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ことばオタク的考察①

こんにちは。
ランケミストtamacoです!

サムネにつられた方へ、
事前に断っておきます。

本投稿は、優里さんのファンでも何でもない(しかも『ドライフラワー』しか聴いたことがない)ただのことばオタクが、言語的側面から本曲を考察していくものです。

一般的な歌詞の考察と思ってこられた方、ごめんなさい…
どちらかというと、優里さんの『ドライフラワー』を取り上げて、
英語と日本語で表現の仕方がどう違っているのかを考えてみよう!というものです。(とか言いつつ、最後の方、ちゃっかり歌詞の考察しちゃってます笑)

ということで、早速、変態度全開で考察を始めていきたいと思います!

カタカナ語 -ed 消滅事件!

まず、タイトルから。
(というか、本投稿、タイトルの話しかしません笑)

『ドライフラワー』
『Dried Flowers』

歌詞に入るまでもなく、日本語と英語の違いを発見!
(そして、タイトルのみの考察になってしまうという悲劇…)

日本語では「ドライ」なのに英語では "Dried" となっています。
"dry" は「~を乾かす」という意味なので、
タイトルを直訳すると「乾かされた花」となります。
まあ、なんというか、オシャレ感が一気に消え失せてしまいましたね笑
(決して馬鹿にしているわけではありません。言語的側面から見たら、ということです。)

俗にいう、英語でいうとカッコよくなる現象です。(←自分でつけた)
だからと言って「アジェンダ」とか「アセスメント」とか「コンプライアンス」とか、意味もよくわからないのに多用するのはどうかと思いますが、、

っていうか、「ドライフラワー」の日本語訳ってあるんですかね?
もう、日本語の一部と化しているような気がします。

ここで、ちょっと専門的に。
これは文法用語でいうところの「過去分詞の形容詞的用法」です。
"fallen leaves"(落ち葉)とか "drunk (drunken) driving"(飲酒運転)とかのことです。

で、"Dried flowers" →「ドライフラワー」的なやつ、つまり、英語では過去分詞だけどカタカナ語になった途端に過去分詞じゃなくなってしまった言葉って、案外たくさんあるんです。

iced tea/coffee → アイスティー/コーヒー
scrambled egg → スクランブルエッグ
mushed potato → マッシュポテト

などなど

英作文の時には気をつけないとですね。
(ほかの例を思いついた方は、ぜひコメントでお知らせください!)

複数/単数で解釈は変わるのか?

タイトルでもうひとつ。
というか "dried" と "flowers" しかないだろっていう。

タイトルだけで2度おいしい。
それが『ドライフラワー』なのです!

さてさて、
日本語では、名詞の数のこと、ほとんど気にしない
ですよね。
だから、英語で単数か複数か、可算か不可算かとかいちいち考えて書くのめんどくさく感じる。というか、冠詞 (a/an, the) の抜け漏れや複数形のし忘れ、可算/不可算間違いでよく減点される、ということも日本語が第1言語の英語学習者にはよくある話。

ここで、なぜ英語のタイトルでは "flowers" と複数形になっているのか
考えてみようと思います。

もし "A Dried Flower" だったら、歌詞の解釈が変わったりするのでしょうか?

以下、優里さんとファンの方々へ敬意を払うため、最低限のことは調べてから書いていこうと思います。

・・・検索中・・・

複数人の優里『ドライフラワー』考察の共通点として

・『かくれんぼ』失恋シーンの女性視点 ver.
・『かくれんぼ』のアフターストーリー
・『かくれんぼ』男性視点⇔『ドライフラワー』女性視点
・「ドライフラワー」の花言葉:【中心義】永遠
               追憶、終わりのない愛情・友情、真実

ということがわかりました。

すごくざっくりまとめると、別れたけど忘れられないあの人への思いをドライフラワーに託して?喩えて?歌っている、という感じでしょうか…(自信ない。。)
ドライフラワーの花言葉を知ることで、より味わい深くなる作品のようですね。

基本情報が確認できたところで、言語的考察へ移っていきたいと思います。

"Dried Flowers" がもし "A Dried flower" 変わったとすると、歌詞の解釈はどう違ってくるのだろう?というのが問題提起でした。

・・・(tamaco思索中)・・・

!? !!!

あー。
なんというか、わかっちゃった気がする。

これは "flowers" じゃないといけないわ。

歌詞をみれば一目瞭然ですね。

”ドライフラワーみたい 君との日々もきっときっときっときっと 色褪せる”
(中略)
”ドライフラワーみたく 時間が経てば きっときっときっときっと色褪せる”

『ドライフラワー』優里

って歌ってくれてるじゃないですか。優里さんが。

ドライフラワーは「君との日々」(≒君との思い出の数々)の比喩なんだから、"a dried flower" ではいけない。
もし単数だったら、「君との日々」がひとつしかないことになってしまう。
優里さんが、別れてからも君とのいろんなことを思い出してしまって胸が苦しくなる、ということを歌っているのだとしたら、"A Dried Flower" ではタイトルと歌詞との間に齟齬が生まれてしまいます。

かといって、"A Dried flower" だとまったく歌詞の解釈が成り立たなくなる、というわけでもないように思います。

仮に、この歌の視点人物である女性の記憶に、「君との日々」の中でどうしても忘れられない出来事があり、別れてからもそのことだけはどうしても思い出してしまう、ということであれば、"A Dried flower" でもなんとか説明はつくと思います。

で、その忘れられない出来事の可能性として最も高いのは、歌詞の中で言及されている「今日の事」(=2人が別れた日?)ではないかと思います。
「あんなに悲しい別れでも」とありますし、彼と別れたことが、彼女の中に消えない傷として残っているような感じがします。

ここの解釈は、優里さんのファンの方々のほうが深い考察ができる部分だと思います。
ぜひ、自分なりの解釈を教えていただけると嬉しいです。

解釈に正解はありませんからね。

優里さんの『ドライフラワー』の言語的考察、この調子では、いつ終わるかわかりません。
なんせ、タイトルだけで3000字弱の考察になってしまったので…笑

もし、「続きをしてほしい!」という方は、「いいね!」でお知らせください。
4こ以上ついたら、続投しようと思います。
(という形で「いいね!」を増やそうとする悪い奴tamaco)

最後までお読みいただきありがとうございました。