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バレンタインの思い出、14歳は余計なもので出来ている
「明日、絶対は余計もん、持ってこないように」
担任からの牽制のジャブを受けたのは中2の長女。
13日が示す明日持参したらあかん余計なものと言えば、一つしかない。
つまり本日のバレンタインのチョコのこと。
わたしが中学のころと随分かわった。あの頃だって持ってきていいわけではなかったけど…。
先生がわざわざ前日に牽制を仕掛けてくることはなかった。
大人は子どもに今よりもっと寛大であったし、子どもは大人に今よりずっと寛容であった。何事もおおらかな時代だった。
現役中学生の娘を見ていると、あの頃に中学生を送れたのは幸せだったな~としみじみ思う。
ここからは中学時代のバレンタインの思い出を。
友達と買い出しから始まるのが当時のバレンタイン。チョコのラッピングへのこだわりだけに留まらず、手渡すときどんな袋にいれるとよりかわいいかとかセンスがいいかと思われるかにも全力を注いでいた。
溶かして固めるだけのようなたいして美味しくもないチョコを友達とガヤガヤ作る時間は楽しかった。
バレンタインの当日は普段から浮かれ気味の女子たちは当たり前みたいにチョコをカバンにしのばせて、放課後や休み時間になると妙にソワソワしあったりした。
「いつよ?いつにする?」
手のうちを知っている親しい友達とは渡すタイミングは要相談済み。
ここで気をつけなければいけないのは、ノーマーク勢バレンタインの使者たち。
使者の動きは女子の連絡網を駆使して同行を探りあう。
携帯もピッチ(懐かしい)もまだそんなに普及していなかった当時なもんで…。
デジタルツールを全く使用しないのが昭和スタイル。
それが案外、侮れない。恐るべき女子のネットワークはいかなる時代にも存在する。そういうのに長けた愛すべき友達が必ず学年に1人はいるのだ。
情報発信源から得る情報を頼りに休み時間毎に集合して作戦会議。
ここで当日起こる1番いやパターンを紹介する。
渡す相手が被ることだ。
それが強者だった場合…当日に知ってしまうダメージはデカい。
大人になった今でも論争テーマになり得る議題。題して!
「女子からみた女子のかわいいと、男子からみた女子のかわいいのあの絶望的に共感しあえない高い壁はなんなのか?」
女子からは、あの子そんなにかわいい?
だけど男子から可愛いの市民権を得て一定数支持率を獲得しているような子が自分のお目当ての渡したい男子と被った時はさぁ大変。
負け戦やん…。
それに挑めるほど14歳の乙女の心は決して強くない。
「もう、やめとこかな…。」
「渡すのやめてみんなで食べよか」モードになる。
そんな時に登場するのが心強い友達。
大丈夫!一気に励ましにかかってくれる。
「あんたの方がおしゃれや」(かわいくはないんかーい。心の声①)
「あの子バスケうまいだけや」
(バスケがうまいことは当時私の中学では可愛いの同意語であったためバスケうまいこそあかんやーん。心の声②)
(バスケ部女子の副キャプテンのネームバリューはえぐい。勝てん。心の声③)
結局のところ勝ち目はなかったので最後のあがき、その子より先に渡すことでインパクトを与える作戦を決行!
はい。見事玉砕…。
はちみつレモンみたいな思い出。
玉砕も成熟も全てが当日、皆にまるわかり。
あの子、あいつが好きだったのかとか、友達を使ってお目当ての人を匿名で呼び出す姿を目撃したり、学年中の好きの相関図がその日だけオープンになって面白かった。
世間を騒がす世界情勢のどんなニュースよりも、チョコの行方の方がもっとずっと最重要項目だった。あの頃のわたし達には。
学校が自分の生きてる世界そのもので、世界は学校だった。
今の子どもたちは便利なツールが増えて格段に世界は広がっているはずなのに窮屈そうに見えるときがある。
便利に豊になったはずなのに…ね。
いつの時代でも大人は嘆く。あの頃はよかったと。
そういうのダサいと思っていたけど、やっぱり思ってしまう自分は大人になってしまったのだろうか。ダサいほうの。嫌だな…。
そもそも、中2は余計なものにこそ価値を見出し余計なことがしたいのだ。子どもと大人の間。そこを行ききして絶妙なバランス保ちながら余計が一番許されている時期なのではないか。
14歳から余計を取ってしまたら何が残るというのだ!
それを証拠に稲中卓球部があるのだ。
あれば全編余計なものでできている最高傑作だ。
歳を重ねた経験から、知っていることがただの知識として増えただけであって、根本的な精神構造なんてものは14歳ぐらいから大して変わっていない気がする。
むしろあの頃読んだ本、あの頃遊んだ友達、あの頃聞いた音楽、あの頃好きだった漫画、あの頃の自分を包んでいたカルチャーが今の自分のベースになっている。
余計なことを真剣にしていいがゆるされる時代は心地よかったな~。大人になる前の必要な時間。
んで、現代の14歳娘
クラスで先生からのけん制ジャブを受けたこどもたちの反応はどうやったか?
一人の男子生徒
「先生~! 余計なもんをもらいたくてももらえん人はどーしたらいいんですか?」
先生
「ごっごめんな~」
「そうやな、そうやな」「悪かった~」
そのやり取りにクラスで爆笑が起こった。
今の中学生もまだ余計な物で出来てるみたい。
余計なことを楽しんでから大人になって欲しい。