鯉のぼり龍となれ
おはようございます。
もうすぐ子どもの日ですね。
うちの近所の河川敷では毎年鯉のぼりがそよいでいます🎏
そもそもなんで子どもの日に鯉のぼりを空に掲げるのか。
それは子ども(特に男の子)にスクスクと育って欲しい願いが込められて始まったもの。
昔、武家に男の子が産まれると、お祝いに家紋や幟旗を掲げる風習があった。
それに庶民が憧れて、縁起の良い鯉を掲げるようになったのだとか。
そしてなぜ鯉かと言うと、滝を登った鯉が龍になったという伝説があるほど、鯉というのは逞しい存在だからだ。
どこででも生きていけて、滝をも登る力を持つ鯉のように逞しく育って欲しいとの願いが、鯉のぼりには込められているのだ。
さて小ネタはここまでで、ここからが本題。
🎏🌊🐉
じゃあ僕はどんな龍になりたいか
考えました。
考えた結果、僕はこの龍になりたいんだな、となりました。
ミニリュウ。
可愛さ溢れるミニリュウです。
なぜミニリュウなのか。
それは愛くるしいからです。
龍は大体が神格化されるほどに絶対的な存在です。
願いを叶えてくれる程の力を持つ龍もいます。
僕はそうじゃなくて良い。
絶対的な存在じゃなくていいから、皆と同じ目線にいたいです。
そして物理的な武力を兼ね備えるのではなく、すぐに誰かに寄り添える優しさを兼ね備えた存在でもありたい。(そしてできれば可愛がられたい。)
ミニリュウは実は武力も凄い。
自力ではかいこうせんを覚えるし、ふぶきだってかみなりだって繰り出せます。
普段は可愛い顔しといて、いざとなったら秘めた力を発揮できるのが、ミニリュウなのです。
そんなミニリュウに僕はなりたい。
今、そう思えている自分を誇りたい。
かつての僕は最終形態のカイリューばかり目指していたからだ。
もっと強くならねば、もっと逞しくならねば。
新卒で入社した会社。今考えれば待遇も他の企業より良かった。だけれども上ばかり見ていた。
同業種の新卒のあいつはもっとビシッとスーツを着こなして先生とも違和感なく会話している。
それに比べて僕はなんだ。学生感から抜け出せない。だから先生にも舐められる。まるでいつまでも進化しないミニリュウのようだ。
そうやって自分を卑下していた時代から、こうやって自分はミニリュウで良いんだと思えるようになったことを褒めてやりたい。
今なら自信を持って言える。
僕はいつまでも誰かに寄り添えるミニリュウでいたい。
そしてこうやって何になりたいかを選べるようになってきたのが、現代の良いところです。
昔は男は力強くなくてはいけないとされていた。
しかし今は選べる。
ミニリュウのように可愛い存在を目指してもいいし、ハクリューのように
男であっても美しい存在を目指してもいい。(大人になって改めて見るとハクリュー美しすぎて尊い)
カイリューのように
カッコ良さと可愛いさの両どりを目指してもいいのです。(カイリューの、こいつ怒らせたらヤバい感凄い)
君はどのリュウになりたい?
子どもにはどんなリュウになってほしい?
それを選べるこの時代に感謝。
終わり