日常ブログ #32受験
先日は母の誕生日だった。
と、言うことは世はまさに受験シーズンである。
高校受験の時、父の誕生日は私立校の受験日に、母の誕生日は公立校の受験日にドン被りしていたので、このような覚え方をした。
恐らく両親が早生まれでなければ受験期などというおぞましい記憶は即抹消されてしまうのだが、なかなか忘れにくい覚え方をしたものだと、我ながら感心する。
この高校受験こそ、頑張り屋とは言えない私がこれまでの人生で最も努力した出来事であったように思う。
当時私は家の近所にある進学校を第一志望校にしていた。
早めにと、中学2年生のころから受け始めた模試では毎回E判定を繰り出し、自分でも呆れてしまうほど望み薄な受験だった。
そして同じ頃、父の高校時代に教師を務めていた恩師がたまたまご近所に住んでおり、既に教職からは引退しているもののボケ防止にと個人塾をやていたので、そこに通うようになった。
見てもらっていたのは苦手な英語と数学。
割とスパルタな方針で、テキストのコピーを数ページ分配られて宿題として出され、次回はその答え合わせと解説をするという形式だった。
それがコンスタントに毎回行われる。
しかもマンツーマン。
そしてそのテキストをやり終えると先生が厳選した各都道府県の高校入試過去問丸々数年分を宿題に出されるのだ。
聞き出せたことはなかったが、このテキストは恐らく難易度高めのものだったと思われる。
そして私は神奈川県民でも神奈川県の公立高校入学試験を受験するわけでもないのに、なぜか毎週神奈川県の過去問の答え合わせをしていた。
なぜ神奈川県かと言うと、神奈川県の問題は地元より質がいいらしい。
ちなみに先生が神奈川に飽きたら次は京都だった。
私は一体どこ県民なのか。
出される宿題のページ数が多ければ多いほど不正答数が増え、不正答数が増えれば増えるほど私の精神の摩耗度も大きくなっていく。
げんなりしながら学校の教室で塾の宿題をやっていると、同級生からは、塾行ってんの?何塾?と、お前きのことたけのこどっち派?くらいのテンションで尋ねられる。
実際、私の地元では塾に通っている人は、駅前の有名なシティー塾か、商店街にある地元で人気のローカル塾の二派閥に分かれていた。
どの人も大体この二つの内のどちらかの塾に通っていた。
そこで現れる第三の派閥、退職した高校教員が指導する完全マンツーマン塾。
所在地は中学校からほど近い住宅街の一角の平家。
私含め生徒が2人くらいしかいないため、第一志望校合格率は何と百パーセント。
どこ塾?と言う質問に真面目に答えると、相手は自分の知ってる塾の名前が出てくるもんだと構えているので、大体の場合、何て?と聞き返される。
だが、更に真面目に塾の情報を教えてあげれば、じわじわと口コミが広まったらしく、私が受験期を終え退塾した後生徒が増えたとか増えないとか。
まあ、後輩のことなんてどうでもいい。
大事なのはいつだって我が身。
受験一回数千円もかかる模試を両親は何度も受けさせてくれたが、毎度毎度E判定で成績をつっかえさえるものだから、申し訳なさや情けなさが募り、自分の力の至らなさを痛感することになった。
そして、ここまで知力を尽くしたらあとは元気で乗り切るしかないという心境に至った。
とにかく受験の先にある明るい未来について話そうぜ、と言う気持ちである。
一般的にこれは現実逃避と呼ばれる。
私が第一志望校を志望した理由は諸々ある。
家から一番近いこと、頑張ったら行けるかもしれなくもないとも言えない絶妙なレベルだったこと、面接試験がないことなどなど。
しかし、それらの理由は日々脳みそと魂と削り砕きながら頑張るモチベーションにはならない。
一度、母の上司が子供の高校自慢で喧しいのでギャフンと言わせるためにより偏差値の高い例の第一志望校に合格してほしいから頑張れ、と言われたことがあるが、それはモチベーションではなくプレッシャーというやつである。
受験の先にある明るい未来、きつい現実に対抗するモチベーションの源泉。
私に取ってのそれは、弓道部であった。
第一志望校には弓道部があった。
強いんだか弱いんだかは知らないが、そこそこの部員数で、時々関東大会レベルの大会に出場する選手もいるほどの部活であるようだった。
中学時代に部活は一生懸命やったので、もう真面目で暑苦しい部活は懲り懲りだと思っていたが、弓道はどうしてもやってみたかった。
私の家のすぐ近くにある市営の体育館には弓道場があって、利用者がいる時はちらりと覗き見するのが、幼い私の楽しみの一つだった。
おじいさんおばあさんが弓を引いている時もあれば、ハツラツとした若者たちがぞろぞろやってきて、バシバシ矢を打って、またぞろぞろ帰っていく時もあった。
その若者たちが近所の高校の弓道部員であることを知ったのはもっとずっと先のことだが、私はその当時から弓道部員たちに憧れの気持ちを抱いていた。
なぜなら、弓を引き矢を放つ高校生たちの姿が『犬夜叉』のヒロイン日暮かごめちゃんを彷彿とさせたからである。
私は『犬夜叉』を愛読していた。
かごめちゃんは最推しだった。
かごめちゃんになりたい。
そんな幼気で不純な動機がどこまでも私の気力を強く保っていた。
どこまでも、最後まで、限りなく元気を出せた。
試験本番前最後の模試ではこれまでずっとE判定しか出したことがない成績が、奇跡的にD判定になった。
合格率35パーセント。
