初の長めの小説を書き終えて
こんばんは。
初めて長めの小説を書き切ったことに満足している、たまごまるです。
小説と真剣に向き合った一月でした。
その中で僕が感じたことを記しておきます。
総括すると、
書くことってめちゃくちゃ楽しかった。
その楽しさの要因をもう少し掘り下げていくと、
まず何が楽しかったかって、
日常に転がっているものにスポットを当てる作業が楽しかった。
今回の小説の主な季節は冬だったんですが、冬を冬という言葉を使わずに表すにはどうすれば良いだろう。って考えるのが、すんごく楽しくて。
冬って僕の中では無機質な印象があって。あとサンタクロース。じゃあ、サンタがプレゼントを配る変わりに色んなものを奪っていった結果が冬なんじゃない。って考えたりして。
それが小説の冒頭文になった。
そして日常に転がっているものにスポットを当てるの延長線上で、
本とか映画とか音楽とかあらゆるコンテンツの表現方法にも、凄く敏感になれて楽しかった。
特に映画やドラマね。本はそれまでも良い言葉が出てきたページには付箋してたんだけど、小説書き出してからは、映画を観る時でも何か一つでも表現盗んでやろうと、メモ帳片手に観るようになって。
こうなると、これまで流していた表現一つ一つが夏の日差しくらい輝き出して、一層注視するようになれた。
特に大豆田とわ子は凄かった。1話にどれだけのネタ詰め込んでいるのかが鮮明に理解できた。さながらボディブローをひたすら繰り返すボクサーみたい。ブロッコリーで殴り合う元旦那達、とか、どこかで使ってみたい言葉が凝縮されていた。
こうやって一つ一つの言葉や仕草や服装や風景に注目するようになったら、映像コンテンツを観る事がこれまでの何倍も楽しくなっていた。
そして楽しんで観たり、読んだりしてたら、その表現を用いて書いてみたくなって。
コップに注いで注いで、ジャンジャラ溢れて溢れて。
好循環が過ぎるよね。
小説を書くには、本を沢山読むべしってのも、体感として理解できた。
でも小説を書くって楽しいだけでも無いなってのも痛感した。正確に言うと、楽しく書ける時間って1日の中で限られているってのを実感した。
最初の1、2時間は新たな気持ち、書きたいアイデアが溢れてきて、それこそ、楽しい気持ちで書ける。でもその時間は必ず終わる。終わったら、急に面倒くささが襲ってくる。そんな状態で良い文章が書けるはずが無い。
僕は1日長くて3時間が限界だった。それ以上書こうとすると、どうしても適当になってしまって。
だから小説って日々の積み重ね。短期間で完成するものでは無いんだなってわかった。
だからこそ、あんなに長いページ数を何冊も書き上げている作家さんやnoterさんを改めて尊敬できた。
僕らを楽しませるために、日々奮闘してくださっていることに感謝できた。
感謝できるようになったら、また読むことが楽しくなって。そしてまた書きたくなって。
はい、また好循環。
今の僕は読むのも観るのも書くのも全部楽しい。
そしてワクワクもしている。
次はどんな物語を、僕は書きたくなるのだろう。
終わり