【エッセイ】日々の含(第四回)
日々の含 (第四回)
『ライフハックのとろみ』
耳寄りな話を聞いた。
ライフハックは儲かるというのである。
「ライフハック」とは、家事や仕事といった我々の日常生活をより良くするためのちょっとしたアイデア、つまり暮らしの豆知識といった意味で使用される言葉である。で、そのライフハックとやらがどういう理屈で儲かるのかというと、その方法は大きく二種類あるそうで、まず一点目はこうした暮らしの豆知識をブログで紹介して収益化、つまり広告収入を得るという儲け方と、二点目は暮らしの豆知識を「商材」としてインターネット上で通信販売を行う、いわゆる情報商材により儲ける手法があるという。要するに広告収入で儲けるのか、あるいは情報商材で儲けるのかといった違いだが、これらはあくまでも手段の話であって、ではどうして暮らしの豆知識であるライフハックが儲かるのかというと、それは単純にニーズがあるから儲かるのだそうで、言い換えれば人はそれほどまでに家事や仕事という生活における「お困りごと」が多いという事になる。だから、儲けたければこうしたお困りごとを解決する知恵を提供してあげることで、あとは広告および情報商材の収益で荒稼ぎする事が可能なのであり、以上が冒頭で述べた耳寄りな話の全貌である。
というわけで私はライフハックでひと儲けする事にした。
まずはブログサイト『これで安心🉐ライフハック術(https://www.tamainolifehack.jp/)』を開設した。あとはこのサイトにお試し版のライフハックを掲載しておくことで、このWebサイトを見たユーザーに興味本位から購買意欲へと感情を促し、その上で商材であるライフハック集をじゃんじゃん売り捌いて私はたちまち百万長者、それだけに止まらず、この人気サイトに目を付けた一流企業が広告掲載を依頼、そして我がサイトに広告が乱立した結果、その収益により私は億万長者へと至るのである。なんてちょろいんだろう、世の中ってのは。とまあ皮算用はこれぐらいにして結局はここが肝心、つまり金の源泉であるライフハックを考案することにした。で、考案したので、以下の通りブログサイトに掲載した。
上記のライフハックを武器に私は情報商材購入者ならびに広告掲載企業を待つことにした。
一ヶ月後。ブログサイトのアクセス数は10、情報商材購入者数は0のままであった──どうして俺はいつもこうなんだろう。我がライフハックの一体何が悪いというのか。全く儲からない、これは変遷に忙しい世相のせいなのか、それとも商売感の鈍い私のせいなのか。その真相は全く分からないが唯一事実として分かるのは、この度私が紹介したライフハックは世に受け入れられていないという事であり、こうした失敗の事実は事実として真摯に受け止めなくてはならず、その上で次の一手を講じなくてはなるまい。で、講じた。即ち、今回の様に自分本位にライフハックを考えるのではなく、まずは先人の知恵を借りればよく、つまり既に荒稼ぎしている成功者達のライフハックに倣って、独自のライフハックを考案すればよいという寸法である。というわけで、成功者達のブログ記事を拝見させて頂いたところ、どうやらライフハックとは以下の様な事らしい。
上記に挙げたライフハック成功例を分析した結果、ある共通点に気付いた──つまり次の条件を全て満たせばこれぞユーザーが求めるライフハックである。
以上の条件に合致するライフハックを検討することにした。
