飛ぶ夢を私も見ない(うたすと用)
晴れ渡った空って海だよね。そりゃ鯉のぼりだって間違えて空を泳いじゃうよ。
ズル、ゴロゴロゴロ、ドカン!
鯉のぼりを見上げることに夢中だったエミリは階段を踏み外して二十段下まで転がり落ちた。せっかく不倫相手と決別することができて新しい日々がスタートするはずだったのに。両脚を骨折してそのまま入院生活に突入してしまった。
様態が落ち着くまでは個室で過ごしたが、一週間経過した時二人部屋への移動を提案された。その病室を先に使用しているのが男性なのが気にはなったが、その男性も両脚を骨折していることを聞いて、妙な仲間意識が沸いた。それに、それだったら何かされる心配もないだろうと思い二人部屋への移動を了承した。
二人部屋は想像していたよりも狭かったが、カーテンで仕切られており、プライベートな空間は確保されていた。奥のベッド側を男性が使用していたので、エミリは入口に近いほうのベッドで新たな入院生活を過ごすこととなった。
隣の男性に挨拶くらいはしておいたほうが良いか悩んでいたら、その男性から先に挨拶してくれた。
「はじめまして。なるべく物音を立てないように過ごしますが、もし音が気になるようでしたらいつでもおっしゃってください」
カーテン越しに届いた声色と言葉の羅列は、とても誠実だった。
この人となら仲良くなれると感じたエミリは積極的にその男性との会話を楽しんだ。
day1
最初に話した内容は仕事や趣味の話では無く、土管の話だった。どんな話の流れでそうなったのかは覚えていないけど、この人にならそういう話をしても受け止めてくれる、という確信があった。
「私って土管が好きなんです」
これまで出会ってきた人は、この話をすると、なんで土管が好きなのかをテンプレートのように聞き返してきた。
だけどスピア(あ、この男性はスピアって言うの)は
「その土管ってのはドラえもんの?マリオの?」
と少しズレた質問をしてきて可笑しかった。
私が好きなのはドラえもんのほうの土管だった。小学生のころ、早く帰っても家には誰もいなかった。友達も上手く作れなかった。唯一の友達が公園の土管だった。この土管の中にいると不思議と安心できた。泣き声も独り言も反響して私を包みこんでくれた。だからお母さんが帰ってくる時間になるまで土管の中で過ごしたんだ。
カーテン越しのスピアの存在もなんだかあの時の土管のように思えた。
day2
この日はわたしの趣味の話をした。
わたしはゲームが好き。特に最近ハマっているのがパソコンでしかできないRPGゲーム。プレイするのは初めてなのに懐かしくて優しい気持ちになる不思議なゲーム。狼のような見た目のマスターがいたり、冷蔵庫みたいな形をしたカリスマを仲間にできるのが楽しいの。なによりゲームに使用されているBGMが俊逸で、その音楽がいかにすごいのかを力説した。
スピアはゲームはしたこと無いって言っていたのに、わたしの話を熱心に聞いてくれた。次までに僕もそのゲームはやってみるねって、やっぱり誠実な人だ。
だけど私が真に欲しい言葉はくれなかった。
day3
この日はスピアの趣味の話を聞いた。
スピアは最近俳句にぞっこんらしい。
スピアは本当に俳句が好きみたい。俳句の話をしてくれた時はいつもより声のトーンが少しだけ上がってた。
スピアが今詠みたい景色は、地元の山らしい。スピアの地元の山は、山たる山だそう。意外と山って台形のものが多いけど、スピアんとこのは、「山」という漢字にふさわしい綺麗な形をしているらしい。方向音痴のスピアにとって、その山は家へ帰る道しるべだったみたい。その山を久しぶりの帰郷で見た時の感動を詠みたいんだって。それが叶ったらスピアにとっての渾身の一句になるらしい。
スピアは私にも
「エミリだったらどんな景色を句にしてみたい?」
と尋ねてきた。
私はおそらく星の句を詠むと思う。私は星が好き。よく言われることだけれども、今見えている星の光は何年も前の光だってのにロマンを感じるの。私が好きなシリウスの光だって8年前の光なんだから、とっても不思議。光が何年も旅して私たちのところに来てくれているんだ。
「今この瞬間にシリウスを出発した光を8年後に誰と見ているのかって思うとドキドキしちゃう」
そんな私の言葉の後にスピアは
「エミリは素敵な人だね」
と言ってくれた。でも私がこの時求めてたのはその言葉じゃない。星を一緒に観に行きたいね、って言ってほしかった。
day4
スピアとの別れは突然だった。
私が寝ている間に違う病室に移動になったみたい。
そしてそのまましばらくして退院してしまった。なによ、仲良くなったんだから、一声掛けてくれればよかったのに。スピアにとって私はそれくらいの存在だったのね。結局顔も見れないままだった。
スピアは本当に存在していたのかなって、季節がほぼ一周した今、想う。
想いながら、ピンクの空を見ていたら、あまりの美しさに足元の小石に気づかずに転んじゃった。
いてててて、これじゃ去年と同じじゃない。しっかりしろ、私。
立ち上がろうと思った時、懐かしい音が聞こえてきた。
「お姉さん、大丈夫?飴でもどう?」
そこは絆創膏でしょ、とツッコミたくなったけど、その音の柔らかさに、飴か絆創膏かの違いなんて、どうでもよくなっていた。
視線を上げると、桜を背景にしてスピアが微笑んでいた。
差し出しされた手には飴じゃなくて、ちゃんと絆創膏が握られていた。
スピアは私が擦りむいた膝に絆創膏を貼ってくれた。
絆創膏を舐めたことはないけれど、きっとこの絆創膏は飴より遥かに甘いに違いない。
それから、3週間後。
私たちは飴よりも、絆創膏よりも、甘い言葉を贈り合った。
簡単な言葉
だけどその言葉の羅列を私は待っていたの。
おしまい(音楽込みでの物語なので是非音楽と共にご堪能くださいませ。)
こちらの企画に参加させていただきました。
ハナウタナベさんとcofumiさんという才能の共演を堪能させていただきました。気に入りすぎて50回以上は聞いたんじゃないかな。それこそ、ふとした時に鼻歌で歌ってた。
◇
おまけの小話
この物語には沢山の方に登場していただいております。
エミリはMiwaさんをモチーフにしております。音楽と聞いて1番に浮かんだのがMiwaさんだったので。なので物語には登場させませんでしたが、エミリの職業はMRで歌がとっても上手です。実際のMiwaさんはエミリのようにドジでは無いですけどね。
もう1人の主人公のスピアも偉大な音楽家をイメージしながら書きました。さすらいの旅人。
そして土管はかっちーさん。
冷蔵庫はフリさん。
マスターは白さん。
いつの間にかオールスターに感謝祭な物語になりまして、1人テンション上がっておりました。
誰かを想って書くと1人で書いているのに温かい気持ちになりますね。
終わり