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心の防御壁について

わたしが自分の感情に注意をはらうようになってから気づいた大きな気づきのひとつが、ひとに対して防御が強すぎること。それは自分が傷つきたくないからなのだけど、ガードが強すぎることがむしろ相手を傷つけているのかも知れないということだ。

子供時代、すごく傷つきやすい子供でだったので、自分でガードをかけたのだろうけど。それで処世術を身に着け上手くひととやってきたのだけど、トータルのわたしの中で、ここが詰まりどころだったのだろう。いわゆるブロックという部分だ。人生中盤に差し掛かろうって時にトラブルが起き、ここを見ざるをえなくなった。意識して見てみるまで、まったく気づいてなかった。

真剣に自分の人生を振り返ったり、自分への問いかけを繰り返した結果、わたしの良かれと思ってしていた行動は、愛を自ら蹴散らしてることだったのかもしれないと気づいた。
ある犬にハグしてかわいがってやろうと思ってるのに、その犬は人間を警戒してぐるる~と威嚇して寄せ付けようとしない。怖がらないでいいよ。ひどいことしないよって言うのが伝わらず、せつない気持ちになる。
そう、この犬の方がわたし。犬は自分の恐怖心にいっぱいいっぱいで、せつない気持ちを人間がしてるなんて思い至らない。

もちろん、そんなわかりやすく人と敵対していたわけではない。
表面上は平穏でも、心の一段階下の層でそうだったというだけ。そしてそういうあり方に慣れていると、どれだけ自分が警戒してるか気づかない。だってそれが自分では普通だから。
大事なことは、それが悪かったわけではないということ。ガードすることで今までわたしは自分の心を守れてきたこと。また相手のテリトリーへ土足での侵入をしない。デリカシーをもって対したいということでもあったから。物事には両面あるんだってこと。

そして意識出来たら、防御壁は崩したいって思うし、崩れてゆく。

何かトラブルがあると、うわ~っていやな気持になるけれど、こうやって見直さなきゃいけなくなるのはよきことなんだ。でなきゃ、永遠に気づかない。そして気づいた分だけ自分が拡大する。

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