がしかし、どうあがいても私の能力では「口が臭いヤツは歯医者に行け」「大抵のデブはワキガだから関わらない方がいい」ぐらいしか思い付かなかった。ようやく成功の手掛かりを得たというのに肝心のライフハックとやらが一ミリたりとも浮かばない。だってそうだろう、私という人間は家事の経験に乏しく、仕事の経験に至っては皆無、そのため、社会生活における普遍的な困りごとおよび解決策を想定することができないのだから。これは痛恨であり、今まで何もせず無為に暮らしていたツケがこんなところで巡り巡って来るとは夢にも思わなかった。折角ブログサイトまで開設したというのに最早これまでか……と諦めようとしたその矢先、ある妙案が閃いた。その妙案とは「親に助けてもらう」である。というわけで自宅を飛び出して実家へと急行した。実家はここから歩いて数十分の所にある。
実家の門を潜ると玄関口からは中に入らずに脇へ逸れて庭の方へ進むと「ああ来たの」と声を掛けたのは御母様であった。
来たよ、と返して庭に面した窓を開けてそこから家の中に入り、庭の奥で草むしりをしている御母様の様子を居間から見ることにした。梅雨時を間近にして最近はやけに暑く、そうなっては雑草の成長も著しい一方なので庭の草むしりをするのは当然の家事である。
「あんたも手伝いなさいよ」
と言う声を聞かなかったことにして冷蔵庫から飲むヨーグルトを取り出し、で、飲んだ。それからしばらくの間、草むしりの様子を打ち眺めていたが御母様は黙々と草をむしり続けており、そのむしり方にしてみても「熊手を使って雑草をひたすら引っこ抜く」という素人の私でも知っているごくありふれた手法で草むしりをしている。なぜ主婦である御母様は草むしりのライフハックをしようとしないのか。主婦と言っても昨日今日主婦になった訳ではない、この主婦はおよそ三十年に渡って主婦なのであってそこいらの主婦とは主婦の年季が違う。であれば、あの面倒臭い草むしりにおいてもライフハックの一つや二つ、直ぐに披露してくれるものと思っていたのにこれでは当てが外れたではないか。もしやライフハックの実行をうっかり忘れているのかもしれない、と見守っていると、
「水」
と御母様が言うので飲料水の入ったペットボトルを手渡す際に、草むしりの調子はどう?なにか困ってる事とかないの?あるんでしょう?なら主婦の知恵で乗り切ってみてはどうだい?お困りごとは?とライフハックを誘ってみたところ、御母様は呆れた表情で次のように言った。
「草むしりを手伝おうとしないあんたに困ってる」
私は御母様と横並びになって草むしりを始めた。
その間ずっと考えていた事は、これは果たしてライフハックといえるのか……であったがなかなかどうして草むしりは捗った。事実、一人でむしるよりも二人でむしった方がどう考えても能率は良く、そしてなんと驚くことに、御母様が考案したライフハック「息子に草むしりを手伝わせる」は、先に挙げたライフハック成功の四条件である、
「我々の身近によくある困りごと」
「手間の掛からない手段」
「安価な手段」
「今すぐにでも実行可能」
を全て満たしていたのである。よって、我々は一時間もしない内に庭の草むしりを終えることができた。ということはやはりこれは主婦のライフハックによる成果といえるだろう。しかし、腑に落ちない。
草むしりをすっかり終えて庭から居間へ戻ると「土埃で汚いから風呂に入れば」と言う。時刻はまだ午前十時、そんな早くから朝風呂丹前で御酒を頂けるなんて本当だろうかと怪しみつつ風呂場へ行くと確かに風呂が沸いていた。どうやら御母様は草むしりを終える時間を予測していたらしく、事前に湯沸かしタイマーをセットしておいたものと思われる。だから私は草むしり後にスムーズに風呂に入る事ができた。とすればこれも御母様によるライフハックだろうか、それとも「用意周到」と言い換えるべきだろうか。湯船に浸かりながらライフハックというのものが徐々に分からなくってきた。とはいえ一仕事終えた後の風呂は気持ちが良い、これは確かである。
風呂から上がってぼんやりしていると「昼ごはん食べていけば」と勧めるので、そんならお言葉に甘えてと昼食を頂戴することにした。
