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里親オタオタ日記(6)

さて、そろそろ天理教の教会で里親をする意味とか意義とか実際どう?とかについて私なりに思うことを書こうと思います。

本教での里親は、「人の子を預かって育ててやる程の大きなたすけはない」(天理教教祖伝逸話篇86「大きなたすけ」)という教祖のお言葉を拠り所とした信仰実践として天理養徳院という児童養護施設が開設されたところから始まり、天理教里親連盟が約40年ほど前に発足しました。

https://tenri-satooya.org/

で、当教会でも自分たちにできるおたすけをと会長である夫が申すもので始まったわけですが実際始まってみると、前にも書きましたが赤ちゃん以外の大きくなった子供たちを受け入れているのは大半が天理教の教会なわけです。研修中何度も「委託される子供には普通を味わせてください」と言われるのだが実際普通って…?
 普通とは朝起きたら「おはよう」、ご飯を食べる時は「いただきます」、何かもらったりしたら「ありがとう」とか、もっとひどいとトイレは使ったら水を流すのよと教えるところから始まり児童によっては生活リズムが狂ってる児童もいたりするので朝は起きるだけでも大変。訓練として教会では朝づとめから1日が始まるので頑張って起きるから始める。教会という場所は児相が言う「普通を与える」というのにピッタリな場だと思う。
 宗教2世問題が取り沙汰されるようになってから宗教施設で里親をしている家庭に大量の資料が届いた。資料には委託児童に信仰を強制してはいけないとか書いてあるわけだが、この資料通りに全部やったら教会で里親なんかできないのである。それは児相でもよくわかっていて結局「読んでくれればよいです」ということで今までと同じように生活は進んでいく。
私たちは委託を依頼される度に「ここは教会だから一緒に教会のことをしてください」と児相の職員にも委託児童にも言っています。それが大きなたすけの第一歩だと信じています。
そしていよいよ一人目の委託児童がやってくることになりましま。


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