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“かの川”の釣り妖怪たち(3/3)

前回に続き"かの川"釣行について。3/3で最後のお話です。8000文字を超えたので休み休み読んでください。

これまでに「生き餌バサーの集団(良いポイントに陣取っている)」と「バサー集団(生き餌集団の対岸)」、「謎の爺さん(岸にいる)」、「転が師(私の背後から迫る)」が登場しました。

バス釣りデルタゾーンにいる私に釣りの女神は微笑むのでしょうか。「生き別れの兄弟」も登場します。

均衡は破られた

長時間粘ってもバスが釣れる様子のなかった大岩の集団が片付け始めました。生き餌のニゴイ(30cm超)は何度も投げ込まれては泳がされ、すっかり疲れ果てて瀕死の状態に見えます。そのニゴイをドッポーンとリリース?し、メジャーも畳んで3人組は帰ってゆきます。
彼らの行動をいち早く察した私は、それを横目に対岸への移動を開始していました。
いつもなら回遊するバスの魚影が見えず、大岩に留まっていることがわかったからです。どうやら特にひどい日に来てしまったようでした。

その時、大岩の対岸にいた3人のバサーは別のポイントにいたのか姿が見えず、私は安心して川を渡っていました。大岩のポイントが空くとみんながそこを目指すのが常だからです。また幸いに大岩の上流下流にはバサーの姿はありません。いるのは謎の爺さんだけでした。

川を渡っているとパンツまで濡れてきていつもより深くなっているのを感じました。ギリギリ渡れなくもないのですが、大人のすることではないな・・そう思って一度岸際に戻って初めにエントリーしてきた上流のポイントに移動することにしました。ところがその付近には鮎の転がし釣り師が陣取っているではありませんか。私の後方にいた転が師に続いてさらに1人続いていることにこの時気づきました。

どうしようか思案していると、自衛隊の山岳訓練のような足取りでバサー3人が草をかき分けて岸を上流に歩いてゆくのが見えました。このタイミングで彼らの目的はただ一つ。大岩にエントリーすることです。肉食魚は目の前に逃げ惑う魚がいると反射的にそれを見て追ってしまうことがあります。それが罠だとわかっていても、どんなに満腹でも、本能的に動いてしまうのです。我々も同様に大岩という餌につられて無我夢中になっていました。

私は自衛隊バサーよりも先に動いていたのに、岸に戻るまでに追い抜かれてしまうような位置にいました。川の中腹から急いで岸に近づけばギリギリ彼らに先行できたでしょう。しかしそれこそ大人気ない行為で恥ずかしく思えました。また、私に気づいて彼らが小走りになる様子も見たくはありませんし、絶妙な距離感で岸で鉢合わせしてしまった際の展開などは予想することすら憚られました。こんなことのために我々は釣りをしているわけではないのです。しかしこんなことがとても重要なのです。

私は意を決して引き返すのをやめ、大岩側(対岸)へと歩みを進めました。

ざぶんざぶんと腰のあたりまで水がしみてきます。フッシングベストも水に濡れていました。

その間、バサーたちは上流側に進んで転が師に声をかけていました。

「後ろから渡っても良いですか」

「ああいいよ。前から行かれると魚が逃げてしまうから」

やはりあのバサー集団はいいな。転が師は私のことを言っているのか?

そんなことを思いながら岸に辿り着こうという時、ツルッと足が滑って上半身が水につきました。そうするとライフジャケットの浮力で体が浮いてしまい、足の踏ん張りが弱くなって溺れそうになりました。

まるで溺れているみたいじゃないか!

こういう時はまず安全を考えるべきですが、頭によぎるのは自分がどう見られているかです。そこへ「こうやって大人は溺れるんだろうな」という思考が重なり、冷静(無我夢中)に手を伸ばして掴んだのは岸に生える若い草でした。といっても普段草刈りする時に手こずるような強い草です。ところが大人一人の重さと水流には耐えられず呆気なく切れました。次に掴んだのは隣にあった灌木の枝でした。それでなんとか体勢を立て直して岸に上がることができました。

