデール」3本立て
(新国立劇場バレエ団小野絢子、K-BALLET 日髙世菜、世界バレエフェスティバルのスミルノワ with 東京バレエ団)

オルガ(オリガ)・スミルノワのニキヤ役は、5年前にボリショイバレエ(注: スミルノワはロシア・ウクライナ戦争を受けて国を出るまで、ボリショイ・バレエのプリンシパルだった)を映画館で観てからずっと虜だったので、生で鑑賞できて、感無量。ソロル役がマリインスキーのキム・キミンの予定だったところ、急遽予定が合わず、元マリインスキー・現ネザーランドのヴィクトル・カイシェタが役についた。南米出身の若い男性らしく、普段は無邪気で陽気なカイシェタによるソロルは、思いの外悪くなかった。髭を蓄えた姿は勇ましく、若さ故に翻弄される勇士といった風だった。

スミルノワとカイシェタにしか言及していないが、彼らを主役に据えて違和感が無いどころかハイレベルな舞台を作り上げた東京バレエ団も素晴らしかった。特に、ガムザッティ役を演じた伝田陽美、ハイ・ブラーミン役の柄本弾の貢献が大きかった。

日髙世菜を知ったのは、コロナ禍にSNSで観たのがきっかけ。USのタルサバレエから日本のKバレエに移籍してきたことは認識しており、ずっと観てみたいと思っていたのが、ようやく叶った。Kバレエ自体、自分にとっては初めて。日髙と同時にタルサから移籍した吉田周平も、今回観られてよかった。太鼓の踊りだったが、別日ではブロンズアイドルを踊っていたからだろう、肉体の仕上げ方が素晴らしかった。

しかしKバレエのバヤデールは、ニキヤの命を奪う毒蛇を仕込んだ花籠を、ソロルから渡させるのが非道だと思ったし、なのに終幕時にあの世で2人が向かい合って結ばれるという、男にとって都合の良すぎる展開でモヤモヤした。

新国立劇場バレエ団は本拠地が自宅からほど近いので、一番よく見ているし、小野絢子は一番大好きなダンサーだ。小野は長らく団のトッププリンシパルとして興に乗り続けており、いつどの演目のどんな役で見ても、最高のパフォーマンスを見せ続けてくれている。しかし年齢的なこともあり、もうバレエ団でニキヤを踊るのは見納めになる可能性もあるので、しかと目に焼き付けた。

三者三様のニキヤに加え、ブッコロガムザ(※主役・ニキヤの恋敵にして領主の娘・ガムザッティが、ニキヤが婚約者ソロルを好いていたと知り、困惑のあまり自身に刃を向けてしまったニキヤが去った後に、あの女…許すまじ‼︎と、殺意をマイム: バレエ特有の手振りで表すシーン)も堪能。

演出は東京バレエ団のもの(マカロワ版)が一番好きだった。二幕「影の王国」の後にしっかり見せ場があり、ソロル・ガムザッティの結婚式の場でガムザッティとニキヤ(の亡霊)が重なる様は秀逸だった。

ショパンのピアノ曲に載せた叙情的な シュトゥットガルトバレエ団「椿姫」(アレマン×パイジャ)

元々は娘と共に行きたかったのだが、バタバタしているうちにチケットを取りそびれ、娘はテスト勉強やコンクールに向けたレッスンもあるし…というタイミングで、やはり見られるうちに見ておこうと、自分だけちゃっかり当日観てきた。
大好きなショパンの名曲に載せた美しいPDDと切ない物語、若い2人の熱演に胸を揺さぶられた。

瑞々しく弾けた、東京バレエ団「ロミオ・アンド・ジュリエット」(秋山瑛×大塚卓)

いつも圧巻のフラワーアレンジメント

秋山瑛をずっと観てみたかったのが、叶った。舞台に出てきた瞬間から虜になってしまった。
冒頭のかわいらしい少女から、ロミオに会って愛を知るジュリエットの変貌ぶりを驚くほど鮮やかに見せつけてくれた。
ロミジュリも大好きな演目で、1-3幕通して見所しかない。東京バレエ団は端役もレベルが高く、コールドもきっちり揃っていて、小気味良かった。

大塚卓とのパートナリングも良かった。大塚のロミオは、仔犬の如きかわいらしい少年だった。

濃厚でパワフルなダンサーのぶつかり合いで、バトル劇画を読了したかのような感覚に陥った、英国ロイヤルバレエinシネマ「マイヤリング」(平野×オシポワ)

「マイヤリング」はオーストリア皇太子・ルドルフ(皇妃エリザベートの息子)が自殺願望を持ち、道連れになってくれる女・マリーに出会い、甘美な死を迎える話で、史実を元にしている。
厨二病を煮詰めたような、辛気臭く、碌でも無い話だが、女性が主役の作品が多く、男性はサポートに回りがちなバレエに演目において、男性が主役で、複数の女性役との複雑なパ・ドゥ・ドゥがある。高度な舞踊の技術と演技力を要する、誰もが憧れる作品だそう。能で言う「道成寺」みたいなものだろうか?

