「嫌われる勇気」を読んで
今日は、旦那さんがお休みの日。
朝からアドラー心理学について書かれているベストセラー、「嫌われる勇気」について書かれている内容を踏まえ、いろいろな話をしました。
そもそも、3つ病院を回ってきている自分。
それぞれの転職にしっかり理由はつけていたものの、もちろんすべてがマイナスでもなく、割と自分の中ではプラスの転職のつもりでしたが、退職時には限界を超えるくらい、退職する職場がものすごく嫌いだった。
1回や2回なら、まあたまたまかな、と思う。
ただ3回続くと、
「ふむ。原因これわたしもあるだろうな」
と、思うわけですね。
そして、2016年に書店で話題になった当初、購入して読破していたこの「嫌われる勇気」をもう一度読んでみよう、そして内容を自分で紙に書いて自分と照らし合わせ整理してみよう、と考えたのです。
読んだことは初めてではなかったが、やはり状況が違うと感銘を受けるところや深さも違うのか、目からうろこの部分が非常に多かった。中でも、自分が衝撃を受けた点について、自分を例に出して書き留めておきたい。
”自己評価が低い”ということに関して。
わたしは、学生時代から自分のことが嫌い、と公言していた。
友人が「自分大好き!かわいい!」と言っているところがまるで理解できず、自分のことを好きになれるなんて到底無理だと考えていた。
理由としては、他人と比較して自分が劣っていると思う部分が非常に多かった(学生時代は、そう感じていた)。
例えば、顔が丸い。スタイルが悪い。髪の毛が天然パーマ。鼻が低い。目が一重。足が太い。など・・・言い出したらきりがないし、今も全部変わらない。何一つ自分で努力して対処もしていないので。笑
しかし、この本で哲人は言う。
自分を好きになれないのではなく、自分を好きにならないでおこうと決心している。そしてそれは、自分を好きにならないことが、あなたにとっての”善”であるから。
と、解説している。
目的として、”他者との関係の中で傷つかないこと”だそうだ。
なるほどな、と思った。
今までは、こんなにコンプレックスがたくさんあって、なんで自分のこと好きになれるんだ、なれるわけがないと決めつけていたが、
友人や旦那さんは、それでも自分のことを好きでいてくれる。
なのにわたしが、わたし自身を堂々と好きでいられないのは、嫌われたときの防衛線を張っているからなのか、と理解した。
自分の短所をいくらでもいえて、自分自身が自分のことを嫌いだと思い込んでいれば、仮に他者から嫌われても、「だってわたしもわたしのこと嫌いだもん。こんなにたくさんのコンプレックスがなければ」といくらでも言い訳できる、というわけだ。
対人関係を恐れるあまり、自分のことを嫌いになっていた。
自分を嫌うことで、対人関係を避けていた。
現在わたしは、人から嫌われることについてさほど恐れていないだろうと、そのように自分のことを認識していた。
しかし根底では違ったということだ。
そこにもびっくりした。
また、有名な”すべての悩みは対人関係である”というこの本の根幹のフレーズ。
わたしは、劣等感、コンプレックスも、比較対象である他人あっての悩みであることから、対人関係に帰する、と読んで、これまたびっくりした。というかものすごく腑に落ちた。
この本は、誰が読んでも、そのときの自分に刺さるものがあるのではないか、そう思います。
この本に書いてあることをヒントに、ひとつひとつ自分の考え方を広げていくことができたら、また明日からの人生、少しずつ変わっていけるかな。
”変わりたい”と考えていることは明白です。
もっと楽に生きたい。
自分の意思や望みがなんだったのか、考えることを忘れてしまうほどに、日々忙殺されてつらかった。
自分の内の声を聞きながら、他者と適度なコミュニケーションをとって、健康に生きていきたいと考える所存です。
おまけ。今日の3行ポジティブ日記
1.久しぶりに旦那さんと繁華街に行って、気分が晴れたこと。
2.「嫌われる勇気」について旦那さんと価値観の話など色々できたこと。
3.明日のお弁当、晩ご飯の買い物までできたので、明日はゆっくりできるなという心の余裕ができたこと。
内容薄い。笑
けどわたしには大事なことです。続けていこうと思います。