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志望動機は『特にありません』(後編)

吉川さんとの履歴書作成の続きに取り掛かるべく、私は彼女の話をさらに深掘りしていくことにした。アルバイトで「お客様に『ありがとう』と言われた経験」が、彼女にとってひとつのやりがいになっているのは間違いない。しかし、そこをどう具体的な志望動機として言葉に落とし込むかが、次の課題だった。

「でさ、吉川さん、さっきのアルバイトの話、もうちょっと詳しく聞きたいんだけど……どんな場面だったの?」
「どんな場面……ですか?」

吉川さんは少し困ったように眉を下げたが、何か思い出したように話し始めた。

「それが、バイト先が本当に忙しい日で……多分、その日はイベントか何かがあったと思います。くじ引きだったかな。レジの列が外にまで伸びていて、クレーム寸前の空気が漂ってたんですよ」

彼女の顔がだんだん真剣になっていく。もしかすると、このエピソードは彼女の中でかなり印象深いものだったのかもしれない。

「で、私はレジ係だったんですけど、お釣りを渡す手が震えるくらい緊張していて。でも、そのとき、休憩中の先輩が『ヘルプ入るよ』って言ってくれて、私の隣でカゴ詰めを手伝ってくれたんです。それで、なんとか列を捌ききることができて、お客様に『ありがとう』って言われたとき……」

彼女は少し照れくさそうに笑いながら、続けた。

「そのとき、すごく嬉しかったんです。自分一人じゃ絶対無理だったけど、みんなで協力したからこそ乗り越えられたっていうか……」

私はメモ帳に「チームでの達成感」「人との協力」「お客様とのやりとり」と書き込んだ。

「それだよ。それが吉川さんの“やりがい”なんじゃない?」
「えっ、これがですか?」
「うん。“やりがい”っていうのは、こういう小さな成功体験が積み重なって生まれるものなんだよ」

私はそう言いながら、さらに深掘りするために質問を続けた。

「じゃあ、吉川さんは、隣で先輩が手伝ってくれていたとき、どんなことを意識した?」
「えっと……なんだろう……とにかく、できるだけ早くお客様を帰らせたい、って気持ちが強かったですかね。先輩に図々しく『手伝ってほしい』とも言いましたし」
「ほら、それ大事じゃない。“ヘルプを頼む”って簡単そうで、意外とできない人も多いんだよ。とても勇気がいることだから。だから、困ったときに誰かに助けを求めるのも、立派なスキルだよ」
「……そうなんですか?」

彼女の表情がだんだん明るくなっていく。こうして一つ一つ言語化していくことで、少しずつ自分の特性に気づき始めているようだった。

「じゃあ次に、この会社のことをもうちょっと考えてみようか」

私は企業のホームページを開き、吉川さんの履歴書に書かれている志望企業のページを一緒に見てみた。

「例えばここ。“地域のお客様に寄り添い、日々の生活を支える企業を目指します”ってあるけど、これってどう思う?」
「……あ、なんか似てますね、さっきのバイトの話と」
「そうだよね。吉川さんが感じた『お客様にありがとうと言われて嬉しかった』っていう気持ち、まさにこういう企業理念と繋がるんじゃないかな?」

彼女は目を輝かせながら頷いた。

「そう考えると……あ、そうか。私、この会社でもそういう瞬間を味わいたいんですね」

その言葉を聞いたとき、私は「この子はもう志望動機を書ける」と確信した。

「じゃあ、そろそろ文章にまとめてみようか」

私が促すと、彼女は少し緊張した面持ちで履歴書の「志望動機」欄をじっと見つめた。そして、ゆっくりと書き始める。

「これまでアルバイトで人と協力して働くことに喜びを感じてきました。また、お客様に『ありがとう』と言われたときに仕事のやりがいを感じた経験から、地域のお客様の生活を支える貴社の取り組みに魅力を感じています」

書き終えたあと、彼女は満足そうに深呼吸をした。

「どうでしょう、先生?」
「吉川さんらしい、いい志望動機だと思うよ」

私は本音でそう答えた。ありきたりなフレーズやテンプレートではなく、彼女自身の経験と想いが詰まった文章だった。

最後に少し雑談を交えた。

「でもさ、吉川さん、最初は“特にありません”だったんだよね」
「……思い出さないでくださいよ!」

彼女は顔を赤らめながら笑った。

「でもね、“特にありません”から始まったっていいんだよ。始まり方は何だっていい。吉川さんが勇気を出して始めたから、今日こうして“ある”に変わったわけだから」
「……先生、いいこと言いますね」

彼女の軽口に、私も笑ってしまった。

数週間後。

研究室のドアが勢いよくノックされた。

「先生!受かりました!」

勢いよく飛び込んできた吉川さんの笑顔を見て、私も思わず手を叩いて喜んだ。

「おお、すごいじゃない!やったね!」
「ありがとうございます!」

満面の笑みの吉川さんは、あの日、「特にありません」と書かれた履歴書を手に研究室に来たときとはまるで別人のようだった。

彼女が帰ったあと、私は机に置かれたメモ帳を手に取り開いてみた。もう、読めない。昔から「字が汚い」と言われ続けてきたが、改めて我が事ながら驚かされる汚さだ。授業中にパワポスライドを完璧に作り込んで臨むのは、板書できないから。一部の学生を除いて、その事実を知る者はいない。

「次は面接練習かな・・・・・・」

閉じた手帳を机の上に置き、椅子に腰を降ろした。就活に立ちはだかるいくつもの課題に頭を抱えながらも確実に成長していく学生の姿を思いながら、コーヒーカップを手に取った。

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