平野亮一は英国ロイヤル・バレエ団に長く在籍しているベテランプリンシパルだ。長身ではっきりした目鼻立ち、弾けるような笑顔で、格好いい。儚さを感じさせる王子系ではなく、明るく逞しく、爽やかさを感じさせる。自身のインスタグラムアカウントではバレエにはあまり触れず、釣りの釣果を掲載しているのも好感が持てる。
数年前、英国ロイヤル・バレエ団の来日公演「ドン・キホーテ」で、平野が演じた闘牛士のエスパーダは、色気が凄かった。シネマで見た本作品にはインタビュー動画も挟まれており、平野自身による本役に対する意気込みが語られていた。

対するナタリア・オシポワも、かなりパワー系のダンサー。肉体のボリューム感がまぁまぁありつつも、柔軟性、体幹から繰り出される高度な身体表現。何より、弩級の意志の強さを感じる。彼女にかかればバレエ演目に数多いる儚げな悲劇のヒロイン達も、なんぼのもんじゃい!という勢いでのたうち回る壮絶さを見せつけてくれる。

その平野・オシポワが、痴情を絡め合って心中する役に挑んだのだ。想像を上回る、ねっとりとした濃い絡みだった。しかし、さすがは英国ロイヤル、下品にはならない絶妙な匙加減で、バレエ演劇として魅せてくれた。
劇中、「皇太子の部屋に来たマリーがガウンを脱いだら、中はスケスケのスリップ」というシーンもあるのだが、その脱ぎっぷりと派手さには、思わず吹き出してしまった。他のダンサーならきっともっと、幾ばくかの羞恥心を残しておずおずと脱ぎつつ、マリーの覚悟を表現したのではなかろうか。我らがオシポワネキにかかると、バーン!!というオノマトペが見えるようだった。

アフリカの女達の逞しい踊りーピナ・バウシュ 「春の祭典」 / 「PHILIPS 836 887 DSY」
ジェルメーヌ・アコニー 「オマージュ・トゥ・ジ・アンセスターズ」

鑑賞直後は感想を書きそびれていたので、今ここで書くことにする。

最初に数分間、バウシュ振付作品「PHYLIPS〜」が上演されたのだが、遅れたため鑑賞できず。

次いで上演されたアコニー作品は、振付・舞踊共に彼女自身による。舞踊というよりは、アフリカの伝統の呪術の儀式のようだった。体を動かし、粉を撒きながら円を描くように歩いたり。
私の夫がセネガル人なので、過去に二度、ダカールに行ったことがある。作中に用いられていた呪術の儀式、波音、バオバブの映像は、セネガルのモチーフと感じた。呪術と言っても、呪い(のろい)ではなく、呪い(まじない)の側面が強い。セネガル人家庭ではどこの家にも1人は(大家族だと複数人)いる、ジブリ作品に出てきそうなオババ様が、言い伝えを語って聞かせながらおまじないをしてくれる様子が目に浮かんだ。温かく柔らかい砂地の上を裸足で歩いた後のような気持ちになった。

「春の祭典」はバウシュ財団が大事に管理している作品。今回はアフリカ系ダンサー(13ヶ国35名)だけを集めての上演。

SNS上で、「アフリカ系ダンサーだけ(注: 発言者はこの発言当時、セネガル人ダンサーだけと誤解していた模様)とは何と排他的で、本作品の思想に反することか」という意見も見た。だが、ほぼ白人だけで構成された欧米の舞踊集団に同様の疑義を呈した人はいただろうか?アフリカ大陸では、54ヶ国に9億人が住んでおり、今回は13ヶ国から選出されている。西欧の振付家の作品という性質から、うち何ヶ国かは欧米圏と想像するが、それなりに多様な背景から選出されているであろうから、「”アフリカ系だけ”は排他的」というのは、他地域出身者による偏見と言わざるを得ない。
敢えて意地の悪い言い方をすれば、「『黒人は皆同じ』と、お前自身が思い込んでいるだけだろう?」と問いたい。

