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白衣の天使さん、というけれど。

今日もまた天気がよくて、風もあって気持ちいい1日。

朝はここのところ毎日7時30分に起床して、夫の弁当を詰め、ひとりで家の周りの散歩に出かける。朝散歩は4月からできるだけ続けてきて、今ようやく3ヶ月経過したところ。わたしの好きな精神科医YouTuber樺沢紫苑先生がいうには、3ヶ月、まずは朝散歩を続けてみようということ。それによりメンタルはかなり持ち直すらしい。今の生活はニートなので、感情が高ぶることもあまりないけど、ふとしたとき鏡に映る自分の表情が、顔をしかめていることはほぼないので、少しはましになっただろうと思いたい。
夫の弁当は、ニートなのに弁当も作らない妻なんてどうかしてる、と思ってしまう自分の固定概念から、割と無理をして続けている。本当は料理がもともと一番苦手だし、前日の夜に弁当の中身とか考えて、夕食後にまたフライパンつかって洗い物増やすのも少し悲しいけど、帰宅後の夫の「今日もおいしかったー!!!(^O^)」の言葉でちゃらになっていまのところ続いている。

かくいうわたしは、月半ばの面接で採用が決まり、8月から介護施設での勤務が決定した。
いままでは当たり前のように病院での仕事ばかりを続けてきたため、介護施設での看護師の立ち位置もわからないし、施設の老人が病院に診察にいったり、急な状態の変化で救急車を呼ぶときなど、どんなふうに判断し対応しているのか知らない。医師は常駐していないし、病院だったら・・・と思ってしまう不便さも絶対あるだろうけど、看護師という資格は、いろんな場所で働けるんだなあと思ったら、転職活動中少しだけ誇らしかった。
病院だけじゃなくて、施設での経験も絶対してみたいと思ってたし、7年間病院で働いて、看護師という仕事に対してわたしは根本的に思い描いているものと違うなと感じ始めていた。


わたしは29歳看護師。看護師として病院で勤務して8年目になった。

看護師を目指したのは、おそらく高校生の時。
小学生の頃、父の転勤の都合で発展途上国に住んでいたこともあり、自分と同じ年代なのに路上で物乞いしていたり、貧富の差を目の当たりにしていたので、漠然と「将来は、みんなの力になれたらいいな」と思うところから始まったと思う。

高校2年生になって、夏休みに1日職業体験というものがあり、近所の病院へ友人とともに看護師の体験に行く。その病院は看護師さんたちがみんな優しくて、1日とても楽しかった。看護師になるのもいいなと思っていた。

高校3年生になり、受験を前にして、わたしは自分の学力でいける最大限の大学学部を目指したけど、その学部は看護学部ではなかった。だけど夏休みの終わり、塾の講師に、「志望校はおそらく難しいだろうから学部の変更か大学の変更を検討しろ」といわれた。そしてそのとき、同大学の看護学部の偏差値がもともと目指している学部より低かったので、再び看護学部を視野に入れることになった。

そこからは、4年制大学を楽しみ、勉強し、晴れて看護師になった。
もともと”発展途上国など、国境を気にせず世界のみんなを助けられる人になりたい”という漠然とした思いがあって看護師を視野に入れたことから、国境なき医師団を目指して経験を積んでいこうと思い、付属の大学病院を蹴って東京の病院で就職。
そこからは紆余曲折あり現在に至るわけだが。


