仕事辞める
仕事を辞める決心がついた。
僕は元々今の職場に10年勤めたら辞めようと考えていました。当時、的外れな転職活動をしていた僕を拾ってくれたのが今の職場で、その恩を返すために10年は何があっても働こうと決めていました。
そして気づけば今の職場で働きだして、7年の月日が経過しました。
このまま行けば10年なんてすぐに来てしまいます。
10年で辞めようと思っていたのに、困ったことに、辞める理由がありません。
仕事内容も待遇も同僚との関係性もどれをとっても心地良いのです。
じゃあ辞めなければ良いじゃないかと思うのですが、それは僕の中では何かが違うのです。
一つの場所で働くのは、やっぱり僕の人生には合わない。折角だったら他の場所で働きたい。そういう性格です。
しかし、先程も言ったように今の職場は居心地が良すぎるのです。
だから、先月、嫁のつきみぐのお義父さんが亡くなって、お義母さんが独り(親戚も近くで仲良くしている人もいないみたいで本当に独りです)になってしまったにも関わらず、どうにか自分の仕事は辞めない方向であれこれ考えてしまっていました。
内心、隣の県なんだから、お義母さんがこっちに来れば良いんだよ、なんでそんなこともできないんだ、くらいに思ってしまっていました。
知らず知らずのうちに今の職場にかなり固執してしまっていたのです。
そんな僕の心境を変えてくれたのは、これまでの僕とこれまで僕に出会ってきてくれた人々の存在です。
まずは自分の両親です。お義父さんが亡くなってからというものつきみぐは気分の浮き沈みが激しいです。そんなつきみぐに対して多くの人は励ましの言葉をかけます。
それも優しさなのですが、この前、つきみぐに会った両親は、励ましの言葉をかけませんでした。
普段通りに接してくれて、一緒に美味しいご飯を食べました。
その接し方につきみぐは大きく感動していました。
励まされると、なんだか焦ってしまうけど、そういう言葉を一切かけてこなかったので安心した。私を信じて見守ってくれているのが凄く伝わってきた。
と言っていました。
僕もその様子を横で見ていたのですが、自分の親でありながら、改めて両親の愛の大きさを知ったのです。
そしてそんな両親に育ててきてもらったのだから、僕も両親のように愛を持って行動したい、と感じたのです。
そう思ってお義母さんの立場になって考えてみたら、それまでの僕の考えはなんか違うなと気づいたのです。
確かに定年してるし、身内もいない、お義母さんが今の家に居座る理由は無いのかもしれません。だけど生まれてからこれまで70年以上、その場所でしか住んだことの無いお義母さんにとって、例えそれが隣県だとしても、移動するのにはかなり大きなハードルがあります。
じゃあ僕はどうなんだ。一番大きなハードルは仕事だけど、そもそも10年で辞めるつもりだったじゃないか。それが2、3年早くなっただけ。それなのにお義母さんにこっちに来てもらうように考えていたのは自分が仕事を辞めないための言い訳じゃないか。ただ辞める勇気が無かっただけなのです。変化が怖かっただけなのです。
そこでもう一つ背中を押してくれたのは過去の自分でした。過去の自分は仕事も家も決まっていない状態で海外に行きました。その時はどうにかなると謎の自信があったし、実際仕事も家も決まって、なんとかなりました。この経験があるから、それに比べたら、日本語が通じるし、隣の県だし、何も恐れることはないじゃないかと思えたのです。
それにつきみぐとの幸せについても考えました。このまま何もしないで過ごすより、お義母さんのために行動することで、将来お義母さんが亡くなってしまった時に、後悔する度合いが減る。その方が残された僕らが早く立ち直れると思いました。
それにやっぱりつきみぐにとっても生まれ育った土地です。きっと今よりも安心感が増すだろうとも思いました。
そういうのも踏まえてつきみぐに仕事辞めるの相談したら、最初はそこまでしなくても良いんじゃない、と言ってくれましたが、僕の意思が固いのを汲み取ってくれて辞めることを了承してくれました。
今では先走ってどのマンションに引っ越そうか、とか、新調する家具は何にしようかとか考えています。
久しぶりに楽しいことができた、と言ってくれたので、それだけで仕事を辞めて引っ越す決断をしてよかったと思っています。
とは言え仕事を辞めるのも引っ越すのもまだ少し先です。
7月に新しい生活をスタートできるように動いていこうと考えています。
ですが、これを書いている時点では、実はまだお義母さんにも自分の両親にも何も言っていません。もしかしたら予定は変わることになるかもしれませんが、今、こういう気持ちで、こういうことを考えていたってのを思い出せるように、ここにこうして書いてみました。
今感じているのは、何かを決断する時に背中を押してくれるものって必ずあるんだということです。
今回であれば、両親や自分の過去の経験でした。
何かを決める最後の決断は自分でしないといけないけれど、その決断に至るまでにはこれまで培ってきた色んな要素が後押ししてくれる。だから自分が通ってきた意味なさげな道も、いつかは何かの役に立つんだなと、思え、そしたら、これから歩いていく道も必ずどこかに繋がっていくんだろうなと感じたのです。
軌道は違い、全く同じ場所には戻ってこないとしてもです。
僕らは地球と同じように自転しながら公転する。
それこそが人生なのかもな、と今回の一件で思ったのでした。
自転しながら公転する、をこのタイミングで読んだのも何か意味あることだったのです。
◇
ということで、たまるの転職、引越し活動が始まります。なにから始めようか。
終わり
ここまで読んでいただきありがとうございます。