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2017年1月、大阪からの小旅行(広島、舞鶴)

先日、5年前の元旦朝食写真を発掘掲載したのをきっかけに、同じ月の写真を見返してみました。

当時、東京を離れ、私が住んでいたのは、大阪の繁華街・京橋。

週末の朝からカラオケが聞こえてくる日があったことや、呼び込みをかわすのが大変な場所があったことを除けば、ターミナル駅で、買い物・外食がしやすく、住みやすい街でした。

駅を挟んで徒歩30分圏内には、

大阪城。

特に思い入れがあるわけではなかったものの、こういう開けた場所が近くにあるというのは、心の余裕に繋がり嬉しかったと記憶しています。

実は、このとき、1月末に東京に戻ることが決まっていました。
そのため、1月は、関西在住の先輩・友人・知人と食事予定を入れつつ、2ヶ所、ひとり旅を企画しました。

今回は、その写真を掲載します。
文章少なめですので、流し見していただければ幸いです。

広島。雪と原爆ドーム

プライベートでは、9年ぶり2回目の広島。
学生時代の友人がいるということが主な理由で、行き先に選びました。

着いた日は、新幹線が40分ほど遅れるような雪。
足元悪い中、食事がてらスマホ片手に出かけます。

雪に限らず、原爆ドームを夜に見るのは初めて。
ライトアップされていることも初めて知りました。


翌朝、やんだと思いきや、

また降り始め、

そのうち、晴れてきました。


少し時間を置いて、ドーム向かいのこちらへ。

この角度から見るのは初めて。

下の階からはガラス越しで。


ふたたび地上から。


前後しますが、午前には、友人に薦められ、当時話題になっていたアニメ『この世界の片隅に』を観賞。

原爆ドーム徒歩圏内の劇場で、原爆投下シーンを観るのは、心拍数が急激に上がるような経験で、正直きつかったです。
ただ、作品自体は評判どおり質が高く、印象に残りました。

おみやげはこちらに。

正味滞在時間が20時間未満、かなり限られた範囲での活動でしたが、友人と夕食・昼食で2回会えたことも含め、良い旅でした。

舞鶴。引揚桟橋と引揚記念館

京都駅から

日帰りで、舞鶴に向かいます。


2010年以降、読書と連動しつつ、満洲時代に多数の日本人が暮らした中国東北地方への旅を繰り返していた(この旅行当時で4回)私は、引き揚げの方々が到着された場所にも一度、行ってみたいと思っていました。

タクシーで、平引揚桟橋へ。

復元されたものですが、ここがその場所かと思うと、いろいろ考えさせられます。

天気は良好。

綺麗でした。


五老ヶ岳公園へ。
時間の都合で、展望台(五老ヶ岳スカイタワー)には登らなかったものの、

舞鶴湾を一望できました。


舞鶴引揚記念館。

終戦後、いせは東京都大森に居住しながら新二の生存と復員を信じて昭和25年(1950年)1月の引揚船初入港から以後6年間、ソ連ナホトカ港からの引揚船が入港する度に舞鶴の岸壁に立つ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E5%A3%81%E3%81%AE%E6%AF%8D

あの時代に、東京から舞鶴まで通われたご苦労、その後も含めたご心労を思うと、言葉がありません。

展示物としては、シベリア抑留関連のものが強く印象に残りました。


個人的に目を引いたのがこの水筒。

「吉林省吉林引揚ゲ」。
吉林そのものには行ったことがないものの、長春など吉林省の数ヶ所には行っていたので、離れた地域が結び着くような感覚があり、印象に残りました。



この後は、日本酒一杯で、少し贅沢な昼食をとり、

舞鶴を後にしました。
正味滞在は3時間程度。

次回は1泊で、もう少しゆっくり回り、食事もいろいろ楽しむつもりです。


京都も少々

仕事や食事で、前月からけっこう京都にも足を運んでいて、写真も残っていたので、載せておきます。

撮影日はバラバラながら、概ね時間は並ぶようにしてみます。

当時、大阪・京橋から1時間以内で、こんな景色に出会えていたことのありがたみを再認識します。

以上、最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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