社会人として働くとそうだが、自分の性格や特性、好きなものなどが少しずつ見えてくる。それは、学生時代に好きに生活していたときにはみえなかった新たな自分だ。


わたしは、いろんな国のいろんな人を助けたいと思っていたけれど、日本の病院で平凡に働いているうちに、高齢者がすごく好きだという自分に気づいた。こんなに高齢者がたくさんいる国はそうない。日本の病院はわたしに合っている。
いままで同世代としか関わっていなかった分、世代の違う人々の生活の場で看護をすることは、いろんな話を交わし、いろんな励ましを受け、本当に心強かった。いつも「看護師さんは本当に強いね」と何度も声をかけていただいたけど、わたしらはいつだって患者さんに支えられている。患者さんが嫌いな看護師は一人もいないと思う。患者さんとのふれあいで、一番元気をもらえるのが看護師の特権だから。
点滴を変えながら、輸血をしながら、おむつを替えながら、検査から車椅子でお迎えしながら、トイレ介助しながら、さまざまな患者さんとさまざまな話をする。毎日会っていると、今日は様子がおかしいね、とお互い気づいて「大丈夫?なんかあった」と声をかけたり、「今日誕生日なんです!」と話してお祝いしてもらったり、退院の時に心のこもったお手紙をもらったり、泣きながら「よかったね」と話したり。
人との関わりは必ず自分の肥やしになると実感した。
なかでも高齢者は、まだまだ若輩者のわたしにいろんなアドバイスをくれたし、人生相談にも数え切れないくらいたくさんの人が乗ってくれた。また、病気と真摯に向き合って闘っている高齢者や、なにか守るものや目標があって、静かに耐えている高齢者など、その姿、背中から学ぶものは非常に多かった。認知症の患者との接し方で悩んでいる家族、患者の容態がどんどん変わっていき、理解できず苦しむ家族。そんな方々の助けになりたいと心から思えたことは、わたしが看護師という道を選んでから知った自分の特性だ。

以前、義理の母と話していたとき。
義母は介護施設で介護職員として働いているが、職場でのできごとなどを夫とふたりで聞いていた。
「わたしは、人の世話なんてできるならしたくないし好きでもない」と話していた言葉が心に残っていた。
わたしからすれば、人の世話が好きではないのに介護士という仕事がつとまることにまずすごいな、と感じるし、介護という仕事は、好きじゃないと成り立たない仕事の典型だと思った。事務仕事はあまり好きではなくてもできるかもしれないが、介護は好きではないとなかなか割り切れないし続かない。
また、その言葉を聞いたとき、わたしは違うなとも感じた。
好きな仕事は、おむつ交換、入浴介助。老人のトイレ介助は嫌いじゃないし、食事介助もたくさん食べてくれる人は気持ちよくて好き。
そう、仕事のそれぞれの内容がわたしは苦じゃないし、汚いとも思わない。そういうところで、自分の特性を一つまた知った。

そして最後に。
高齢者や患者さん全般が好きだから、その人たちから拒否言動を聞くのがなによりもつらかった。
「点滴もうしないでよ。邪魔なんだよ。」「また薬増えるの?もう飲みたくない」「また採血?絶対失敗しないでよ」「もう痛いことしないでよ」
患者に侵襲を伴う処置をするのは、医師だけでなく看護師もそうだ。
頻度で言うとやっぱり、採血や点滴ルート確保は必ずしなきゃいけないし、その針を刺す処置でわざと失敗しようとしている看護師なんてひとりもいない。だけど、連日続く痛みを伴う処置に対するストレスから、患者はいつだってネガティブな言動を発する。それは普段にこやかに過ごしている人もだ。人間の負の感情をわりと受け止めなければならない仕事でもある。

必要であれば、指示の通りにくい患者に対しては抑制だってするし、トイレに行けるのに多忙のため難しく、おむつ内に排泄してもらうこともある。患者にとってはつらいことを、病院では平気でしなければならないのだ。
患者さんがいつまでもベッドや車椅子にはり付けられているのをみるのは、本当に悲しかった。それをどうしてあげることもできないわたし自身に対しての情けなさがつらかった。
病院は、治療をするために、患者に苦痛を伴うことをする場所だ。
この大きなことがわたしは、現場に出るまでわかっていなかった。それによりつらい思いをしている患者さんの顔を、もう見たくなかった。から、逃げた。

いろんな思いがあって、もう病院看護師からは一度手を引いた。
転職エージェントや前の病院の上司は、「一度現場を離れるとまた戻ってくることはできない。ブランクが大きい」と話すが、果たしてそうだろうか。
その人のやる気次第だと思う。
看護師がやってる業務なんて、所詮は慣れですから、ブランク関係ないです。
わたしは次、また新しいところで看護師の役割というものを学びたいと思う。

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