愛だけは書ける
愛は犬より先に書けるようになった漢字の一つ。
うっすらとしか記憶が無いけれど、三歳の頃には愛を書けるようになっていたらしい。
なんで犬より愛だったかと言うと、単純な話で、私の名前が愛子だから。
三歳で愛を書ける私の事を周囲は神童だと言ってくれていたらしい。
でも当の本人は、愛は書けても、愛の意味なんて知らなかった。
名前の愛子にしても、なんで両親はジャンケンのアイコを名前にしたのか不思議だった。
こんな両親の所で育って私は大丈夫なんだろうかって考えていたのは、今では可笑しい話。
両親は私を大切に育ててくれた。
成長していく中で、友達ができ、恋人ができ、大切な愛犬や人を失ってきた。
そして愛の存在を知っていった。
今だに愛とは何かはわからないけれど、愛が確実にこの世に漂っていることだけは理解できるようになった。
それは私の実家の庭からも感じること。
今は砂利しかない庭のあの部分に犬小屋があって、そこに愛犬のリュウがいた。
今はもうどちらも存在しないのだけど、そこには確実に今も愛が存在している。
そんな庭を眺めながら、この前、孫の前で、秋田犬って書こうとして秋田太って書いてしまって大恥をかいたことを思い出した。
私はこうやって犬みたいな簡単な漢字すら書けなくなっていくんでしょうね。
だけどまだ愛は書ける。
きっと全てを書けなくなっても最後まで愛は書ける。
そして私が今この世から居なくなったとしても、ここに愛は残る。
そう確信しながら眠りに落ちる。
夏の終わりを感じさせる太陽の光が、愛子を優しく包んでいく。
終
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