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北斗の拳とかまいたちの夜

暇に任せて、子どもたちがAmazon Primeで
「北斗の拳」を観まくっています。

ユアッッシャァァァァーーーッッ!(you はshock)とか、
ワーァチャチャチャチャチャァァ‼︎‼︎‼︎ とか、
「おまえはもう死んでいる。」とか、
「ケーーーーーーーーン‼︎‼︎‼︎」とかいう音を
BGMに仕事をする日々です。

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怖いのか、普段はケンカばかりしている兄妹が体を寄せ合い、
息を潜めて画面を見つめ、
グロテスクなシーンになると、
困ったように😃😃と凍った笑顔を
見合わせたりしています。

**
「怖いなら、観るのやめなよ」と言いながら
その姿を見て思い出しました。

1995年1月17日に阪神淡路大震災が起きた時、
私は震度7の東灘区に住んでいて、詳細は省きますが死ぬのかなあと思ったあと、家は半壊したけれどひとまず生き延びました。

しばらく余震に怯えたり、近くでガス爆発が起きるかもしれないと言われ
避難所に待機したりしたあと、車で大阪に住む祖母の家に避難することになりました。

一晩かけて大阪に行き、信じられないくらい平和で機能している大阪の街にいると、壊滅状態の神戸を思い出し、平和があまりに残酷に見えました。

祖母宅にいた1ヶ月ほどの間、当時高3だった兄と中3だった私は
よく一緒に遊びました。お互いしか遊び相手がいないから。

祖母の家の2階にあった小さなテレビに、ファミコンをセットしてゲームをしまくっていました。

大阪にも余震はあったから2階にいると古い木造家が揺れるのが怖くて、
兄と一緒じゃないと2階に上がれなかった。

その時に、私たちがはまっていたのが、そう。

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これです。
「かまいたちの夜」という当時流行っていたサウンドノベルホラーゲームというもので、画面に現れるストーリーに従って、行動を選択式で選んでいくと、事件を解決したり、あるいは途中で殺されちゃったりする。

スキー場近くの雪山のペンションに泊まった主人公(私たち)が、
居合わせた人たちが次々殺されるという事件に巻き込まれていくんですが、十中八九、間違った回答をして、ドアを開けた途端、

バーーーーーン!!!と刺されたりして画面いっぱいの血を受けて死ぬっていう。


いや…とにかく怖かった。

二人で震え上がりながら、2階に上がり、
怖すぎて大笑いしながら、残酷なゲームをし続けた私たちの心理状態はどう言うものだったのでしょう。

やがて復興という言葉とともに、街がゆるゆると、あるいは無理矢理に動き始め、学校も再開され、私たちは神戸に戻りました。

家は傷だらけで、壁に大きなヒビが入っていたし、
電車は不通で、バスを乗り継いで学校に通うことになりました。

街は壊滅したままで、自衛隊員をたくさんのせたトラックがバスの周りにいて、私は一緒に学校に通う友人と、「あのお兄さん、かっこいいね」なんて言いながら自衛隊員に手を振る遊びをしながらなんとか学校に通って、
兄は大阪の学校に時間をかけて通うようになりました。

そうしてまた私たちは基本的にディスコミュニケーションの、
よくある中高生の兄妹に戻っていきました。

「かまいたちの夜」はあれから一度もやっていません。

***

子どもたちを眺めていて、唐突に
私はあの頃の兄と自分を思い出しました。

残酷な現実に残酷なゲームを掛け合わせて逃避していたのか、
仕方なく喧嘩相手の兄を味方に取り入れていたのか、
どこかソワソワした不思議な時間でした。

でも、こうやって、あれからほぼ四半世紀経って、
不思議とのあの時の思い出が、「かまいたちの夜」のおかげで
どこか滑稽で楽しかったものになっている。

今、こうして、わけのわからないウィルスに怯えたり
友達に会えずにそれを夢見て朝起きて失望したり、
そうして過ごしている子どもたちが、
無事生き延びて、大人になった時に、

「あの頃、北斗の拳みまくってたなー(笑)」って
思い出してくれたらいいな、と、
母は思うのです。


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