家族でEEEDと、ほんのちょっとだけ上向きに上がった折線グラフを囲んで歓喜したものだ。
更に良いことは続く。
父の誕生日に受験した滑り止めの私立校に合格したのである。
しかも特待生で。
すごい。すごすぎる。
父の誕生日、もとい試験日は、受験番号の兼ね合いで一教室丸々同じ学校の生徒になってしまい、友達のいない私は孤立していてかえって気まずく、受験期の情緒不安定もあってものすごくイライラしていた記憶しかないのだが、怒りのパワーで好成績をもぎ取ったのだろうか。なんにせよ嬉しい。
なんなら第一志望校受けなくてもよくなってきた。
とりあえず進学先決まってるし。
修学旅行先オーストラリアだし。
合格率35パーセントと私立の特待生を見た私は、完全に調子に乗っていた。
既に真剣味ややる気を失い、元気だけが膨らんで行った。
そうして迎えた母の誕生日、もとい公立校受験日。
その日はマジで試験を舐めきっていて、どうせ落ちても私はオーストラリアだもんね〜と言う気持ちでヘラヘラしながら席に座っていた。
やっぱり試験会場に友達がいなかったし、蓄積された疲労で目つきも最悪だったので、周囲からは私の胸中の陽気具合なんてこれっぽっちも感じられなかっただろう。
3秒数えてわからない問題は即飛ばしつつ各科目をこなし、作文の試験では友達がいないっつーのに友達について書けとかいう多様性もクソもあったもんじゃないお題が出されたので容赦なく嘘っぱちを書きつらね、一日の試験を終えた。
なんだか清々しい気持ちだった。
私が受験した年は前期と後期で2回入試があったので、ここで落ちてもまだチャンスがあるのだ。
ここが正念場ではないという気持ちが強かったし、もう滑り止めは確定しているから、ドキドキもソワソワもなかった。
模試をやったみたいな感覚だった。
やいのやいの言いながら駅に向かって歩いていく受験生を見ながら、お疲れ様みなさん!私は後期に向けまだまだ勉強するぜ!そして家が近いから徒歩で帰るぜ!と、心の中だけでねぎらいの言葉を送り、特になんてこともなく帰宅した。
数週間後、合格発表日。
今時はどうなのかは知らないが、私の第一志望校は昇降口の前にボードを張り出して合格発表という前時代スタイルだったので、発表時刻前に学校に到着していた。
この日は父も一緒だった。
流石にこの時はドキドキもソワソワもしていたが、あまり希望は抱いていなかった。
だって35パーセント。
長期戦は覚悟の上である。
倍率だってそこそこ高い。
同じ学校から受験した同級生は何人もいたが、その中でも私は校内の成績順位が低い方だった。
何人かに一人受からないのなら、多分私はあぶれる側だろうと思った。
いざ、ボードが張り出された時、少ししょんぼりした気持ちでのろのろと自分の番号を探した。
そんな私よりも先に、父がボードに番号を発見したのだ。
慌てて自分の目でも確かめたら、確かにあった。私の番号が。書かれていた。
嬉しさのあまり飛び跳ねた。
そして次の瞬間に、とても信じられない、嘘なのでは?陰謀では?という疑心暗鬼に陥った。
合格者は資料を受け取ってくださいと列に並ばされ、D判定なんてと他ことがないという同級生たちを探しても列にいなかったことでより不安になった。
間違いだったらどうしよう、勘違い入学は犯罪だろうか、と逮捕される未来が頭をよぎったが、資料を受け取る時に名前を聞かれ、合格者名簿に自分の名前も載っていたから、ほな合格かぁ、とあまり納得がいかないながらも事実を受け入れた。
なんだかんだで第一志望校に合格しちゃった、しかも一回で。35パーセントなのに。というのが私の高校受験だった。
しちゃった、というのは別に自慢でもなんでもなく、後にわかることになる入試本番の成績はまさに首の皮一枚、生死の境と言ったところで、ギリギリのギリだった。
多分同じ合格ラインのグレーゾーンに立った人はいたのだろうが、思いつきでやっちゃったクラス委員長の経歴や、惰性で続けてた部活で他人の力に頼って関東大会まで出場した等、細々した内申点があって何とか滑り込んだのではないか、と推察された。
もしくは嘘っぱちの作文が高得点だったかだ。それなら一番嬉しいのだが。
ともかくテストの点数で合格したとはとても思えないひどい成績だったので、あ、合格しちゃった・・・という感想はあながち間違いではない。
だが、テストの成績もその日が調子が良かったと言うこともなく、良くも悪くも普通。
いつも通りの力が出たと言う感じだった。
私よりもずっと成績がいい人たちは前期試験では不合格になってしまったが、彼ら曰く本番とても緊張して焦って間違えた設問がいくつもあったようだ。
落ちると思っていたからこそ開き直り、完全に舐めきっていたあの態度は的外れではなかったのかもしれない、と思うとそれはそれで複雑だが、何事も平常心は大事なのだな、と改めて思った。
ちなみに前期で不合格になってしまった人たちは後期で合格し、入学してからずっと成績優秀だった。当然である。
私は第一志望校に合格して明るい未来を手にして、無事かごめちゃんになれたのかというと、何がどうしてそうなったのか、弓道部ではなく剣道部に入部することになってしまい、全然明るくないザ・リアルJKライフを送ることになってしまったのだった。
それはまた別のお話である。
何はともあれ、全国の受験生のみなさん。
当日は舐めプくらいの気持ちで、いつも通り頑張ってください。
そして最後に、お父さん、お母さん。
お誕生日おめでとうございました。