まあるく明るい一日。

今日は、なんだかぼんやりとした一日だった。

結婚して3年目。夫婦げんかを頻繁にしていた時期を少し過ぎ、夫も家事に対してわたし以上に協力的になってくれている今。喧嘩をしていた頃は、『一人暮らしのときのほうがよかった。独身なら、自分のことだけしていればよかったから。一人の方が気が楽だった』などと夫に感情のままにぶつけてしまっていた。それを聞いた夫の切ない顔が今でも目に浮かぶ。

今日は事情で夫が2日間家を空けることになった。以前のわたしなら、独身の頃の気楽さを夫にぶつけるくらいだから、何をするにも一人でのんびりできるとうきうきしていたんだろうけれど、実際、今日は非常に虚無な一日だった。

買い物に行っても、鳥の死骸をみても、風の強さを感じても、海面に光が反射してキラキラしていても、何を感じても共有できる人が隣にいないさみしさ。いつも、「ねえねえこれがさ」「あのさー」と話すわたしの話を、いつもうんうんと聞いてくれる夫。そんな夫が隣にいない。どう表現していいのかわからない、何をしても見ても感動なんてない、ほんとうに平べったい一日だった。

本を読んだ。「夏物語」という川上未映子さんの作品。今のわたしには非常に興味深く、おもしろく、すらすらと読める作品だった。感銘を受けた部分を抜粋して、記録のために載せておく。

”ねえ、子どもを生む人はさ、みんなほんとに自分のことしか考えないの。生まれてくる子どものことを考えないの。子どものことを考えて、子どもを生んだ親なんて、この世界に一人もいないんだよ。すごいことだと思わない?それで、たいていの親は、自分の子どもだけには苦しい思いをさせないように、どんな不幸からも逃れられるように願うわけでしょう。でも、自分の子どもがぜったい苦しまずにすむ唯一の方法っていうのは、その子を存在させないことなんじゃないの。生まないでいてあげることだったんじゃないの”

反出生主義では決してないけれど、わたしは似たようなことを思っている。夫が子どもをほしいと思っているから、きっといつかは子どもを産むんだろうけれど、わたしは基本的には子どもはいらないと思って生きてきた。それは、子どもを産むことは完全に親のエゴだと思っているから。この世に生まれて、親を恨んでるわけでも憎んでいるわけでもないけれど、この世は儚いものだといつも思っている。いつだって自分の思い通りにはならないし、いい人だから幸せになれるわけでもない、いつ何が起こるかわからない、苦しいことに巻き込まれてしまうこともある。日本はここんところ目に見えて衰退してきているし、老人が優遇されている世の中がいつまでたっても変わってない。こんな状態の日本で子どもを産んだら、その子どもは私たち世代以上に苦しい思いをすることは容易に想像できてしまう。そんなこと、わたし自身は望んでいないから。周りの人がいろんなことをいう。「子どもはいいよ」「一人は産んどいた方が」など、非常に言われたくない、関係ないことを好き勝手言ってくる。でもまあ正直、その外野たちはわたしの人生の責任をとってくれるわけでもないので、基本は受け流すのみ、なんだけれど。

”「子どもをつくるのに、男の性欲に関わる必要なんかない。」遊佐は断言した。「もちろん女の性欲も必要ない。抱き合う必要もない。必要なのはわたしらの意志だけ。女の意志だけだ。女が赤ん坊を、子どもを抱きしめたいと思うかどうか、どんなことがあっても一緒に生きていきたいと覚悟を決められるか、それだけだ。いい時代になった」”

非常にいい。最後の、”いい時代になった”という言葉で締めくくられるこの遊佐さんの発言がとてもいい。遊佐さんは、物語の中でも、歯に衣着せぬ物言いで、発言内容もわたしは非常に好感が持てたし、狭い価値観で自分の周りの人をしばるようなことをしない、とても素敵な人だなと感じた。女の意志だけで、子どもを作るかどうかを決めたらいい、という遊佐さん。いろいろな考えの背景はここでは省くけれど、わたしも本当にそう思います。


いい本に出会えると、なんだかぼんやりした一日も、割とまあるく明るい日だったような感覚が残る。その余韻で、今日は一人缶チューハイを家で開け、適当なものを食べている。自分一人のためだと、キッチンには絶対に立てない自分をまた再認識する。そりゃ独身の頃は楽だ。だけど、一度2人の幸せを味わってしまうと、一人になったときに虚無感だけが強く残る。

明日は一人で起きて、仕事に向かう。それでも元気に生きる。

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