檸檬で連想ゲーム
おはようございます。
白さんのこちらの記事を読んで、連想することの大切さを感じました。
試しに『檸檬』で、あれこれ連想してみたら色んな思い出が付随して蘇ってきました。
俳句に昇華することは相変わらず出来ないのだけれども、創作する上でも役立つな、これは、と思ったので、とりあえず脳内に浮かんだことを記録しておこうと思います。
『檸檬』でまず連想したのは、爽やか、酸っぱい、甘酸っぱい、初恋あたり。そこから『檸檬』で詠まれた句も読んで、レモンティーの存在も思い出した。
レモンティーで言うと印象深いのが、小学生の頃。クラブ活動でサッカーをしていた時の光景が蘇ってきた。冬の寒い時期に保護者のお母さん達が用意してくれていたのが、甘いレモンティー。練習終わりに飲んだレモンティーの温かさは知らず知らずに冷え切った体を温めてくれた。そこから派生して運動場を照らしていた大きな照明が好きだったことも思い出した。通常の学校生活を送っているだけだと見ることのできない光景。人工的な照明に照らされた運動場に特別なものを感じて心躍った。
レモンティーは高校、大学では相棒の一つであった。小洒落たレモンティーじゃないよ。紙パックのやつね。高校からの帰り、サッカーグラウンドまでの往復、大学の講義中の机上、そこにはいつも紙パックのレモンティーがあった。だから檸檬を思うと青春と結びつく。
本格的な輪切りの檸檬が乗ったレモンティーを飲んだのはいつだっただろう?はっきりとした時点は覚えていないが、おそらくカフェ巡りにハマっていた時だろう。初見でスプーンに載せられた輪切りの檸檬を見た時は、飲み慣れている素振りを見せつつ、内心は困惑しっぱなしだったのは覚えている。
カフェ巡りでは、よく檸檬を使ったケーキに出会った。檸檬の爽やかさに合う珈琲を見つけた時は、カフェ巡り仲間と歓喜した。カフェ巡り仲間イコール、バイト仲間でもあった。レモンパウンドケーキを食べながら、バイトの愚痴や、大学の勉強したな。男三人で女子みたいにケーキに目をキラキラさせて。
そして大学生、お酒を呑めるようになってからは、檸檬は唐揚げの横にある存在になった。絞ってサワーに入れる存在になった。唐揚げの横の檸檬を誰が搾るのか、誰が「絞りましょうか」と真っ先に言うのか。檸檬はその場にいる人間の中で誰が一番気を使えるのかを判別する道具となった。唐揚げにかけられ、サワーに入った檸檬は、ただ、ただ、美味しい存在となった。
大学二年生くらいで一通りのお酒を飲んできた奴が言う。「結局檸檬を浮かべたコーラが一番美味い」って、世紀の大発見をしたかのように、皆が一度は想うことを言う。それは僕なのだけれども。(檸檬とコーラとポテチは今でも最強の食べ合わせだと思ってはいる)
檸檬で酸っぱくない想いもした。珈琲屋で働いていた時の買い出しで定期的に檸檬を買っていた時だ。間違って指定されたのじゃない種類の檸檬を買って怒られた。苦い思い出。でも時間が苦みを和らげる。今ではほろ苦い思い出。
結婚して料理を人並みにするようになってきてからは、檸檬と言えば調味料の一つとなった。檸檬を使った料理を食べたくなることで夏の訪れを感じるようになった。檸檬の酸味が効いたタコのカルパッチョは最高に美味しい。
と。振り返ると僕と檸檬の思い出には、恋愛要素がほぼ無い。なんてこった。だから叶わなかった夢を叶えるために、創作で初キスは檸檬の味がした、などとほざいてしまうのか。ああ、酸っぱい。
そしてここは完全に米津さんのあの曲を載せるべきなんだろうけど、この曲が僕にとって今一番甘酸っぱくて檸檬のようなので、これを添えておきます。
オレンジ色の檸檬、真っ白な檸檬、どんな色の檸檬も覚えてる。君がそれを好きだと言ったから。
終わり
ここまで読んでいただきありがとうございます。