全身ずぶ濡れで服から勢いよく水を垂らしながら、私はゆっくりと歩き始めました。一息つくこともなく、何もなかったように、涼しい顔をして大岩へ。

といっても外で上半身まで水に浸かったのは久しぶりなのでさすがにショックが大きかったです。あの出来事は時間にするとどのくらいだったのか全くわかりませんでした。それを確かめるためにバサー集団の位置を確かめると、彼らはまだ向こう岸にいました。

私のことを見ていたのだろうか。バサーは見ていなくても転が師は見ただろうな。

見ていなくても岸の地面を見れば異変に気づくでしょう。川からずぶ濡れの何かが上がってきて大岩へ向かった水の軌跡がはっきりと残っています。それを見て彼らは思うのです。深いってわからねぇのか?良い大人がなにをしているんだ?と。彼らが大岩の生き餌バサーに愚痴を言った声が聞こえてくるようでした。

ついに大岩へ

岸から上がって大岩へ着くまでに10m以上歩きましたがまだ服から水が滴り落ちています。フィッシングベストにはカンガルーのように大きな袋がいくつもあり、それがバケツのように水を溜めていました。その中にはタバコも入っています。

以前このポケットに入れた財布が濡れた時は恥ずかしい思いをしました。その日は何を買うにも濡れた紙幣を使わなければならず迷惑にも程があるといった感じでした。それを教訓に釣り用の財布は胸の位置にカラビナをつけて吊るすようにしていたのですが、今回は無意味でした。

私は、水煮のパックのようになった全てのルアーケースのフタを半開して溜まった水を抜いてから大岩の上に置いて乾かすことにしました。同じようにベストを脱いで絞って干して、スマホも紙幣も岩に広げ、タバコも置いて・・いつの間にか西成の路上販売所のようになっていました。そこまでしたのに雲が出て急に冷えてきました。

家を出る時、迷った挙句脇や背中に吹いた冷汗スプレーが完全に裏目に出ました。念願の大岩で釣りを始めたもののガタガタ震えだして、リールを巻く手が言うことを聞きません。対岸にいたバサーが追いついたのはこの時でした。

この時の状況。私のいる大岩は幅4〜5m。その先の岩には渡ることができない。

彼らは私からちょっとだけ離れた位置で釣りを始めました。それは約6−7m離れた場所で絶妙な距離感でした。私が後から来てもそこで釣りをするような、挨拶もギリギリ必要ではない間合いです。そこで彼らは

「バスいたのに、さっきの奴らに叩かれたから居なくなっちゃったよ」

と言ってすぐに去っていきました。私が居なければそこで粘ったのかもしれませんが、確かにバスの姿はいつもよりも見えません。ちょっと見ただけで判断したのならばなかなかやるなと思いました。そして私のことはどう思っていたのか盗聴器を仕込んで聞いてみたかったです。

謎の爺さん、襲来

雲が切れて陽が差してきました。夏はあんなに煩わしかった太陽を全身に浴びて体温を上げていると、ずっと岸にいた謎の爺さんが大岩を覗きに来ました。私の1−2m近くにふらっと現れて、岩と岩の間の水底を覗いています。

距離的に挨拶しない方が変な感じなので私から挨拶をすると「へぇ」と言って軽く会釈し、両目をへの字に曲げて口角をあげました。そのわざとらしい様がぬらりひょんのように見え、また少し体温が下がるのを感じました。

「今日は鮎が全然釣れないんだよ」

「ああ、そうみたいですね。上を見たけれど魚影が見えませんでしたよ」

「・・・」

それなりにはっきりと大きな声で話したものの、彼にはよく聞こえていないようでした。

「・・ここで鮎をやらしてもらっていいかい?」

「ここで??もちろんいいですよ。何で釣るんですか?」

「・・・」

不気味なところはあるものの愛想は良く、一応断りも入れてくれたので、私は釣り座を少しだけ移動して一番良い場所を彼に譲ることにしました。

というのも、思った以上にバスの食い気がなく、夕方の釣れやすい時間帯を待つしかないという状況になっていました。

気になるのは本当にここに鮎がいるのかということです。経験上、ここにはいません。私の知る限り鮎が居着く要素が少なく、捕食者であるブラックバスの巣窟でもあるのです。いたとしても決して釣りをしやすい場所ではありません。大きな岩と岩の間のわずかな隙間に仕掛けを落とし込まねばなりませんが、そこは急流になっていて釣りをすること自体が容易ではありません。仕掛けの自由度が高いバス釣りですら苦労してアプローチするというのに・・いやでも彼のまとっているオーラは半端ではない。もしかしてとんでもない釣り師なのかもしれない。そう思うと柳生石舟斎(バガボンド)に似ている気がしてきました。

