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悪意はないのに酷い、の正体

悪意はなかった
悪気はなかった

聞く言葉です。
悪意がないのに誤解されたとか。
悪気のないミスで怒られた、
悪意はないのに酷いとか。

悪気はなかったんだけどな、
そんな経験誰にでもあるでしょうし。

でも印象的に悪意を持つ、というと
殺人犯が目の色を変えてニヤリと笑った時のようなものでしょうか。
そんな時なんて一度の人生で無いことの方が多いのではないかと。
それに悪意を持つ理由は、それ以上の事をされたと感じた時に生まれるものです。
その理由が身勝手なのかどうかはまた別問題ですが。

それよりよくある悪意というのは、
そういう、
そんなふうなつもりはなかったのに、
という時に溢れる言葉です。

悪気はなかったのに相手が勘違いして負の感情を持ったのを“悪意を返してきたから酷い”
ということなのか。
悪意がなかったから“許されるべきだ”
なのか。


悪意なんてないのにと言ってる側は
何者なのか。
悪意がなかったを許さないのは
悪意なのか?

悪意は相手にぶつけられるものではなく
自分の中にあるもの。

なのに自分に悪意はないと考える人のほうが多いこと。

先に書いたようなイメージの悪意なんてそうそう誰もが持つものではないのですから。
悪意がないのは当たり前ですし、
悪意がないからと言ってやったことが消えるわけでもない。

悪意があったのかなかったのか、
日々の普通の生活ではあまり問題ではなく、
その行動はなぜ生まれたのか。
そこを考えるべきなのでしょうね。
そして、
悪いものは悪かったと謝るしかないのでは。

そう思いついて、
あんなに恨む必要もなかったな、
そう思う今までのことも多くありますし、

あれはやはり悪くなかったな、
そうため息になる事もあります。


ふと過去に触れた悪意を思い出し、
それがもう20年も経っていることに気がついて。
この先どんなに思い出しても、
30年、40年と時は過ぎていくばかりで。

悪意なんてなかった
その言葉が悪意だと

そう刻んでおこう。

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