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大迫傑選手への憧れ

コロナ禍の中開催された東京オリンピック。
この大会を最後に競技者の一線を退いた選手がいました、陸上競技マラソンの大迫傑選手


学生時代から天才ランナーと言われた陸上長距離界を代表する名ランナーです。
都大路の2年連続区間賞、箱根駅伝2年連続1区の区間賞、10000mの学生記録樹立、ユニバーシアードなどの国際大会への出場など学生時代から注目され、社会人になり単身アメリカへ渡り5000mの日本新記録、10000m日本選手権優勝、3000m日本新記録、そしてマラソン日本記録樹立など誰もが見てもわかるエリートランナーでした。

私は大迫選手とまったく競技力も違いますし、彼みたいな人生を歩めるとは到底思いません。
しかし私は彼から感じることが出来た競技に向かう姿勢であったり目標を達成するという姿勢に、私はとても感動しました。


大学を卒業する前から世界へ渡りトラック競技に挑戦。
駅伝を通過点と考え卒業後は日清食品グループに入社しニューイヤー駅伝で1区区間賞、日本選手権10000m2位と活躍をするも1年で退社しアメリカへ。
モハメドファラーやラップのいるNikeオレゴンプロジェクトに入りました。

その後5000mで日本記録を樹立し、学生時代叶わなかった世界選手権、リオデジャネイロオリンピックに5000、10000の2種目で出場。
北京世界陸上の5000mでは惜しくも予選落ちながら後半のペースアップについていくなど世界との差は縮まってきていました。

本当に挑戦する彼の姿勢はすごいと思います。
私だったら世界と戦うために単身海外というのは出来ないだろう。
大迫選手はその挑戦で世界が開けた、挑戦がものを言うというのはこのことだろうか。

そしてトラックからマラソンへ。

初のフルマラソン2時間10分台で国際マラソン初制覇。
2回目でサブテンを達成し2時間7分台。
そして3回目で2時間5分台の日本新記録。
改善に改善をし、トレーニングをし掴んだ日本記録。
大迫選手の改善して更に良くしていく思考は本当に凄い、真似したいというか尊敬します。
私自身あまりそういうのが得意という訳ではない、本当にすごい。


そしてMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)。
中村匠吾選手(駒大⇒富士通)、服部勇馬(東洋大⇒トヨタ自動車)に負け3位。
東京オリンピックの内定を取れなかった。
正直相当の有力候補だっただろう。
まさかまさかの結果、大迫選手はそこの後ケニアへ向かう。
そこで練習を積み、2020年東京マラソン。
最初から先頭集団について行き、途中後方の集団にいた菊池選手(明治大学⇒コニカミノルタ)が見えるも2番手の集団に追いつき井上大仁(山梨学院大学⇒MHPS)やアブディー、ビダンカロキ選手(世羅高校⇒DNA⇒トヨタ自動車)を追い抜き4位で日本新記録である2時間5分29秒で東京オリンピック代表を決めた。


私はTVでその様子を見ていた。
ラスト5km横腹を抑えながら前をおい1km3分のペースで走る大迫選手だった。
彼のがんばる姿、人間くさいその姿は本当に感動したし、かっこよかった。
彼は本当に凄い選手なんだと改めて感じた。


そして日本選手権の10000m。
最初から先頭でPMでカンディエ(MHPS)、ベナードコエチ(九電工)の後ろについて行き相澤選手の日本新をサポート。
大迫選手自身も自己ベストを更新した。


そして東京オリンピックを目前にした時に引退を発表。



そしてオリンピック。
最初からスローペースになり世界記録保持者エリウドキプチョゲの集団について行き、後半のペースに一次は対応出来なかったが、6位入賞の快挙
素晴らしい走りを見せてくれた。
最高のラストランだった。

正直引退して欲しくなかったし。
勿体ないなと思った。
ただそれも彼らしいラストランだったのだろう。
常識をぶち壊す走りや行動は僕達に新たな選択や勇気を与えてくれました。
同じ競技者として人として彼のことを尊敬する。
これからの更なる別のステージでの活躍に期待したい。

(日刊スポーツより)

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