しばらくすると7mを超えるような鮎竿を担いで彼が戻ってきました。囮鮎はいません。つまり転がし釣りということでした。それを予想して私は彼よりも上流側に陣取って被害を受けないように準備していました。

彼が仕掛けを落とした1投目、強いあたりに7mを超える竿がゆみなりになりました。まるで磯で魚拓モノのグレを掛けたがごとく、側から見て心配になるようなファイトを繰り広げています。謎の爺さんはおそらく70代を超えています。本気で手伝おうか思案していると

「大きいのがかかっちゃったみたい」

と声をかけてきました。こういうことには慣れているのか、竿捌きも見事なものです。ただかなり強引なファイトでした。普通であれば糸が切れてもおかしくない状況なので、よほど太い糸を使っているのだと思いました。

水面に上がってきたのは体高の良い70cm程度のお化けニゴイでした。水流の強い川に住むニゴイですから口に掛けてもとんでもなく引きますが、もっと引いて暴れるスレ掛け(口以外に針が引っ掛かること)の魚を急流から引き上げるなんて!

「へへ、これをみんな狙っているの?」

「いや、みんなはこれじゃなくてブラック(バス)ですよ」

「・・・」

全然聞こえねぇって感じで彼は視線を魚に戻し、いっそう力みました。

まさか!!!

彼はそのニゴイを川から引き抜いて、クレーンゲームのように陸の岩場に落としました。鮎竿がこんなに強いなんて思いませんでした。

3本針がいくつも連なった引っ掛け釣り用の仕掛けが魚体に絡んで痛々しく見えますが、幸いなのはカエシがないことでしょうか。通常の転がし釣り仕掛けはそうなっているはずです。ニゴイをリリースするとまたすぐに仕掛けを打ち込んでいましたが、その後は何もなく10分ほどで彼は去っていきました。

思えば生き餌バサーの集団に声をかけていたのも、ここで釣りがしたかったからなのかもしれません。さすがに3対1は部が悪いと判断して次のチャンスを伺っていたのでしょうか。押し切って勝てる相手、それが私だったということ・・?

去り際に「これが引っ掛かってきたよ」と私にくれたワーム(虫みたいな柔らかいルアー)は長い間水に浸かったせいでぶよぶよに膨らんでいました。ちなみに全く要りません。ゴミです。

「沈み蟲」という有名な商品。どの釣り場でもこのような状態で見つかることが多い。

生き別れの兄弟登場

釣り場にバサーが居なくなり、鮎釣り師も見切りをつけて別の場所に移動してゆきました。これからは一人でゆっくり釣りに集中できると期待しましたが、そんなことはありませんでした。

下流のほうから自転車を漕いで近づいてくる男が見えました。25~35歳といったところでしょうか。自転車に釣竿を差しているので地元の釣り人で間違いないでしょう。私がいる岩場を目指してやってきたものの、私を遠目に確認して少し残念そうにしているのが見えました。地元の人はここしか釣れないとはっきりわかっているのでしょう。私はなんとなく彼が他の場所に移動するものだと思っていました。しかし彼は忍者のように音もなく私の下流側1~1.5mの距離に入って釣りを始めました。1~1.5m隣というのは人気の釣り堀であっても非常に近い距離感で、お互いの釣りの自由度がなくなるため家族や友人でももう少し距離を取りたがるのが普通です。X(旧Twitter)の釣り人の間で度々話題になるのがこの釣り場での声かけの有無や距離感問題ですが、酷いと言われるものでも2~5m以上です。自然河川で1~1.5mはとんでもなく異常なのです。加えて私たちは、巨大とはいえ川の上の同じ岩にのって釣りをしているのです。

私は怒りを通り越して、呆れて、また怒るの繰り返しになりました。そのなかで自然と口に出そうになった言葉があります。

「おまえ家族だっけ?」

なぜ言わなかったのか。言ったらどうなっていたのか。きっと飲み会のネタになったと思いつつ、結局自然環境の中での釣りにルールを適用することは難しいのでなんとも言えないところです。