昼食の完成を待つ間、向こうの台所からは様々な音が聞こえてくる──手にした包丁が発する小気味の良い音だけではなく、切り終えた食材を勢いよく炒める音、そこに調味料を加えると音の勢いはさらに増し、と思いきや脇の方で何かしらを茹だたせている様子、そして棚から何を取り出したのであろうか、食器を揃えているのであろうか、また冷蔵庫から何か取り出したらしい、そうしたものが相手の意のままに導かれていくかの如し、もの同士の調和を感じたが、ともあれ料理の始めから終わりに至るまでのあらゆる物音が鮮やかであり自然でもあり、こういうのはなんていうんだろうか、ハーモニー?アンサンブル?調和音?とまあこうした家事の音を聴くにつけ我が食欲は高まる一方である。
そうそう、今回、私が実家を訪れた目的は「主婦のライフハックをパクる」であったが実はもうひとつ目的があってそれは、飯を食べさせてもらうこと。で、せっかく食べるのであれば美味しいものを食べたい、美味しいものを作るには高度な技術を要する、そうした技術力を持つ者が身近に存在する、つまり我が御母様は料理の名人なのだと私は言いたい。そして佳境を迎えているのであろうか、飯の匂いがこちらにまで漂ってきた。飯の完成まもなくである。そしてこの甘そうな辛そうな味噌々々しい香ばしい匂い、私には分かる、今日の飯はおそらく中華料理だろう。御母様ってば純日本人でありながら遠く離れた異国中国の料理を再現してみせるとは大したものだ。その匂いの正体は果たして回鍋肉か、青椒肉絲か、はたまた味噌ラーメンか……うわあ味噌ラーメンだったらイヤだな、昨日も食べたし。とそうした事を考えながら昼飯の完成を心待ちにしていると「あ、しまった」という声が聞こえた。
この「あ、しまった」には、先程まで台所から奏でられていた音の調和を乱すには十分であった。この不協和音に異変を察した私は台所に直行、フライパンを前にして佇んでいた御母様にどうかしたのかと尋ねてみたところ、
「麻婆豆腐は仕上げに片栗粉でとろみをつける必要があるの」
と言う。どうやら御母様は片栗粉を切らしていた事をすっかり忘れていたらしく、麻婆豆腐の完成間近になってようやく「あ、しまった」と片栗粉が無いことに気付いたのだそうである──麻婆豆腐に限らず、中華料理において「とろみ」というのは基本にして肝心であり、とろみをつけることができないのであればそれを指して中華料理と呼ぶことは断じて許されない。よって、今回御母様が作ろうとした麻婆豆腐はとろみをつけられないため、残念ながらその料理名は「豚の死骸と豆の腐ったものを切り刻んで加熱したヤツ」と呼ばざるを得ず、そんな残酷で不味そうな名前の料理、誰が食べたいというのか。麻婆豆腐を食べることができないってんなら最早用は無い。僕は帰る。で、帰ろうした矢先、
「ま、なんとかなるか」
と呟いた御母様が手にしていたのはジャガイモであった。
これは「オマエみたいな虫ケラ同然のゴミ野郎はジャガイモでもかじってろ」という親から子へのメッセージであろうか、いや、そんなはずがない。御母様はジャガイモの皮をむくと、今度はおろし金でジャガイモをすりおろし、それをフライパンに投入、熱を加えたところたちまちの内にとろみがつけられ、したがって、見た目は完全に麻婆豆腐であったが果たしてその味は──これぞ正しく麻婆豆腐って感じのいつもの麻婆豆腐であった。
「とろみはジャガイモでもつけられるから」
これを聞いてなるほど納得、どうやら片栗粉とジャガイモはどちらも同じとろみ成分を持ち、そのため、もし片栗粉が無かったとしてもジャガイモで代用できるという理屈らしい……ということはこれぞライフハックだ。
麻婆豆腐を食べ終えた私は自宅へ戻ることにした。
「片栗粉が無くてもジャガイモをすりおろせばとろむ」
