2024.9月27日~10月3日 一週間日記
●9月27日 猫の病院
朝から猫の病院へ行く。松坂桃李似の獣医の医院であるが、大変に繁盛している。開院時間に訪れたものの、6組待ちであったか。多種多様な犬猫が待合室に居る。我が家の猫・ラルゴは病院が好みではないので、憮然とした雰囲気でキャリーケースの中に納まっている。時々「ふうッン」と腹立ちまぎれのため息のようなものがキャリーから聞こえてくる。
採決をしてもらい、数値を観ると現状は維持できているようである。免疫介在性溶結性貧血なる難病を持つ我が愛猫。なんとかそれでも薬を飲み飲みけなげに生き続けている。
自宅に帰るとブチ切れたように家を走り回る。「どこが病気じゃふざけやがってあほんだら元気やないけ元気やないけ元気やないけ病院なんか連れていき腐ってあほんだら」という言葉が聞こえてきそうな騒ぎぶり、狂騒的な愛猫であった。
●9月28日 京都がたり見学
京都劇場での師匠の講談会。お手伝いに伺う。久しぶりに旭堂南雲兄さんにもお会いした。南雲兄さんは自作の『芥川龍之介・鼻』を。師匠は『安倍晴明』をされた。僕も前説で少し喋る。キャラバン後だからだろうか、恐れの気持ちが少し薄らいでいたように思う。ちょっと落ち着いて喋ることができる。でもなんかキャラバンで得た自信ほどは上手に話ができなかったな。
終演後、いつもお世話になっているお客様にご飯をごちそうになる。トロやら土瓶蒸しやらで大変な騒ぎであった。僕は少し早めにお暇して大阪に戻り、ビッグイシュー講談部の稽古。
●9月29日 作業日
稽古をしたり、水曜どうでしょうキャラバンの振り返り文章を書いたり、本を読んだり。『松下政経塾とは何か』という本を読み始めて読み終わったのだけれど面白かった。
ああいうミニエピソードがたくさん入っている、客観的な立場から書かれた政治関連本ってのは面白い。小池百合子について書かれた『女帝』も、小池百合子部分が面白いのはもちろんだけれど、小池百合子を取り巻く土井たか子や野中広務のちょっとしたエピソードがイカすのだ。
●9月30日 ビッグイシュー講談会
朝『那須余一』の稽古をして、時間が余ったので戯れに『大塩の謎解き』の稽古をすると、やりたくなる。夜のビッグイシュー講談会でやることにする。早めの時間に出立して、淀屋橋で作業をする。台本を書いたり、日記を書いたり。
17時には会場入りして準備。ビッグイシュー講談部の稽古。開場。本番。僕は前座で
『大塩の謎解き』を。結構笑ってもらえて手ごたえはあったんだけれど、帰り道師匠からアドバイスをいただく。キャラクター造形の類型化と古典講談の修養について、って感じの話。手塚治虫的な書き分けこそがある種古典講談の武器で、武器としての講談なのだ、という気持ちになる。キャラクターを掘り下げて独自の表現をする、というよりは類型化したうえで、その先を掘りさげる、と言う感じが講談には合っているのだろう、と思う。
●10月1日 移動日
朝、妻宅を出て新幹線で東へ。品川で玉木青と待ち合わせ、今後の話から政治の話から。結句品川だけではことは済むことなく、新宿ゴールデン街に雪崩れ込むことと相成った。はしご軒数3件。結構重要なことも話したと思うのだが、あんまり覚えてねえ。差別やら政治やら死ぬや死なんや、剣呑は話が多かった気もする。
11月から武蔵新城で「月例飲み会~講談会を添えて~」みたいなイベントをしようという話はしたと思う。でも講談やりたいし、いい気がする。
あと「死にたい」は「やるっきゃない」に言い換えればいいんじゃないか、って話になったはず。
●10月2日 シラス
逢沢一郎先生の講談を大阪であらすじだけは作っていた、いわゆるテントリ、というやつだ。そのままシラスで披露しようか、とも思ったのだけれど、一応全部書くことにする。結構いいのが書ける。逢沢一族の大河ドラマって感じ。政治家ってのは面白い。
配信では逢沢一郎の物語だけではなく、石破茂の講談も。2020年か、2021年くらいに作ったやつ。当然全く以て総理になれそうにないころに書いた台本なんだけれど、やってみるとこれがなかなか示唆深い内容で面白かった。意外と悪口感少ないし、むやみな賞揚感もないから、いろんなところでやれるかもしれないな、と思ったり、ああ、寄席に出れていたら絶対に役に立っているだろうに。
そういえば岸田文雄も石破茂ももともと銀行員で、世襲議員だな。結構似た境遇の二人だ。二人ともあんまり優秀な銀行員ではなかった点においても、似ている。
●10月3日 休み
『ドラフトキング』というドラマを見始める。こう、観るのやめておこうかなポイントは結構多いのだけれど、それを打ち消す不思議な魅力があるドラマでもある。まあ、だいたいそうだよな。すべてがそうだ。完璧、やすべてを忘れるほど美点が特別って作品はあまりない。でも総体として好印象、ってことは結構あって、そしてそれは、総体として悪印象、という感想とかなり近しいところにある。
新宿へ向かう。紀伊國屋で次回の玉田家読書会で読むことになっている本を購入。同じ平積みになみはや講談協会さんが出している『上方講談という愉しみ』もあったので購入。さっそく読んだがこれが面白い。残念ながら全然接することがない、おそらくお客さんより接する機会のない「三代目南陵の逸話」ってやつが目白押し。僕、多分三代目のことかなり好きだ。みんなに好かれていた方なんだろうな。音声聴いてみたい。ワッハ上方に行ったら聴けるんだろうか。
三代目直伝の講談も数多く収録されていて勉強になる。。
何やったら我々のようななみはや講談協会と交流を持っていない若手のために書かれた本ですらあるかもしれないな。なみはやの方々が僕を講談師扱いしているかはわかんないけど。
しかし三代目がが居なかったら僕たち関西の講談師は一人だって居ないわけだから、大変なことである。よくぞ戦争を生き抜いて、講談師を続けていただけたものである。僕は今結構幸せに暮らさせていただいておりますよう。