そのとき私の中にあったのは2つの思考です。1つは「彼を教育すべきだ」という使命感。私はもうそこで釣りをしなくても良いけれど、人間同士のコミュニケーションとしてあまりに理不尽ではないか。彼がもっとこの世界で生きやすくなるようにしなければいけないと思いました。2つめは「なぜそういうことができるんだ?」という好奇心です。私が怒りを感じる時には必ず謎があります。その答えを見つけることで私は安心して心の平穏を取り戻せるのです。例えば彼の普段の生活環境に何か問題があるのであれば答え合わせになるので、根掘り葉掘り聞きたい気持ちがありました。ちなみにこういうことは思っても実行に移してはいけません。異常者なので。

ということを書いてみると、その場で反射的に口論するという行為が最も健康的で最善の策だなと感じますね。

私が徐々に正気を取り戻したのは彼が遊漁券を持っていたからでした。バサーで遊漁券を持っている人はなかなかいません。腐っても地元の釣り人、川や魚に対しての思いやりはあるのかもしれないと思いました。それに彼はギリギリ私の邪魔にならないようなコース取りで釣りをしていて(とはいえ彼がいなければ私はそのコースにもルアーを流している)、釣りの腕もそこそこに見えました。やっている釣り方も私がすでに試したことと同じです。と、いうことは、彼にはほとんどチャンスがありません。それが私の心の栄養剤になりました。

私がやった釣り方は最終奥義のような釣り方で食い気がない魚でもついつい食いつくようなものでした。それを繰り返してもその日のうちは釣れるものではありません。新しい魚が回遊してくる環境であれば有効ですが、同じ魚が居着いている環境ではほとんど意味のない行為に思えました。

一方、私はニゴイを釣った鮎釣り師が来た時に少し上流側に移動しており、これからの時間帯に魚が集まってくる場所を取っていました。

待望のヒット

予想通り私の近くにブラックバスが回遊してきました。サイズは大きくないものの数匹が岸辺をうろうろしています。そこで最終奥義ルアーをいくつか試しましたが興味を示すだけで食いつきはしません。オモリのついていないワームを岸辺の草にわざと引っ掛けて、虫が落ちてきたように吊るして誘いましたがこれもダメです。最後の最後に試したのは多摩川でよく釣れる小さなワームでした。魚から少し離れた場所に落として水底で小刻みに跳ねるように動かしていると・・ワームを見つけたバスがなんの躊躇もなく食いつきました。

ジィィィィ!!!

リールから糸が出されてロッドが曲がります。私はすぐ隣の男がこちらに注目しているのを感じました。なのであくまで冷静に、釣れるのが当たり前だという感じでつまらなそうに釣っている様を演出しながら魚とのやりとりを楽しみました。

岩と岩のわずかな隙間に逃れようと一生懸命に走る魚をいなしながら、今日は自作ロッドのテストに来たことを思い出しました。ロッドのおかげか半ば強引に魚を水面に浮かせて岸際に寄せることに成功しました。ここで魚を逃すのが一番くやしいので最後は丁寧に引き寄せて魚をネットイン。サイズは35cmといったところでしょうか。小ぶりのバスです。

小さいがそれなりに引いたバス。写真だとより小さく見える。
一人で写真を撮っても魚が大きく見えるにはどうすれば良いのだ?

「ちっちゃいなぁ」

本当に小さく独り言を言いました。それは隣の男に「私はこんな小さい魚で満足する男ではない」と伝えるためであり、今日の全ての悪いことを浄化するための呪文でした。確かに過去釣ったバスに比べると見劣りしますが、内心はサイズなんて気にしていません。めちゃくちゃ嬉しかったですし今日の厳しいコンディションのなかで釣れたことに達成感がありました。

もし隣の男がはじめに挨拶してくれていたら、きっと話しながら釣りをしていたことでしょう。そしてどちらが釣っても喜びを分かち合えたかもしれません。こちらから挨拶したらどうなっていたのでしょうか。・・先行者の私からの挨拶は結構複雑な気持ちが絡むので正直あんまり言いたくありませんが、距離が離れていれば成立したと思います。突然家に入って来た他人にはなかなか挨拶できませんよ。

