旧広島三区モスバーガーのサボテン
行きつけのモスバーガーには行きつけの席があり、その行きつけの席の近くにサボテンの鉢が置いてある、ごくごく小さいサボテンの鉢だ。そんなに威勢がよくはないのだが、まずまずいつものんびりとそこに居る。
そのモスバーガーには一か月に3から4回は訪れている。その席に座る確率はまあ70パーセントくらい。大体公演前に作業をするためにやってくるので、余裕が無かったり、眉間にしわがよったりして、僕は感じが悪い。また、鼻くそをほじくってはティッシュに擦り付けたり、どうしようもない語句を検索したり、概念としての狂人の顔真似をふざけてしたりというのを冷静に見続けているのがこのサボテンだ。
僕の悪いところばかり見ている。
(※それじゃあ僕の悪くないところ、良いところがあるか、と問われたらそれは中々思いつけない。自分では優しいのでは、と思っていた部分も弱く度胸が無いだけであったり、人の話を聴く方だ、と思っていたのも自分の芯の無さであり、それでいて普段雑談の時は人の話を聴けていないこともあり、料理が上手いと思っていたが、ただそれも美味しいめんつゆと出汁醤油のお陰だし、面白いことを言えると思っていたがそれならばこの高座に上がると頻繁に受ける心の傷「滑ったぞ」は一体何なんだろうか。良いところなんてないのである。良いところが無いのに、悪いところばかり見ている、なんて、まるで良いところがあるような書き方になって、お前に良いところなんて無いじゃないか、と言われるのが怖くてこうやって注釈を書いているわけだ。が、この注釈にしたって、無暗に自分に自信が無いことを表に出すのは信用を失う行為だから悪いところだし、少し面白いのではないか、と思って書いているがそんなに面白いことが書けていない、というのも悪いところだし、このまま挽回をせずにこの注釈を終えようとしているところも悪いところである。であるで終わってしまっていいのか。このままサボテンの話に戻ってしまっていいのだろうか。
「戻ってもいいぞ」
「え、誰ですかあなたは」
「亀井静香だ」
「ええっ、あの自民党で現在の安倍派清和会出身ながら派閥を飛び出し、現在の二階派志帥会を作った有力者でありながら、小泉総理の郵政民営化に反対をして、自民党を出て、国民新党を束ねて、現在は太陽光発電の会社でクリーンエネルギービジネスをしておられる、あの亀井静香さんですか」
「そうだ」
「まさか亀井静香さんにそんな風に言って頂けるなんて、ありがとうございます」
「亀井静香著『永田町動物園 日本をダメにした101人』ぜひ読んでね」
「あ、僕、読みましたよ」
「あ、そうかい」
「いやあ、面白かったです。野中広務さん、古賀誠さん、塚原俊平さん、仙谷由人さんの章は胸が熱くなりました。辻本清美さんの章は大笑いしました。また、感想の記事をこのnoteで上げさせていただきますね」
「そうか、頼んだよ。それじゃあね」
「はい、なんだかありがとうございます、勇気が出ました」
「いいんだよ」
「(やっぱり亀井静香さんはすごいなあ、少し話をしただけで元気が出たぞ、さあサボテンの話に戻ろう)」
始めて使った手法だ。突然亀井静香が登場するという手法。
文章を書いて落ち込んできたら誰か強そうな人に自分を励ましてもらって気持ちを戻す。今僕の中でホットな亀井静香氏にその任を果たしてもらった。さあ、サボテンに戻ろう。今更サボテンのこと、書くか?
「書きなさい」
「あ、すいません、書きます」)
そんなサボテンだが、別にモスバーガーで大事にされている感じではない。誰か水をやっているのか、と心配になることもある。
そして今日だ。一週間ぶりにモスバーガーにやってきたが、この一週間は他の一週間とは意味合いが違う。年末年始の一週間。つまり大掃除という行事を挟む。
大掃除は抜本的な掃除であるから、汚れを落とすにとどまらず、その場にそのものが在るということ自体を問われる事態だ。捨てるべきか置いておくべきか。その判断を行うタイミングとなりうる。
そしてサボテンだ。僕としてはなんとなく愛着がわいているので置いておいて欲しいが、モスバーガーからしたら全く必要のないサボテンとも思える。
大掃除が行われると、まさに当落線上になる位置(第35回衆院選旧広島3区の亀井静香のよう)にいる。
果たしてサボテンはどうなっているのだろうか。不安を抱えながら家を出てモスバーガーに向かおう思う1月4日。
今日を乗り越え亀井静香のように引退の日まで圧倒的な存在感でモスに君臨していてほしい。いや、でも亀井静香みたいに大暴れされたら困るけど。
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