舞踊の中身は動画が公開されているので未見の方にはそちらが参考になるだろう。ご想像通り、アフリカ系の人間は筋肉がつきやすく、過酷なトレーニングにより鍛え上げられた肉体を駆使して華麗な身体表現を見せつけてくれたし、とはいえ、ただの「ガチムチの肉体による激しい動き」に陥ることなく、作品の世界観に合った表現だった。

振付も舞踊表現も、全体を通じて良かったのだが、一つ、看過できない点があった。衣装である。

男性ダンサーは半裸で、下半身には黒い長ズボンを着用していた。これには特に違和感は無い。
女性ダンサー達は、白く薄いスリップのようなものを身につけており、その下にブラジャーを着けていないことが明らかだった。これは大いに問題だと感じた。

現代の女性が世界的にブラジャーを着用していることとその目的は、今さら説明するまでもない。通常、概ね十代前半から、老年に至るまで、就寝時以外はほぼ常時着用し続ける。着用せずに激しい動きをすると乳房の靭帯や乳腺を損傷しかねないし、何より、社会的に、羞恥心も生ずる。

先述の通り、私は夫がアフリカ出身者なので、親戚にアフリカ人女性も多い。彼女らの乳房や臀部は他の人種に比べて大きくなりやすく、それはしばしば女性の性的魅力の象徴とされる。そして、アフリカ系は「黒人」と言われる通り、肌の色が濃い。明るいブラウンから黒に近いダークブラウンまで、人それぞれだが、白い薄手の布では透ける。まして数十分間激しい踊りを踊れば、汗にまみれて、白い布はほぼ透けてしまっていた。
そして極め付け、「生贄」役の女性ダンサーは、終盤、スリップのストラップが片方ずれ落ち、乳房が露わになってしまっていた。
観客席には男性も多くおり、舞台上のダンサー達を凝視しているというのに。彼女の気持ちを思うと、泣きたくなってしまった。

世界的に著名な振付家の偉大な作品に出演できることは、若手ダンサーにとって大きなチャンスで、喉から手が出るほどほしいものだろう。その上演時の衣装について、意に沿わない場合に、抗議できる者がどれほどいようか。「代わりはいくらでもいるから、文句があるなら出なくていい」と言われるのを恐れて、キャリアのために、本心を押し殺さざるを得なかったではないか。本人が自分の意思でノーブラで出歩くのとは訳が違うのだ。ダンサーの心理的安全が充分に守られない舞踊表現など、あってはならない。プロデューサーや演出家には、その辺りを意識してほしいものである。

選外: 最高峰の芸術を浴びた来日公演、だがしかし…

どうも私は欧州の(色素の薄い眼に合わせた暗めの?)照明が合わないようだ。それぞれ素晴らしい公演のはずだが、評することすらできないレベルで、寝過ぎた。来日公演ですぐに寝てしまうことは、過去に観たパリオペのバレエ・ブランでも、下記の3公演でも、実証済。
ちなみに列挙した順は、上演・鑑賞順である。

パリ・オペラ座バレエ団「マノン」 @東京文化会館

娘が幼い頃から憧れていた、マチュー・ガニオの回を取ったのだが、彼女にもそこまでは刺さらなかった模様。

まず、マノン、そんなええ話か?と思う。洋の東西を問わず、「苦界に堕ちた女が、それでも高潔な心と純真な愛を求める」という世界観に、あまりグッとこない。自分でも理由がわからないが、性産業の肯定に繋がるからだろうか。時代背景も違うし、女が稼げる職が中々無いというのは承知なのだけど。マノンの、刹那的で軽薄で愚かな選択が目に余るので、自業自得と思ってしまうのかな?

あと、三幕の看守がマノンに性虐待するシーンで、口淫強姦の表現が気持ち悪すぎた。他にあるだろうよ、演出の仕方が。大人でもオエってなるし、中学生の娘に見せたくなかったわ。1位に挙げたR+Jでも同様に主役のジュリエットが保護観察員に強姦されるシーンがあるが、一目でそれとわかる表現ではあるものの、性的接触は描かないようにしていた。映画でも漫画でもそういう表現はいくらでもある。

NDT1 @神奈川県民ホール

コンテンポラリーバレエに片足を…突っ込む?どうする?何か躊躇してる?やってみれば?…みたいなところを延々と行き来し続けている、我が娘のために鑑賞。私のような、ただネットで管を巻いているだけの中年女よりも、実際にコンテンポラリー・バレエを踊り、緩やかに(ゆるゆる過ぎて母はやきもきさせられっぱなしである)舞踊活動を志す彼女にとって、少しでも栄養になればいいと思って、チケットを取ったのだった。