少年とマイブラザー

普通なら魚が最も釣りやすい夕方になったものの、状況は変わりませんでした。私と生き別れの兄弟が黙々と釣りをする大岩に小学生男子2人がやってきました。

「こんにちはー!釣れますかー」

ほらな!子供でも挨拶できんだろ!てめぇは何歳だって話なんだよ!!とマイブラザーに老害電波を送りつつ、彼らに背を向けたまま聞き耳を立てます。少年たちは下流から来たのでまずマイブラザーに声をかけたのでした。

「釣れないねー。向こうの人は釣ってたけど」

「へー」

「釣れた?」

「ちっちゃいのだけです。みみずで釣りました。こっちで魚を泳がせて釣りたいと思ってきました」

「魚は?」

「これ」

「ブラックバス?」

マイブラザー!普通に喋れるし良いお兄さんっぽ感じじゃねぇか!

少年たちは下流の方で釣ったブラックバスを餌にしてここでもっと大きなブラックバスを釣る計画でした。マイブラザーは自分の釣りをやめて彼らに優しく釣り方を指南しています。※ちなみに餌にするためとはいえ外来魚を生きたまま持ち歩くのは禁止されています。

そうしているうちに夕暮れ時の放送がさびしく響いてきました。

「この音楽が流れるともう釣れないよ」

そういってマイブラザーは帰り支度を始めました。

「夜って釣れますか」

「いやーあんまりやらない方がいいよ。クマが出たって話もあるからね」

しっかりと少年たちに注意喚起もしたのに最後まで私とは何も話さず帰っていった彼は、実は私が忘れているだけで過去に絶縁した兄弟だったのかもしれません。

私は決して声をかけやすいタイプの風貌ではないのですが、ショックでした。でも田舎の小学生男子に壁はありません。

「こんにちはー釣れますかー」

「1匹だけねー」

「何で釣ったんですか」

「すっごく小さいワーム」

「へー」

※こういうド直球の質問も関係性次第ではNGとなるのが釣り業界です。私は何も考えずに聞いてしまう方ですし聞かれても悪い気はしませんが、釣り人によってはとっておきの秘密だったりするので皆さんお気をつけください。

「夜って釣れますか」

すっかり暗くなり始めた帰り際、私にも質問するほど少年たちは夜釣りが気になるようでした。それほどまでに大きいブラックバスが釣りたい/釣れない状況がここにあるのだと思います。夜はイージーに釣れるという話も聞きますし、私も雰囲気的に夜の水辺のほう昼より好きですが当然子供には勧められません。でも正直、気になるならやってみたらどうかと思うのです。ガサガサと不気味な音が聞こえてくる真っ暗な森を背にした水辺で、糸も足場も何も見えない中、釣りをしたいと思うのでしょうか。ヘッドライトには虫が集まってくるし、水辺を照らすと魚が逃げてしまいます。死んだら元も子もありませんが、一度やってみないとわからないこともあるよなーと。

まとめ

いつも帰りは乗り換え駅構内のチーズオムそばを食べて帰ります。高カロリーだしネットのせいで「チーズ◯◯」(主に牛丼)を注文するのが恥ずかしくもありますが、一種の儀式のようになっています。
この日は隣の客がイヤホンをせず音声を出してアニメの「ファブル」を観ていました。そして飯を食いながら笑っていました。
「家じゃねぇんだよ」と言う気力は、もはやありません。

あの大岩の釣り場はもう無視した方が健康に良いと思いました。「見えるのに釣れない」ということが負の連鎖を生んでいることは間違いありません。また鮎の季節後半も厄介な釣り人が多くなる傾向にあるかもしれません。釣りで重要なのは場所だけではなくタイミングだなぁと思います。また、とにかく釣ることではなく、自分のスタイルの釣りをすることに集中したり場所を探す楽しさを見出すことも必要なのかもしれません。釣りをすること自体に集中できないのが最も不幸なことです。

そう考えると近所にあってさまざまな魚種の釣りが楽しめる多摩川はやっぱり最高だと思います。すべては多摩川が解決してくれる。何が”かの川”じゃい。

お礼と今後について

最後までお付き合いいただきありがとうございました。
今後はまた書き残したい釣り事件があった時に書こうと思います!


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