親から学んだこの渾身のライフハックを我がブログサイト『これで安心🉐ライフハック術(https://www.tamainolifehack.jp/)』に早速アップロードした。しかし広告掲載を依頼する企業および情報商材を望むユーザーは誰一人として現れない。誰一人として現れないというのは、ジャガイモでとろむことを世の多くの人々がとうに知っていたからだろうか。だとしたらイヤだな。私はこれまでの人生において麻婆豆腐を百食以上は食べたはずだが、その際、とろみについては全く気にも留めなかった。そういうもんだろうと思っていた。しかし多くの人は人生の早い段階で「あれれ?どうしてとろむのかなあ?」的な疑問を抱き、とろみ成分について調査を行った結果「片栗粉の原材料であるジャガイモのデンプン質でとろむんだなあ」という発見に至ったのだろうか。何だか私ひとりだけが取り残されているような気がしてきた。とはいえ、とろみの件は周知の事実であり、そのためライフハックにならないんだから却下するとして、何か別の案を考えなくては、と再び新たなライフハックを考え始めたがそうして考えれば考えるほどとろみの一件が頭を離れず、気が付けば深夜、昼に食べたというのにまたしても麻婆豆腐を無性に食べたくなった私は、深夜営業のスーパーへ向かった。
豆腐を買った。ひき肉も買った。豆板醬も甜麵醬も、そしてライフハックのジャガイモも買った。では早速作ろうかなと取り出したフライパンは鍋肌が焦げついている。換気扇は油でベトついて汚らしい。魚焼きグリルは相変わらず魚臭く、トースターは底がパン屑まみれで、炊飯器の中は茶色い米がこびりつき、菜箸は一本しかなく、湯沸かしポットには去年のビーフシチュー、電子レンジの中は爆発した卵の破片が散乱、冷蔵庫を開けると「熱さまシート」が大量に入っている。どうしていつもこうなんだろう。だから麻婆豆腐作成の前に気を取り直そうと、ひとっ風呂浴びようとしたが、風呂の浴槽はカビで赤茶色に染まっていたのでそんなら仕方ないとシャワーで済ませて居間に戻ると、ハト時計が深夜三時を告げるポッポゥをやり始めたので、すぐさま冷蔵庫から熱さまシートを取り出し、ポッポゥを終えたハトが巣穴に帰った瞬間、穴を熱さまシートで塞いだ。こうすることでハトは巣穴から出られず、ポッポゥをやることができない。このハト時計ときたら早朝だろうが昼間だろうが深夜だろうが必ず、一時間おきに巣穴から飛び出してはポッポゥをやる。しかしもう二度とそれは叶わない。
再びキッチンの前に立つと、ひき肉を炒めて、豆板醬と甜麵醬を投入、豆腐に熱が加わったのを見計らってジャガイモをすりおろし、それをフライパンに投入した。しかしとろむはずの麻婆豆腐は一向にとろまない。追加のジャガイモを投入した。火加減を調節した。水を加えてみた。なのにとろまない。おかしい。御母様の調理工程と何が違うというのか。もしやこの焦げたフライパンが原因なのか、とろませる為には何かしらの前工程が必要だというのか、訳の分からないままに検証を繰り返して一時間が経過したその時、熱さまシートの壁をぶち破って巣穴からハトが勢いよく飛び出し、深夜四時を告げるポッポゥをやり始めた。
私はハト時計を壁から引き剥がして電池を引っこ抜いた。するとハトは大人しくなった。一時間おきのポッポゥをやめさせるにはどうすればいいのか。ハト時計の説明書は購入直後に捨ててしまった。困った。とろまないのも困るが、しかしとろんだからといってそれがどうしたというのか。そんなことは私の人生に関係無い。当面の問題はとろみではない。困ってない。私はハト時計を解体し、そして一時間おきに鳴くポッポゥを六時間おきに変更すべく、その原理を調査することにしたのである。
とそんな事を思っていた、明け方の含。
以上
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