本公演のプロデューサーの唐津絵里氏はDaBYや愛知県芸術劇場で精力的に活動されており、緩やかに追っている。円安で不景気な極東の日本に、こんなにレベルの高いコンテカンパニーを引っ張ってきてくれるのは、彼女の功績に他ならない。ありがたい。

各作品のビジュアルで構成された垂れ幕

夜中の高速道路の事故現場みたいな作品は、正直、薄気味悪いと思ってしまった。が、娘には刺さったようで、それだけでも行った甲斐があった。

世界バレエフェスティバル Bプロ @東京文化会館

世界バレエフェスの出場者達の垂れ幕

数年に一度の祭典で、レベルが高いことはわかったが、バレエ演目にも世界レベルのダンサーにも造詣が浅すぎるし、観てるうちに物語の中へ引き込まれる全幕と違い、短時間で作品のエッセンスを見せてくれるガラ形式では、理解が及ばず、…フーン…みたいな感じで終わってしまったのがほとんど。数年前のローザンヌコンクールで見かけた以来、ずっと観てみたかったマッケンジー・ブラウンちゃんのコンテも、寝落ちてしまった。

断片的に覚えているのは、ヌニェス・ムンタギロフの「海賊」(ムンタギロフはあまりのエレガントさに「元貴族の奴隷」と囁かれていた)や、菅井円加・シムキンの「ドン・キホーテ」、ジル・ロマンがワーグナーの曲で演じた作品など。

話は逸れるが、菅井円加にはいつも感嘆させられる。
バレエは舞台芸術であり、ダンサーの演技は芸術表現であって、体操競技ではないのは百も承知だが、菅井の体幹の強さから繰り出される正確な技の数々、それを軽々やってのけておいて、ニヤリと笑ってみせるかのような飄々とした様子に、いつもハートを射抜かれてしまう。なんて格好いいんだ!私がバレエを好きなのは、努力を重ねた女がフィジカルと表現力でめちゃくちゃ美しく高レベルなパフォーマンスを見せてくれるのに痺れるからなんだわ。彼女はまさにそれを体現してくれているし、そこに一分の嫌味も無い。なんて格好いいんだ‼︎(2回目)

私は日本人だし、日本の伝統芸能は大好きだが、どの分野も当たり前のように女を軽んじ、脇役や異色として扱っていることについては、正直なところ、憤懣やる方なく、苦々しく思っている。わざわざ「女流」などと称するのも、「本流は男だ」と言っているのであり、芸を研鑽した芸能人へのリスペクトに欠く扱いだと思う。その点においては、圧倒的にバレエに軍配が上がると考える。

Extra

福田圭吾氏の有終の美、新国立劇場バレエ団「アラジン」

この作品には色々と思うところはあれど(特にイスラム文化圏への不理解に疑問を持つ)、ストーリーや舞踊はいいし、最後に福田の主演回を観ることができて良かった。

バレエシューズを脱いで框(かまち)に置く演出が憎い
劇場併設のレストランのメニューにはその日の主役のサインが入る。圭吾氏のは初見

総括と来年の抱負

今年は能を多く観た分、あまりバレエを観なかった。観たけど、同じ公園を複数キャストで鑑賞はしなかったし、M.ベジャールやシュトゥットガルト「オネーギン」をスルーしてしまった。
また、推しダンサーの故障や降板も目立った。日本の夏は暑すぎるからか、来日したダンサーもへばっていた。ダンサー達の心身の健康を何よりも優先してほしいと切に願う。

近年、数年前とは比べ物にならないレベルで社会全体の倫理意識が上がっている。芸術分野では長らくおざなりにされてきたであろう、働き方改革やパワハラについても、無視すべきではない。我々観客も、ダンサーや舞台スタッフの安全や待遇にも気を配っていきたい。

来年は、まずはNHK「バレエの饗宴」が楽しみ。
時間もお金も有限なので、数多く鑑賞するのは控え、一つ一つの公園を丁寧に鑑賞したいと思っている。

新国立劇場バレエ団は、吉田都監督が長年在籍していた英国ロイヤルバレエ団の本拠地、ロイヤル・オペラ・ハウスでの「ジゼル」公演を控えている。小野・福岡の磐石ペアを始め、粒揃いのダンサー達による二幕のコールドも素晴らしいので、ぶちかましてきてほしい。ミルタは誰が演じるのかが気になっている。

付録

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同じく芸術鑑賞記録の、伝統芸能編

芸術鑑賞の美術品編

改訂履歴

12.31 08:00, 12:50 誤字修正と軽微な追記
12.31 18:10 関連記事を掲載

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