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私が病みに病んでいた時のお話③ ~あの頃の理想としていた “普通” ~

ちょっと気持ちが重くなるお話となっておりますので、不安な方は読むのをお控えください。


病みに病んでいた頃。
当時の記憶は正直うろ覚えです。
数年前のお話なのに。

だけど必死だったことは確か。
必死に “普通” に近づこうとしていた記憶。

私はあの頃、どんな “普通” でありたかったのだろう?
当時の気持ちで思い出したことがいくつかあったので、気持ちの整理として再度振り返ってみます。


職場の同期や同僚の前では “普通” でありたかった私


私には仲良くしてもらっていた同期や同僚がいました。
その人たちは私が病んでいく姿を側で見ていた人たち。
私が休職した直後は、まだ一人暮らしをしていたので、何度かお見舞いに来てくれたこともありました。

正直、めちゃくちゃしんどかったです。
同期や同僚たちの前では “普通” であろうとしていたから。

私の “普通” とはー
職場にいる時と同じテンションで迎え入れる

これが私の思い込みでした。
同期や同僚が来てくれているのに寝込んでいるわけにはいかない、
物理的に職場から離れているのに、全くメンタル回復していないと思われたら嫌だー

そう思って起き上がるのですが、「いいから横になってて。私たちがご飯作るから。^^」

いや、帰って…

これが当時の私の本音でした。
私が横になっている中、楽しそうにご飯を作り、作り終わったら「じゃあね~♪」とさらっと帰っていく。

同期や同僚の気遣いも感じるし、私の前ではいつものように振る舞ってくれたことも分かる。
だからこそ、「それに応えられない私」を職場の人たちには見せたくなかった、という気持ちがありました。
いつも通りに振る舞うことができなかった私にとても負い目を感じました。

きっと今日のこと上司にも報告するんだろうな…
上司やお局様方からあーだこーだ言われてるんだろうな…

そういう妄想が更に職場復帰のハードルを上げていきました。


“普通” の平日の過ごし方を目指していた私


一人暮らしの時も、実家に戻った後も、いつでも職場復帰できるように生活リズムを崩すようなことはしませんでした。

気持ち的には常に出勤モードの私だったんですよね。(汗)
こんなんで気持ちが休まるわけがないって今なら思えるんですけどね…それだけ必死でした。

だから休日は比較的に気持ちがラクでした。
あと平日の夕方も。
休日はいつ外出しても “普通” ですし、平日の夕方は職場から帰る人たちが出てきますから “普通” の人たちに紛れることができるんですよね。

平日の日中の外出は、今でこそ仕事着ではなく普段着で出歩いても何ら気にならないですが、当時の私は、

「平日の真っ昼間からふらふら出歩いていたら近所の人から変な目で見られるんじゃないだろうか…」
「産休育休中の同級生や知り合いにばったり会ったらどうしよう…」

そんなことばかり気にしながら隠れるように外出してました。
私自身、振り返りながら書いていて「私は本当に気の休まることがなかったんだな…」と息苦しさを感じます。(読んでくださっている皆さんは大丈夫でしょうか…^^;)

あ、でも、友人らや趣味仲間と会っている時はラクでした。
友人らは私のしんどさをいい意味でスルーして普通に遊んでくれましたし、趣味仲間も私の事情を知らずに趣味で集っていますから、何も考えずに遊べたので本当にありがたい存在です。^^


両親や精神科医の前では職場復帰したいという意思表示をするのが “普通” と思っていた私


素直に「辞めたい」と伝えるまでには本当に時間がかかりました。
私の場合、職場から物理的に距離を取っても全く気が休まらなかったので、本当はこのまま辞めたかったはずなんです。

というより、「辞めたい」と言えるエネルギーが残っている時に「辞めたい」と言えれば長く苦しむことはなかったのかな?と、今では思います。
そのエネルギーを職場復帰するためのエネルギーに全て費やしてしまったことで、症状の悪化にも繋がったのかな?と。

まあ、「辞める」という選択肢を用意できる余裕が私にあったら(つまり決断力)、休職という選択肢を捨てて即辞職して転職活動していたかもしれません。
当時は「まずは3年同じ職場で働く説」みたいな、よく分からない定説を鵜呑みにしてたんですよね。(汗)
周囲からも「辞めるのもったいない」って言われましたし。尚更。

だから両親や精神科医の期待に応える?意見を尊重する?ためにも休職して、また職場復帰しなければならない、と奮闘しました。


まとめ ~ “普通”って何だろう ~


今では平日の真っ昼間に近所をうろついても何も思わないですし、正社員としてまた働けるようにならねば…みたいな、当時のような焦りや不安、恐怖みたいなものはなく、「まあ、なるようになるだろう…」的な気持ちになっています。^^

おそらく、今の気持ちがフラットな状態で、これが今の私の “普通” なんですよね。
当時の私の “普通” は、社会に求められているであろう “普通” というものを勝手に思い描いて、勝手にその “普通” を自分に無理やり当てはめようとしたのかな…?なんてふと思いました。

これは私の経験談なので、おそらく今現在、精神的に辛い方たちと共有・共感できる内容にはなっていないかもしれません。
ですが、少なくとも当時の私から見たら、「代弁してくれている!」と、感激してくれていると思うので(笑)、これはそういうnoteだということで。^^


最後までお読みいただき、ありがとうございました。^^



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